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Category: こばなし

恩返しは何にする

 翼徳と花は難しい問題に直面していた。
 どちらかといったら平和的な顔つきの二人が、どちらもひどく厳しい顔をしている。
「どうしよう?」
 翼徳がすがるように情けない目を、花に向けた。
 花は、うーんと唸る。妙案は浮かばなかった。
 二人の前には、真っ黒こげのチキン。今もなお、ぷしゅーぷしゅーと不穏に燻っている音がしている。
 チキンは大惨劇だったが、窯が吹っ飛ばなかっただけ良かったのかもしれない。
 厨房を借りて、料理を始めたまでは良かった。慣れないことだったが、翼徳と花はとても楽しく料理ができた。しかし、最後の最後で、窯の調整を間違ってしまったのだ。
「失礼、水をいただき……うっ……な、なんですか、これは」
 間が悪く厨房に入ってきた子龍が、卓の上の物体を見て絶句する。
「子龍さん」
「子龍」
 迷える二人は、助っ人の登場、とばかりに目をキラキラさせて子龍を見た。
 そんな目をされても困る、と子龍は腰を引く。
「あの、ちょっと、間違えてしまったみたいで……」
「ちょっと……?」
 子龍は、花の言葉尻をとらえて、眉を上げた。
 ちょっと、というレベルの焦げではない。元が何なのか分からないほど見事に炭化していた。
「料理なら、芙蓉姫や雲長殿にお任せした方がいいのではないでしょうか」
「それじゃ駄目なんだ」
「駄目なんです」
 ねー、と二人は顔を見合った。
 子龍はイラッとしながらも訳を問う。
「どうしてですか?」
「いつも二人に作ってもらってるから、今日はお返しを作ってるんだ」
 翼徳は嬉しそうに言った。その隣で花もうんうんと頷いている。
 子龍は大いに納得した。とても翼徳と花らしい考えだ。きっと、雲長と芙蓉に内緒で作って、驚かせようとしていたのだろう。
 一瞬前に感じたイライラは立ち消えて、子龍も温かい気持ちになる。
「それなら、料理をしなくても、果物をとっていらしたらどうですか?」
「そうしたら、雲長兄いがお菓子作っちゃうだろ」
「なるほど」
 翼徳の得意分野で、と思ったが、確かに翼徳の言うとおりだ。
 子龍は、唸る。
 とりあえずは、この惨憺たる品物を、雲長たちに贈ることはできないから、他のことを考えなければならないだろう。
 もう一度料理をしたら上手くいくだろうか。
「なにしてるの?」
 そこに、ひょいっと孔明が顔を覗かせた。
「師匠!」
 花が嬉しそうに顔を綻ばせる。
「孔明殿……」
「雲長兄いと芙蓉のために料理作ってたんだ!」
「料理?」
 翼徳の言葉に、孔明が不思議そうに視線をさまわよせた。
 目の前にある炭化した物体が、チキンの成れの果てとは、さすがに孔明でもすぐには気づけないようだ。
「いつも二人にうまいもん作ってもらってるからさ、お返ししようと思って」
 孔明の様子には気づかず、ねー、と翼徳が花に同意を求め、花も、翼徳に同じように返した。
 子龍がイラっとした光景だ。心配になって孔明を見ると、その頬が心なしか引き攣っているようにも見えた。
「でも、失敗しちゃったんです」
 花は、真っ黒焦げのチキンを見てため息をついた。
 すると、孔明が、いつもの食えない笑顔を取り戻して言う。
「ああ、それならいい方法があるよ」
「本当ですか!?」
「さすが孔明!」
 孔明の言葉に、花と翼徳は顔を輝かせた。
「うん。教えてあげるから、花、こっちにおいで」
「はい!」
 おいでおいで、と孔明は手招きしながら厨房を出て行く。それを追って、花も厨房から出て行った。
 翼徳はそれを笑顔で見送る。孔明ならきっと素晴らしい案を授けてくれるに違いない、と翼徳は信じきっていた。
 しかし、待てど暮らせど、孔明はおろか花も姿を見せない。
 子龍は、大いに嫌な予感がした。
「あれ……?」
 三分ほど経って、ようやく翼徳が首を傾げる。
「行ってしまったようですね」
 花は絶対に戻ってこないだろう。
「ええ!!」
 驚き目を剥く翼徳のかたわらで、片づけは自分がやるのだろうな、と子龍はため息をついた。

雨の日

 最近、雨が続いている。梅雨というわけではないらしいが、そのしとしととした降り方は、元の世界の六月を思い出させた。
 花は、ぼんやりと窓から外を眺めながら、元の世界を想う。
 みんな、元気だろうか。
「雨は嫌い?」
 突然声をかけられて、花は肩を震わせた。
「師匠……」
 いつのまに戻ってきていたのか、孔明が戸口に立っていた。
 玄徳に呼ばれて出て行ったのは、ついさっきだったように思う。それとも、雨を眺めている間に、時間が経ってしまっているのだろうか。
 花は、書簡を片づけようとして、胸に抱いたままだ。
 孔明はいつからいたのだろう。
「声をかけても気づかないくらい真剣だったけど、何を考えていたの?」
 問われて、花は返事に困る。
 元の世界のこと、と本当のことを言ったら、孔明を傷つけてしまうように思えた。だからといって、嘘を吐くのも違う。
 結局答えられず、花は黙った。
 沈黙が答え、とも言える。孔明には分かってしまうだろう。
 しかし、孔明も、花の口から聞く気は元々なかったのか、それ以上追求してこなかった。
「ボクはね、雨の日、好きなんだ」
 そう言いながら、部屋の中に入ってくる。
「そうなんですか?」
 それは意外だった。孔明は、雨など面倒臭いと嫌がると思った。
「うん。だって、君は晴れの日が似合うから」
 花の目の前に来て、孔明は笑う。
 孔明の真意が掴めず、花は眉を寄せた。
「……どういうことですか?」
 晴れの日が似合うと言う口で、雨が好きと言うのは、つまりは花が好きではない、ということだろうか。
 まったく分からない。
「君が突然ボクの前に現れた日も、突然ボクの前からいなくなった日も、とてもよく晴れていたんだ」
 そんな花に、珍しく孔明が説明をしてくれた。
「君が消えてしまう日は、きっと晴れの日だ」
 花は、ますます眉を寄せて、孔明を見つめる。
「だから、雨の日は安心できる」
 どうしてこれほど穏やかな目で、そんな悲しいことを言うのだろう。
 どんなに言葉を尽くしても、孔明の不安を取り除くことはできないのだろうか。
 花は、泣きたいような切ない気持ちになって、孔明を抱きしめた。
「師匠……私、どこにも行きません。ずっと、師匠のそばにいます」
「うん、そうだね」
 花を抱き寄せて、孔明も頷く。
 雨はしとしとと降っていた。

内緒話

「あ、師匠!」
 廊下の先に孔明を見つけて、花は小走りで駆け寄った。
「どうしたの?」
 足を止めて待っていてくれた孔明は、花の勢いに少々驚いている。
 花は素早く周りを見回して、誰もいないことを確かめた。
 それでも、まだ心配で、孔明の腕を引く。
「?」
 孔明は驚きながらも、花のされるがままになっていた。
            
 孔明の耳に口を寄せ、手を添えて、囁く。
 用件を伝え終えると、花は孔明から離れて、小さく頭を下げた。
「お願いしますね」
 花は忙しい。早く全員に伝えなければいけないのだ。
 次の人のところへ行こうとしたが、腕を掴まれて引き止められた。
「師匠?」
 急いでいるんですけど、という気持ちを言外に匂わせて、花は孔明を振り返る。
「花、それ、みんなにやるつもり?」
「え?」
 何のことだか分からない。
 すると、腕を強く引かれて、孔明に抱き込まれた。
「これ」
 耳元で囁かれて、軽く唇が触れる。
 花はびっくりして耳を押さえて、孔明を突き飛ばす。
「わ、私、そんなことしてません!」
 ひそひそ話はしたが、触れてはいない。 内緒話の方法としては、標準的なはずだ。
「それくらい近かったってこと。もうちょっと気をつけなさい」
 あまり意識していなかったが、確かに近いかもしれない。孔明にしたことと同じことを、これから回る玄徳たちにしている姿を想像すると、花は恥ずかしくなった。
 孔明に言われなければ、こっそり伝えることに必死で、何も考えずにしていたに違いない。
「はい。すみません」
 花は素直に謝った。
「それじゃ、師匠、お願いしますね。内緒にしててくださいね」
 だが、一刻も早くみんなに伝える使命を帯びている花は、すぐにまたそのことで頭がいっぱいになってしまう。時間勝負なのだ。
 忙しなく小走りで去っていく花を見送って、孔明は深くため息をついた。

好きなところ

「ボクの好きなところを3つ言って」
 出し抜けに、孔明が突拍子もないことを言ってきた。
 花は固まってしまう。
 好きなところを3つ。
 孔明の好きなところ。
 どこだろう。
 容姿だろうか。
 確かに、悪くはない。というより、よい方だろう。正装をすれば、城の女性たちが騒ぐほどには。ふだんはあまり身なりに構わないうえに、掴みどころのなさが前面に出ているため、女性陣の目に留まらないのだ。
 花はもちろん好きだ。だが、孔明の容姿が好みだから好き、というのは違う。
 それでは、頭の良さか。
 それは孔明の最大の特徴だろう。知らないこと、分からないこと、見通せないことはないのではないかと思うほど、深く広い思考の海が孔明の中に存在する。それは国中の者が頼りにするところでもあった。
 花もとても尊敬している。しかし、それもまた、孔明を好きな理由とは違うような気がした。
 花は、答えを求めて孔明を見る。
 孔明は黙って、花の返事を待っていた。
 そんな孔明を上から下まであらためて見直して、花は唸る。
 どう考えても、答えは、ひとつだった。
「……師匠だから好きなんです」
 花は考えた末に、そう言った。
 それ以外の答えは見つからない。
「はぁぁ」
 すると、孔明は盛大にため息をついて、項垂れた。
「その反応、失礼じゃないですか」
 花は少しく機嫌を損なって、口を尖らせる。
「あのね、花」
 だが、起き上がった孔明は、至極真面目な顔をしていた。
「答えられなくて困る君にお仕置きをしようと思ってたのに、駄目じゃないか」
「な、なんですか、それは」
 危ういところで危機を回避していたのかと、花はドキマギする。孔明のお仕置きが、可愛いものであるはずがない。
「即答されたらどうしようかとも思ってたんだけど、まさかそんな答えが返ってくるなんて思わなかったよ」
 孔明はまだぶつぶつと呟いている。
 いったい何が気に入らないのだろう。
「師匠、どういうことですか」
 花が尋ねると、孔明は一度頭を振って、そして花を見た。
「ボクも花が花だから好きだよ」
 孔明の言葉に、花の心は温かくなる。
 同じ答えだったから、きっと悔しかったのだ。飄々としているように見せかけて、負けず嫌いな性格だから。
「はい」
 花は笑う。
 そんな花に、孔明も仕方なさそうにして笑顔を見せた。
「大好きだよ、花」
「私も、好きです」
 孔明は花を抱き寄せて、ぎゅっと力を込める。
「君じゃないとダメなんだ」
「はい」
 縋るような声には胸が詰まった。花はそっと頬を孔明の肩に預けて目を閉じる。
「私もです」

ナイト

「花」
 差し出された小さな手に、花は首を傾げた。
「昨日雨が降ったから、この先の道は脆くなっていると思う。だから……」
 要領を得ない花に、少し焦れたように亮は説明する。
 手を引いてくれるのだと分かって、男の子らしい振る舞いが可愛い、と花は頬が緩んだ。
「ありがとう、亮くん」
 花は亮の手に自分の手を重ねる。
 小さな手が、花の手を、驚くほど強い力で、ぎゅっと握り締めた。
「…………」
 しかし、亮はなぜか不満そうだった。難しい顔でぬかるんだ道を見つめながら歩いている。
「亮くん、どうしたの?」
 花が尋ねると、亮は、厳しい顔のまま、花を見た。
「花。ボクのそばを離れないで」
 亮のまっすぐな瞳に、花はどきりとした。
 この世界からは必ず戻らなければならない。
 亮と一緒にはいられない。
 そんな思いが頭の中を駆け巡って、花は言葉を失う。
「このさきは戦いが待ってる。花はぼーっとしているから、ボクが守ってあげる。だからボクのそばを離れちゃダメだ」
 亮が真剣に言葉を重ねてくれればくれるほど、胸が痛かった。
 ここにはいられないのだ。
 戻るために進んでいる。
 ごめんなさい、と花は心の中で謝る。
「あ……。うん、ありがとう、亮くん」
 花は胸の奥の痛みを隠して、にっこりと笑顔を亮に向けた。
「…………」
 しかし、亮はまた不満そうに黙ってしまう。
「亮くん?」
 花が呼びかけても、亮は何事かぶつぶつ呟くだけで、答えてはくれなかった。
 洛陽まであと少し。

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