抱擁
気づけば、部屋に差し込む日差しはずいぶんと傾き、寝転がっている場所からずれていた。その陽も、暖かな陽だまりというより西日だ。寝過ごしてしまったらしい。
体を起こそうとして、花の腕がしっかりと体に巻きついていることに気づいた。
昼寝を始めたときは花の膝を借りていたのだが、孔明が寝入ったところで、花も昼寝に参加したのだろう。
胸ではなく、背中に寄り添うあたりが花らしい。
しかし、花の腕は孔明の体の下敷きになってしまっている。うまく腰の辺りから回しているが、しびれてしまうだろう。
このままの体勢はよくないと孔明は体を起こそうとしたが、思いがけず花の力は強かった。
しっかりと抱きしめられている。
花の腕は細く、背中に寄り添う体は小さいのに、ひどく安心した。まるで子供の頃に戻ったかのような気分だった。
くすぐったいような、照れくさいような、それでも安らいだ不思議な気持ちを味わって、胸の内にじんわりとあたたかいものが広がる。
花の温もりが愛しかった。
できることならずっと花を抱きしめていたいと思うが、抱きしめられるのもいいものだ。
孔明はそっと目を閉じた。
このままもう一度寝てしまおう。見る夢はきっと温かいものになるだろう。
孔明がそう思ったとき、花が小さく声を漏らした。孔明の身じろぎを感じて、花も眠りから覚めたようだった。
仕方ない。孔明は苦笑気味に嘆息する。時間切れだ。
「花? 離して?」
孔明は、ぽんぽんと花の手を軽く叩きながら呼びかける。
だが、花の返事は予想外のものだった。
「…………いやです」
はっきりとした拒否、しかも寝起きだというのに、意外にもしっかりとした声だ。
「……離したら、師匠、どこかへ行っちゃうじゃないですか」
続いて、珍しく甘えるような声音で言う。口にしていいのか迷っているための、無意識のものだろう。
孔明は不覚にもどきどきしてしまった。
「だから、嫌です」
花はまた、きっぱりと言う。
その正気の花からは聞けないような言葉たちに、花はまだ夢の中にいるのかもしれないと孔明は思った。
しかし、寝ぼけていたとしても、滅多にない花のわがままに、頬が緩んでしまう。
花の望みは自分が叶える。道は自分が与える。孔明は溢れてしまいそうな想いをどうにか抑えこみ、わざとらしくため息をついた。
すると、花の体が強張る。
好きだと言い、好きだと返して、想いを重ねているのに、花は孔明の些細な言動に敏感だ。今も、呆れられたのではないかと不安になったのだろう。
「じゃあ、こうしようか」
もう一度、花の手を外そうと試みると、今度は簡単に解けた。ふにゃりと花の腕は主体性なく曲がる。
しかし、その顔を覗くと、予想に反して、花ははっきりと目覚めていた。言葉にしてしまったことに恥じらい、目を合わせない。今にも泣き出しそうだ。だが、後悔のない顔をしていた。
花が起きていたことに驚く一方で、喜びが湧いてくる。
そばにいてほしいと乞わなければならないのは自分の方だ。それなのに、花が言ってくれる。捕まえていてくれる。
望みを叶えてくれる。
孔明は、花と向かいあわせになるように体の向きを変え、その体を抱き寄せた。そして、そのまま花の唇に軽く触れて、離れる。
「うん。こっちの方がいい」
孔明はそっと囁くと、もう一度、目を丸くして固まっている花の唇を奪った。
今度はゆっくりと時間をかけて、柔らかな唇を味わって離れる。
「ね?」
「…………はい」
孔明が問うと、花は幸せそうに笑って、目を閉じた。