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Category: こばなし

5秒前

「孔明さん、あの……」
「しー」
 躊躇って呼びかける花の唇に、孔明は指を押しつけた。
 反射的に花は口を閉ざしてしまう。
 しかし、孔明の手が止まって、少し、ほっとした。
 だが、それも束の間で、再び孔明の手は、制服のリボンにかかった。
 しゅるりと音を立ててリボンが解かれる。
「こ、孔明さん」
 他人にリボンを解かれることなど初めてで、どこか心もとなく、大いに恥ずかしくて、涙がじんわりと滲んだ。
「うん?」
 孔明は優しく問い返しながら、花の目じりに口づける。
 その普段とはまた違った気遣うような行為に、まるで恋人のようだと思って、恋人なのだと思い直した。
 少し、混乱しているらしい。
 これからしようとしていることは分かっている。
 いい? という問いに頷いたのは自分だ。
 それでも、躊躇いがあった。
「あ、の……」
「うん」
 孔明は頷きながら、花に口づける。少し触れて離れ、また触れる。それを何度も繰り返す。
 これでは話せない。話をさせるつもりはないのだろう。言葉はきっと、花の気持ちを裏切ってしまう。
 孔明は、その言葉を予想して、聞くまいとしているのかもしれない。
「っ」
 口づけが深くなったと思ったら、孔明が足に触れてきた。
 むき出しの足に、孔明の手が這う。
 体は強張り、どきどきと鼓動が早まった。
 手は、スカートの裾から忍び込んでくる。ゆっくりとやんわりと腿を撫でられて、花は思わずぎゅっと足を閉じた。
 すると、孔明はそれ以上手を進めずに、唇を離す。
「し……」
 緊張のために、息はすでに上がっていた。けれど、花は言葉をつごうと口を開く。
 しかし、花が何かを言う前に、孔明は花をぎゅっと強く抱きしめて、その胸に顔を押しつけた。
 ふくらみが押しつぶされ、ブラウス一枚隔てて、孔明の唇の感触を感じる。
 花は恥ずかしくて逃げ出したくなったが、孔明の拘束は強く、身じろぐことすらできなかった。
「今日は駄目だよ」
 孔明はそのままの体勢で、そう囁く。
「今日、君にうんって言われたら、するって決めてたんだ」
 孔明の声は揺るぎがない。花の不安やためらいは全て、分かっているのだろう。そのうえで、花を抱きしめている。
 孔明の決意に触れて、花の心は落ち着いた。
 嫌なわけではないのだ。むしろ、望んでいる。まだ、そういった欲についてはよく分かっていないが、孔明との関係が深まるのなら、したいと思った。
 それに、孔明に触れられるのは好きだ。
「……いいん、です」
 花は孔明の背に手を回す。そして、躊躇いながらも手に力を込めた。
「…………して、ください。……嫌だって言うかもしれないですけど、あの、嫌じゃ、ないですから……」
 何と言ったら良いか分からず、結局はストレートな言い方になってしまう。顔に熱が集まるのを感じた。きっと茹でたこのように真っ赤になっていることだろう。
 孔明の喉がごくりと鳴る。
 体を密着させているから、それはダイレクトに伝わってきた。
「……うん」
 わずかに掠れた声で頷き、孔明は首を伸ばして、花に口づけた。
 シーツに体が沈みこむ。
 孔明の手が胸に触れる。
 いよいよだ。
 花はぎゅっと目を瞑った。

抱擁

 気づけば、部屋に差し込む日差しはずいぶんと傾き、寝転がっている場所からずれていた。その陽も、暖かな陽だまりというより西日だ。寝過ごしてしまったらしい。
 体を起こそうとして、花の腕がしっかりと体に巻きついていることに気づいた。
 昼寝を始めたときは花の膝を借りていたのだが、孔明が寝入ったところで、花も昼寝に参加したのだろう。
 胸ではなく、背中に寄り添うあたりが花らしい。
 しかし、花の腕は孔明の体の下敷きになってしまっている。うまく腰の辺りから回しているが、しびれてしまうだろう。
 このままの体勢はよくないと孔明は体を起こそうとしたが、思いがけず花の力は強かった。
 しっかりと抱きしめられている。
 花の腕は細く、背中に寄り添う体は小さいのに、ひどく安心した。まるで子供の頃に戻ったかのような気分だった。
 くすぐったいような、照れくさいような、それでも安らいだ不思議な気持ちを味わって、胸の内にじんわりとあたたかいものが広がる。
 花の温もりが愛しかった。
 できることならずっと花を抱きしめていたいと思うが、抱きしめられるのもいいものだ。
 孔明はそっと目を閉じた。
 このままもう一度寝てしまおう。見る夢はきっと温かいものになるだろう。
 孔明がそう思ったとき、花が小さく声を漏らした。孔明の身じろぎを感じて、花も眠りから覚めたようだった。
 仕方ない。孔明は苦笑気味に嘆息する。時間切れだ。
「花? 離して?」
 孔明は、ぽんぽんと花の手を軽く叩きながら呼びかける。
 だが、花の返事は予想外のものだった。
「…………いやです」
 はっきりとした拒否、しかも寝起きだというのに、意外にもしっかりとした声だ。
「……離したら、師匠、どこかへ行っちゃうじゃないですか」 
 続いて、珍しく甘えるような声音で言う。口にしていいのか迷っているための、無意識のものだろう。
 孔明は不覚にもどきどきしてしまった。
「だから、嫌です」
 花はまた、きっぱりと言う。 
 その正気の花からは聞けないような言葉たちに、花はまだ夢の中にいるのかもしれないと孔明は思った。
 しかし、寝ぼけていたとしても、滅多にない花のわがままに、頬が緩んでしまう。
 花の望みは自分が叶える。道は自分が与える。孔明は溢れてしまいそうな想いをどうにか抑えこみ、わざとらしくため息をついた。
 すると、花の体が強張る。
 好きだと言い、好きだと返して、想いを重ねているのに、花は孔明の些細な言動に敏感だ。今も、呆れられたのではないかと不安になったのだろう。
「じゃあ、こうしようか」
 もう一度、花の手を外そうと試みると、今度は簡単に解けた。ふにゃりと花の腕は主体性なく曲がる。
 しかし、その顔を覗くと、予想に反して、花ははっきりと目覚めていた。言葉にしてしまったことに恥じらい、目を合わせない。今にも泣き出しそうだ。だが、後悔のない顔をしていた。
 花が起きていたことに驚く一方で、喜びが湧いてくる。
 そばにいてほしいと乞わなければならないのは自分の方だ。それなのに、花が言ってくれる。捕まえていてくれる。
 望みを叶えてくれる。
 孔明は、花と向かいあわせになるように体の向きを変え、その体を抱き寄せた。そして、そのまま花の唇に軽く触れて、離れる。
「うん。こっちの方がいい」
 孔明はそっと囁くと、もう一度、目を丸くして固まっている花の唇を奪った。
 今度はゆっくりと時間をかけて、柔らかな唇を味わって離れる。
「ね?」
「…………はい」
 孔明が問うと、花は幸せそうに笑って、目を閉じた。

昼寝の季節

 暑い夏の終わりは、雨と雷。
 ひとしきり嵐のように荒れたあと、爽やかな秋風が吹いた。
「涼しくなりましたね」
「うん。おかげで昼寝も快適」
 花は壁に背を預けて、孔明は花の膝に頭を預けて、休憩時間だ。
 夏の間はさすがに暑くて、汗ばんだ肌に触れてほしくない、と花が断っていたので、久しぶりな気がした。
「ねえ、師匠。これって、ほんとに寝やすいんですか?」
 花は前から思っていた疑問をぶつけてみる。常々、昼寝用の枕を用意しておいた方がいいのではと思っていた。そのほうがしっかりと休むことができるのではないかと。
 しかし、孔明は軽く頷いた。
「うん。だってほら、肌にすぐ触れるよ」
 ちゅっと花の膝に孔明の唇が触れる。
「ひゃっ!」
 びっくりした花は、思わず中腰になって身を引いた。
 ごとん、と孔明の頭が床に転がる。
「痛いよ、花。暴力反対」
「こっちはセクハラ反対です」
 頭を押さえて泣きべそをかく孔明に悪いとは思いながらも、花はそう非難し返した。
「せくはら?」
 孔明は首を傾げるが、花はその単語を説明するつもりはなかった。この世界に広めても仕方ない。
「……大人しく寝てください」
 花は、座りなおして、ぽんぽんと膝を叩く。
 だが、孔明は意表を突かれたような顔で、一瞬、固まった。
「? どうかしました?」
「あ、う、ううん。なんでもない」
 孔明は慌てて首を振って、再び横になる。
 さらりと孔明の黒髪が、花の足を撫でた。その感触が少し気持ちが良くてお気に入りなのは孔明に内緒だった。
 花は孔明の髪の中に指を埋める。
「……順応性が高いのも心配かもしれない」
 頭を撫でられながら、孔明はぼそりと呟いた。膝枕なんてと可愛らしく赤面していたのはついこの間のことだったのに。もう羞恥の外にあるのだとしたら、警戒もしなくなってしまうのだろうか。孔明は少しだけ不安になった。
「え?」
「なんでもない。さー寝よう。一眠りしてまた仕事だ」
 呟きを聞き取れなかった花に首を振って、孔明は目を閉じる。
 からっとした秋の空気はほどよく睡気を誘った。

恋し愛し

 

 愛しい。
 愛しい。

 君の手を握り、目を閉じる。
 眠りにつく不安はほんの少し。
 心の底にこびりついた不安のかけらがまだしつこく残っている。
 目覚めたときに、君はいるだろうか。
 目が覚めたら、「ここ」だろうか。
 君はここにいていいのだろうか。
 自己不信が胸を刺す。
 苦しいほどに恋しい。
「花」
 そっと囁いて、その肩を抱き寄せる。そして、その少女らしい柔らかな肢体を抱きしめた。
 腕の中に愛しい少女を抱く喜びと不安。それらが混じって、胸に染みていく。
 気持ちよさそうに眠る花から返事はない。
 少しためらってから、その薄く開いた唇に、素早くかすかに触れる。
 想うごとに愛しく、触れるごとに恋しい。
 君を手に入れられるのはいつだろう。
 この心が満ちるのはいつだろう。


 恋しい。
 愛(かな)しい。

夢の中の君

 長椅子の上に体を伸ばして、孔明が寝ている。
 このままでは風邪を引いてしまうだろうと思い、花は毛布をかけた。
 そして、再び自分の椅子に戻ろうとしたところで、手を掴まれる。
「花」
「師匠、寝てなかったんですか?」
「ううん。寝てたよ」
 ぱっちりと開いた孔明の目は、全く眠気がない。
 狸寝入りだったのかと少し憤慨すると、孔明は心外そうに首を振った。
「ねえ、花。好きだよ」
 唐突な告白に、花の思考回路は停止する。
 孔明は、まっすぐに花を見つめていた。
 混乱する。
「ど、どうしたんですか、師匠」
「師匠じゃないでしょ」
 孔明の両の腕が伸びて、肩にかかった。まるでぶらさがるような姿勢で、強請るように見つめられる。
「こ、孔明さん……?」
「うん、よくできました」
 孔明は嬉しそうに笑うと、腕に力を込めて、花を長椅子の上にひきずりこんだ。
「こ、孔明さん!」
 慌てる花をよそに、孔明はがっちりと花を抱きしめて、その首筋に顔を埋める。花は固まった。孔明の髪が喉元をくすぐる。首に息がかかる。唇が触れる。
「花、すき……」
 孔明はまるで子供のような声でそう呟いた。
 どきどきと花の鼓動が速まる。いつにない甘い囁きと熱い抱擁が嬉しくないわけがない。孔明の手に任せてしまおうと、花の体から力が抜けかかる。
 けれど、視界の端に戸を捉えて、花は一気に我に返った。戸には鍵がかかっていない。人が入ってきたら大変だ。
 「孔明さん、離して、ください」
 花は孔明の拘束を解こうと身をよじるが、孔明の腕はしっかりと体に絡みついて逃げられなかった。
「? 孔明さん……?」
 しかし、そのとき、花の耳は、すーすーという安らかな寝息を拾った。
 見れば、孔明は再び目を閉じている。そして、完全に寝ている。
 その意外と幼い寝顔に、花はため息をついた。

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