シンクロニシティ
少しでも孔明を知っている人からは、どうして、彼なのかと聞かれる。彼らが言うには、頭が良くてももっと優しい人はいるし、想ってくれるならもっとわかりやすい人がいるのに、どうして孔明なのかと。
彼らの筆頭である芙蓉曰く、孔明は「ひどく面倒な男」だそうだ。よりによって、孔明かと言われたこともあった。
確かに、孔明は世間で言うところの好青年ではないと、花も思う。
一癖も二癖もあるし、その本意がどこにあるのかわかりづらい。
だから、彼らの言うとおり、孔明より優しいひとはたくさんいるだろうし、気持ちがわかりやすい人もごまんといるだろう。
そういう人の方が付き合いやすいし、苦労しない、と彼らは言う。
それはそのとおりかもしれない。
付き合いやすいかどうかで言ったら、孔明は付き合いづらい人の部類に入る。
でも、花は孔明だった。
彼らが言うような苦労を感じてもいないし、孔明といて面倒だと思うこともない。
花は孔明と合っているのだ。
どこがいいのと聞かれることもある。
それには、たぶん、と花は思う。
花は孔明を尊敬している。
どこまでも見通し、考えつくし、手を打つ孔明は、最高の軍師だ。その思考の軌跡も鮮やかで、同じ道にいる者として、できるはずがないと分かっていても、孔明のようにありたいと憧れてしまう。
それがまずあって、けれども、孔明になりたいわけではなくて、そんな孔明とともにいたいと思うのだ。
そばで、足手まといにならず、その助けになれたら、これほど嬉しいことはない。
そして、師匠と弟子というだけでなく、誰よりもいちばんそばにいられたら、これほどしあわせなことはないと、思うようになっていた。
今、花は孔明とともにいる。
それはとても自然なことだった。
孔明を好きで、孔明に好かれて、一緒にいたくて、共にいる。
結局は、恋に理由などないのだろう。
それでも、この恋に理由があるとしたら、それは、この世界に来たからだということかもしれない。