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2016年04月05日

好きなところ

「ボクの好きなところを3つ言って」
 出し抜けに、孔明が突拍子もないことを言ってきた。
 花は固まってしまう。
 好きなところを3つ。
 孔明の好きなところ。
 どこだろう。
 容姿だろうか。
 確かに、悪くはない。というより、よい方だろう。正装をすれば、城の女性たちが騒ぐほどには。ふだんはあまり身なりに構わないうえに、掴みどころのなさが前面に出ているため、女性陣の目に留まらないのだ。
 花はもちろん好きだ。だが、孔明の容姿が好みだから好き、というのは違う。
 それでは、頭の良さか。
 それは孔明の最大の特徴だろう。知らないこと、分からないこと、見通せないことはないのではないかと思うほど、深く広い思考の海が孔明の中に存在する。それは国中の者が頼りにするところでもあった。
 花もとても尊敬している。しかし、それもまた、孔明を好きな理由とは違うような気がした。
 花は、答えを求めて孔明を見る。
 孔明は黙って、花の返事を待っていた。
 そんな孔明を上から下まであらためて見直して、花は唸る。
 どう考えても、答えは、ひとつだった。
「……師匠だから好きなんです」
 花は考えた末に、そう言った。
 それ以外の答えは見つからない。
「はぁぁ」
 すると、孔明は盛大にため息をついて、項垂れた。
「その反応、失礼じゃないですか」
 花は少しく機嫌を損なって、口を尖らせる。
「あのね、花」
 だが、起き上がった孔明は、至極真面目な顔をしていた。
「答えられなくて困る君にお仕置きをしようと思ってたのに、駄目じゃないか」
「な、なんですか、それは」
 危ういところで危機を回避していたのかと、花はドキマギする。孔明のお仕置きが、可愛いものであるはずがない。
「即答されたらどうしようかとも思ってたんだけど、まさかそんな答えが返ってくるなんて思わなかったよ」
 孔明はまだぶつぶつと呟いている。
 いったい何が気に入らないのだろう。
「師匠、どういうことですか」
 花が尋ねると、孔明は一度頭を振って、そして花を見た。
「ボクも花が花だから好きだよ」
 孔明の言葉に、花の心は温かくなる。
 同じ答えだったから、きっと悔しかったのだ。飄々としているように見せかけて、負けず嫌いな性格だから。
「はい」
 花は笑う。
 そんな花に、孔明も仕方なさそうにして笑顔を見せた。
「大好きだよ、花」
「私も、好きです」
 孔明は花を抱き寄せて、ぎゅっと力を込める。
「君じゃないとダメなんだ」
「はい」
 縋るような声には胸が詰まった。花はそっと頬を孔明の肩に預けて目を閉じる。
「私もです」

ナイト

「花」
 差し出された小さな手に、花は首を傾げた。
「昨日雨が降ったから、この先の道は脆くなっていると思う。だから……」
 要領を得ない花に、少し焦れたように亮は説明する。
 手を引いてくれるのだと分かって、男の子らしい振る舞いが可愛い、と花は頬が緩んだ。
「ありがとう、亮くん」
 花は亮の手に自分の手を重ねる。
 小さな手が、花の手を、驚くほど強い力で、ぎゅっと握り締めた。
「…………」
 しかし、亮はなぜか不満そうだった。難しい顔でぬかるんだ道を見つめながら歩いている。
「亮くん、どうしたの?」
 花が尋ねると、亮は、厳しい顔のまま、花を見た。
「花。ボクのそばを離れないで」
 亮のまっすぐな瞳に、花はどきりとした。
 この世界からは必ず戻らなければならない。
 亮と一緒にはいられない。
 そんな思いが頭の中を駆け巡って、花は言葉を失う。
「このさきは戦いが待ってる。花はぼーっとしているから、ボクが守ってあげる。だからボクのそばを離れちゃダメだ」
 亮が真剣に言葉を重ねてくれればくれるほど、胸が痛かった。
 ここにはいられないのだ。
 戻るために進んでいる。
 ごめんなさい、と花は心の中で謝る。
「あ……。うん、ありがとう、亮くん」
 花は胸の奥の痛みを隠して、にっこりと笑顔を亮に向けた。
「…………」
 しかし、亮はまた不満そうに黙ってしまう。
「亮くん?」
 花が呼びかけても、亮は何事かぶつぶつ呟くだけで、答えてはくれなかった。
 洛陽まであと少し。

迷子

「師匠?」
 ふと気づけば、隣に孔明の姿がなかった。
 大きな通りが、知らん顔で伸びている。そこにたくさんの人がいるが、誰も花のことなど見向きもしない。
 不安が一気に心の中に広がった。
「師匠!」
 誰も知らない街なのだ。玄徳の使いとして、視察に来ただけで、全て孔明に任せていた。城へ帰る道どころか、この街の地理も分からない。
 花は手に取っていた髪飾りを置いて、通りの真ん中へと転がり出た。
 周りを見回す。
 賑やかな大通りだ。
「師匠! 師匠!?」
 叫ぶ花に、通行人が訝しげな視線を向けた。けれど、花は構っていられなかった。
 孔明がいない。
 怖い。
 足もとが揺れる。
 頭の中には、ちょっとはぐれてしまっただけ、人が多くて見失っているだけ、という冷静な声が響いているのに、孔明が突然いなくなることなど、珍しいことではないだろう、と、この街と玄徳の城との大まかな位置関係は分かっているのだから、道を聞きながら行けば、帰れるはずだろう、と次々と考えが湧いてくるのに、駄目だった。
 誰も知らない街。
 ひとりぼっち。
 迷子?
 置き去り?
「師匠!!!!」
 堪らず花は叫んだ。
「花!」
 その呼び声に応えるように、名を呼ばれる。
 振り返ると、孔明がいた。焦ったように、息を切らして。
 花は、その場にぺたりと座り込む。
「師匠ぉぉ」
 安心したら、涙がこぼれてきた。離れていたのはほんの数分だったろう。それなのに、ぽろぽろ流れる涙は止まらない。
 花は自分でも分からなかった。どうしてあれほど不安になったのか、どうしてこれほど安心しているのか。
「花……」
 孔明は花のもとに駆け寄って、跪く。その手はわずかに震えながら、おそるおそる花に伸ばされた。
 指先が、花の髪に触れる。そのとたん、まるで熱いものに触れたかのように引っ込んだ。それから、また手が伸びて、今度はしっかりと、花を掴まえる。
「大丈夫」
 孔明に抱き寄せられて、花は体中から力が抜けた。
「ごめんね」
「どうして師匠が謝るんですか。私が余所見してたんです」
「うん。でも、君のことを一人にしちゃったから」
 孔明は、ごめん、ともう一度謝る。
 孔明は何も悪くないのに、と思いながらも、花はなぜか胸が苦しくて、言葉を継げなかった。
 代わりにぎゅっと孔明の腕を握り締める。
 もう決して離さないように。

ドーナツ作ろう

「これで、どうだ?」
 雲長が台所から持ってきたのは、まさに花が思い描いたとおりのドーナツだった。
「こ、これです! これがドーナツです!!」
 花は感動して叫ぶ。ドーナツが食べたくなったが、何と何をどれくらい混ぜてどう作るのかあやふやだったところ、どんな感じだったか伝えただけで、雲長は見事に作ってのけたのだ。
「うまそー!」
 さっそく翼徳が手を伸ばした。
「さすがだな、雲長」
 玄徳もひとつとる。
「悔しいわ。悔しいわ」
 芙蓉は悔しがりながらも、むしゃむしゃと食べた。
「うまーい」
「翼徳。花のだ。お前ばかり食べるな」
 翼徳がすでに三つ目に入るのを見て、雲長が釘をさす。
「だって、これ、すげーうまいよ?」
「ああ。この蜜のかかり具合が絶妙だな」
「悔しいわ。悔しいわ」
「雲長さん、ありがとうございます!」
 本物のドーナツに再会できて、花は目をキラキラさせた。
「ああ。いつでも言え」
 そんな花に、雲長は、珍しく、優しく顔を和らげる。
 二人の間に穏やかな良い空気が流れたときだった。
 ぬっと新たな手がドーナツに伸びる。
「師匠!?」
 いつもはお茶に加わらない孔明が、いつのまにか花の背後に立っていた。
 ドーナツを一つ頬張って、なにやら唸る。
「小麦7、砂糖1、卵2の割合で、混ぜて揚げるんだね。それから蜜につけて出来上がり」
 そして、すらすらとドーナツについて分析してみせた。
「師匠、すごい。食べただけで分かるんですか?」
 花の賞賛の眼差しが、今度は孔明に向けられる。
「これくらい簡単だよ」
「さすが師匠。何でも分かっちゃうんですね」
「いやー、それほどでもないよ」
 照れたように頭を掻きながら、孔明は翼徳を押しのけて、花の隣に座る。
「師匠、お茶飲みますか?」
「ありがとう」
 花はいそいそと孔明のためにお茶の用意を始めた。
「…………」
 雲長と玄徳と芙蓉は顔を見合わせる。
 そして、同時に大きなため息をついた。

携帯電話

「あっ、ああ、ああ……」
 花の残念そうな無念そうな声に、孔明は本から顔を上げた。
「どうしたの?」
 隣に座る花の手の中には、何からできているのか分からないモノがあった。孔明にとっては見知らぬものだが、花がずっと大切そうに持ち歩いているので見慣れたものだった。
「ケータイの充電が切れちゃったんです」
「けーたいのジュウデン?」
 聞きなれない言葉に、孔明は首を傾げる。
「あ、これがケータイで、充電というのは、ケータイを動かすためにバッテリーに電気を溜めることです」
 花は手の中のピンクの物体を掲げるだけでなく、背面を分解して、中から四角いものを取り出してみせた。
「何をするものなの?」
「離れている人と話ができる機械なんです。メール……文章もやりとりできて、写真も撮れるんですよ」
「ふーん」
 どうやって離れている人と話をするのか、文章をやりとりするのか、写真というのは何なのか、と分からないことは多かったが、なかなか高機能らしいということは分かった。
「家族の写真が入っていたので、なるべく充電をもたせるようにしてたんですけど……」
 花は携帯電話を細い指でさすっている。
 その瞳は、携帯電話を通して、遠い、元の世界を見ているようだった。
 隣にいるのに、遠い。
 孔明は、たまらず花を抱きしめた。
「し、師匠!?」
「うん」
 突然の行為に、花は慌てている。
 孔明は頷いた。
「師匠?」
 今度は、少し心配そうな声で問いかけてくる。
「うん……」
 孔明はただ頷いた。
 すると、少し間を置いてから、花の手が背中に伸びる。
 その手の温かさに、孔明は目を閉じた。

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