距離について
「師匠って孟徳さんに似てますね」
間近にある孔明の顔を見つめていた花は、頭に浮かんだことをそのまま口にした。
「はぁ?」
その途端、孔明の眉が大きく上がる。
「どこが? 何が? ボクのどこを見て、そんなこと言うの?」
孔明の様子に、花はまずいことを言ったと気づいた。
孔明が、孟徳に対して、特別悪い感情を持っているようには見えなかったが、「似ている」と言われるのはあまりいい気持ちはしないらしい。
考えてみたら、孔明と孟徳はどこにも共通点はない。孔明は黒髪で、孟徳は赤髪。孔明は猫目だけども、孟徳は垂れ目だ。いや、そんな外見的特徴だけでなく、生まれも考え方も趣味嗜好も全く違う。花は、二人をひとつひとつ照らし合わせて、首を傾げた。
そんな二人を捕まえて、「似ている」と言ってしまったのはどうしてだろう。
ふと、目が、近くにある孔明の顔を捉える。
ああ、そうか、と花は気づいた。
「いえ、あの、人との距離が近いところとか」
「人との距離?」
孔明は思いがけないことだったらしく、語尾を上げて、眉を寄せた。そして、自分たちの距離を見直す。
ぴったりとくっついた体。間近にある顔。
孔明は、口の端をひきつらせた。
「……曹孟徳にもこんなことをされたってこと?」
不機嫌さを露に、孔明が言う。
「えっ?」
指摘されて、花は自らの体勢を顧みた。
孔明が、花に意識させるように、花の腰に回した手に力を込める。
「こんなこと」が抱擁を指していると察して、花は慌てて首を横に振った。
「い、いいえ!」
「じゃあ、どうして曹孟徳が人との距離が近いって知ってるの?」
「それは……あの……その……」
孔明の不機嫌さが恐ろしくて、花は頭の中が真っ白になる。そのとき、手が膝の上のものに触れた。一筋の光明に、花は目を輝かせる。
「あ、こ、これ!」
さきほど孔明に渡されたばかりの書簡を孔明の眼前に突きつけた。まるで水戸黄門の印籠だ。
「玄徳さんに届けてきます! 失礼します!!」
孔明の返事も聞かず、その手を振り解くと、花は急いで長椅子から立ち上がり、部屋を飛び出していく。
慌しく閉じられた扉を見つめ、孔明はひとつ、ため息をついた。
「……まったく」
花の何でもない様子から、特に何かがあったわけではなさそうだが、孟徳に近寄られたことは事実だろう。孟徳が花に触れたかと思うと、ぐつぐつと煮えてくる気持ちもある。
これは、お仕置きが必要に違いない。
孔明は人の悪い笑みを浮かべて、どんなお仕置きにしようかと考え始めた。