うたたね
気持ちよく晴れた午後、花は城の庭の木陰で、一生懸命読めない書簡を読んでいた。
花が手にしているのは、孔明に渡された「今日の課題」である。
先日、玄徳軍に参加し、晴れて花の上官となった孔明に、文字が読めないことを驚かれ、それから日々容赦のない指導の下、勉強させられていた。
もちろん自分のためになるのだから、花に異論はない。ないのだが、孔明が渡してくる書簡は難しく、全くさっぱりで、放り投げたい気分になる。
「うー」
花は唸りながら、教本に顔を突っ込んだ。
そのとき、不意に、とん、と肩に重みがかかる。
「?」
花はなんだろうと思ってそちらを見やって、驚いた。
「!」
肩に、孔明の頭が乗っている。
ひとつの木の幹をシェアして、それぞれ寄りかかって読書に勉強にに勤しんでいたのだが、やっぱりというか、当然というか、午後のうららかな陽気の誘惑を断ることなく、孔明は夢の世界に旅立ったらしい。
「……」
のんきな寝顔に、花はわずかに腹が立った。こっちはこんなに頑張っているのに、師匠だからといって、ぐーぐーと昼寝というのはいかがなものか。
花は、教えてもらっている立場も忘れ、ぐっと拳を握り締める。
そうして体を揺らしたのがいけなかったのが、孔明の体がずるりと傾き、手から書簡が滑り落ちた。
「!!」
花は慌てて、前につんのめった孔明の頭を受け止める。
「…………」
花はとっさに手を出したのだが、このあと、どうしようかと迷った。
手を出さなければ孔明は倒れてしまっていたが、この状況でも起きないのだから、地面に転がっても目を覚まさなかったのではないだろうか。
しかし、受け止めてしまった以上、地面に転がすのは薄情な気もする。かといって、肩を貸すのも違うように思う。
少し考えた結果、花は、そっと孔明を押し返して、木の幹にもたれさせた。
「ふう……」
花は一息ついて、再び教本に向かう。
ずるり。
「!」
再び肩にかかった重みの正体は、確認しなくても分かった。
「…………」
花は諦めて、孔明に肩を貸すことにした。
寛大な弟子に感謝してほしいと思いながら、教本を広げる。
だが、項に、孔明の髪が触るのが気になって、文字を終えなかった。
黒髪は意外と柔らかい。
そういえば、亮の髪も柔らかかった。
そんなことを思い出して、花は孔明を見る。
誰かに肩を貸したことなど、電車の中で熟睡する隣人にしかなかった。こういうことは、全く見知らぬ相手か、とても親しい相手としかしないだろう。この状況は少し、特殊だ。
この変な人と肩を貸すほどに親しいということだろうか。
確かに、過去の世界では一緒に寝るほどの仲ではあったけれど、孔明とそれほど近いかといったらそうではないと思う。
「……うーん」
でも、いいかと花は思った。
この状況が嫌なわけではない。少し重くて、すやすや寝ている孔明が羨ましくはあるけれど、叩き起こして離れてくださいというほどのことでも、身をずらして逃げるほどのことでもない。
花はそのままにして、あらためて教本を開いた。
しかし、ほどなく、花の手から教本が滑り落ちていく。
二人で仲良く居眠りしているところを芙蓉たちに見つかって、似た者同士と笑われるのは、もう半刻ほど経ってからだ。