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2016年04月10日

恋戦記クリア感想(PSP版)

▼PSP版感想(2012.12.02up/2012年9~10月memoにて)
PSP版スペシャル中心の感想です。主にかわいい、よかった、萌えたと言っています。
スペシャルを見た順番は、仲謀→玄徳→子龍→公瑾→雲長→翼徳→早安→孟徳→文若→元譲→孔明 です。

恋戦記クリア感想(PC版)

▼クリア感想
1周目の感想です。対花でカップリング発言しているのでお気をつけください。
ちなみに、クリアした順番は、仲謀→玄徳→子龍→公瑾→雲長→翼徳→早安→孟徳→文若→孔明 です。

昼寝をいっしょに(あやかしごはん:謡凛)

 午後のぽかぽかとした陽射しが、ぽんぽこりん二階の居間に差し込んでいる。昼寝にはもってこいの陽気で、謡は昼ごはんの片づけを終えると、いそいそとその一等地に寝転がった。すぐに心地よい睡魔はやってくる。謡はもちろん抵抗などせずにそれに身を委ねた。


「ん……」
 眠りからゆっくりと目覚めた。寝覚めはいい方なので、すぐに眠気は消える。ぱちりと目を開けて、見開いた。
 すぐ隣に凛がいた。謡の方に顔を向けて横向きに眠っている。
 近い。ふたりの間は拳ひとつ分もない。
「っ~~~!!」
 謡は思わず叫びそうになって、慌てて手で口を塞いでしのいだ。
(な、なななんで、こいつがここに……!)
 安眠から一転、心臓がばくばくと限界まで鼓動を速めている。
 凛は気持ちよさそうに眠っていた。陽射しがやさしくその柔らかな白い頬に当たっている。
 ふわふわと光が舞う中、ぐっすり眠っている凛を見ていると、どきどきだけではなく、心の中にあったかいものが広がった。自分の隣で、安心して眠ってくれている。そのことがとてもしあわせだ。
 謡は上半身を起こし肘をついて頭を支える。そうして、凛の寝顔をもっとよく見つめた。
(へへ……)
 心があったかすぎてこそばゆい。いつまででも寝顔を見ていたい。凛といるとどきどきするけれど、それだけでなくこうしてあったかい気持ちになれた。見つめているだけで幸せで、けれど、ずっと見ていると、やっぱり足りなくなって触れたくなる。頬や髪に触れたり、抱きしめたくなる。
 こんな気持ちを、誰かに――しかも人間に――抱いたのははじめてで戸惑いもあるのだが、それは凛が特別であるという証、凛をきちんと想っている証にも思えていた。
 抱きしめるのはやりすぎだろうが、頬に少し触るくらいならいいだろう。その資格はあるはずだし、凛も嫌だとは思わないはずだ。
 言い訳めいたことを心の中に並べながら、謡は凛の頬へそろそろと手を伸ばした。
「ん……」
 しかし、その手がまさに頬に触れようとした瞬間、凛が小さく身じろいだ。
(っ!!)
 驚いた謡はわずかに飛び上がったものの、どうにか手を止めることができた。
(お、起きたのか……!?)
 なんというタイミングかと、驚かされてどきどきしている胸をおさえながら、凛を窺う。
 だが、凛は目覚めたわけではなかったようで、
「ん……うた……」
と、謡の名を呼んで、身を丸めた。
 寝ているのに名を呼ばれて、謡はさらにどきどきした。
 凛の夢の中にいるのだろうか。それはどんな夢なのだろう。
 そう気になって見つめていたら、凛の手が何かを求めるように伸ばされた。それはゆっくりと謡へと近づいてくる。
(え……)
 謡が凝視している間に、その手は謡のパーカーに届いた。まるでそれが目的のものだったかのように、ぎゅっと掴む。そして、凛は寝ているというのに、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「!」
 謡は口を押さえる。
 心臓が飛び出てしまうのではないかと思うほど、どきりとした。
(か、かわ……)
 嬉しさと恥ずかしさと愛しさ、それにわけがわからない色んな感情が体の中を逆巻き、頭のてっぺんから噴き出す。凛をめちゃくちゃに抱きしめたい衝動に駆られた。
(だ、駄目だ、オレ!)
 それをどうにかこうにか堪えて、謡ははあはあと肩で息をする。
 謡の大いなる動揺など知らず、凛はのんきに眠り続けている。
 謡は恨みがましく凛を見た。悔しいが可愛い。しかし、少し不安がもたげてくる。もし、隣にいるのが謡でなくても、凛は寝ぼけて同じようなことをするのだろうか。
(それは嫌だ)
 こんな姿を、他の誰にも見せたくない。凛が握りしめるのは自分だけがいい。自分にだけ甘えてほしい。
 むくむくと湧いてきた強い独占欲に、我が事ながら戸惑う。子ども染みているのか狭量なのか、それともこれが普通なのかわからない。けれど、それははっきりとある気持ちだった。
(……と、とかにく、居間で昼寝禁止だ!)
 謡はひとまず手に余る感情から目を背けて、凛を見た。このままここにいたら、誰がやって来るかわからない。凛を隠すのが先だ。
 謡は、凛を起こさないように細心の注意を払って抱き上げる。やせっぽちの体は驚くほど軽い。体重だけでなく、枝のように細い手足やうすい肩にも、謡は心配になる。
(最近はよく食うのにな)
 もっと一緒にごはんを食べようと思った。今もほとんど三食一緒に食べているけれど、これからもっと一緒に。そして、そのとき、こっそり凛の分は大盛りにして、凛に食べさせるのだ。気づかれないように、盛る量を少しずつ増やしていけば、凛も怪しまないに違いない。
(オレ様天才!)
 自分の考えにほくそ笑んだとき、ちょうど三階に着いた。
 同時に重大な問題に直面した。
(う……)
 凛の部屋と自分の部屋。どちらに行けばいいのだろう。
 凛の部屋に連れていくとなると、その部屋に留まるのはあまりよくないように思う。かといって、自分の部屋に凛を連れて行くのはもっとよくないのだろう。けれど、謡はまだ凛と一緒にいたかった。できればもう一眠りしたい。これらを解決する道は、回れ右をして居間に戻る、のように思ったが、それもできない。
 謡が固まっていると、凛がゆっくりと瞬きをして目を開けた。
「ん……ふぁ……」
「わ、悪い、起こしちまったか」
「謡? え、きゃ、な、なに!?」
 凛は、謡を見て首を傾げかけ、それから自分の置かれている状況に気づいて、顔を真っ赤にして慌てた。
「あ、暴れんな。落としちまうだろ」
 この程度で恥ずかしがるのが可愛いなと思いつつ、謡は凛を諌める。本当は、凛のかよわい力で暴れられたくらいで、その軽い体を落とすようなことは絶対にないのだが、動かないでいてくれた方が安全なのは確かなのでそう言った。
「え、あ、ご、ごめんなさい」
 勝手に抱え上げられているというのに、凛は謝って大人しくなる。同時に、落ちないようにか、ぎゅっと謡の胸あたりを掴んできた。
 その手が可愛い。
 謡は緩んでしまいそうになる顔を、慌てて引き締めた。
「お前、なんであんなところで昼寝してんだよ」
「なんでって……邪魔だった?」
「そうじゃねえ! あ、あんな、誰が通るかもわかんねーところでぐーすか寝るのは不用心だって言ってるんだ。部屋で寝ろ部屋で」
 謡が言うと、凛は目を伏せて、少し視線をさまよわせた。それから思い切りをつけたように顔を上げる。
「……う、謡が気持ちよさそうに寝てたから、一緒にお昼寝したいなって思ったの。……部屋でひとりは寂しい」
「なっ……」
 思いがけない凛の言葉に、謡は顔が熱くなる。
 言いたいことを言わないで鬱々としている凛に腹を立てて、思っていることを言えと言ってきたけれど、素直な凛は心臓に悪い。
 謡はふるふると体を震わせて、凛を力のかぎりに抱きしめたい衝動と戦った。かっと熱くなった今の気持ちのまま抱きしめたら、凛が痛いほどに力がこもってしまいそうだった。
「……じゃ、じゃあ、一緒に昼寝してやる。お前の部屋でいいな」
 どうにかそれだけ言えて、謡は凛の部屋へと向かう。
「う、謡、私、歩けるから、おろして」
 抱えられているのが恥ずかしいのか、凛は謡のパーカーを引いてそうお願いしてきた。
「う、うるせー。すぐだからおろすの面倒くせーっつーの!」
 凛を抱えていたいという本音は恥ずかしくて言えないから、謡は乱暴に言い放つ。実際、数歩で凛の部屋だ。凛を抱えたままドアを開け、中に入る。そして、凛をベッドに下ろした。
「ちゃんと布団かけろよ」
 心地よい重みと温かさがなくなって寂しい。そんな気持ちを悟られないように、謡はさっさと床にごろりと寝転がった。
「う、謡……」
 凛はベッドの上で座り込んだまま、頼りなげに謡を見つめてくる。その顔は寂しさを隠していない。
「……う、謡の隣がいい」
「っ!」
 恥ずかしさでいっぱいなのか、まだ眠いのか、目元が熱っぽく潤んでいる。そんな顔でお願いされて、謡はぼんっと爆発した。
 凛は謡の返事を待たずに、枕と毛布を掴むと、するりとベッドからおりて、謡の隣に滑りこむ。
「はい、枕。謡も毛布使おう?」
 そして、ふたりの間に枕を置いて、謡にも毛布をかけてきた。
「ほら」
 自ら先に横になって、ぽんぽんと、枕の空いている部分を叩いて、凛は謡を招く。
 そこに頭を乗せろということはわかった。
 わかったが、できるかどうかは別問題だ。
「ば、ばばば馬鹿!」
 そんなことはどきどきしすぎてできない。
 謡は真っ赤な顔も恥ずかしくて、凛がかけた毛布を払おうとした。
「謡はいや?」
 すると、凛が悲しそうに顔を歪ませる。
(ぐっ……)
 凛にそんな顔をさせてしまったことが申し訳なくなって、謡の手が止まった。嫌なわけがない。だが、承諾しないということは、嫌だと思われても仕方ない。謡は焦れて頭を掻いた。
「あ~くそっ。もうちょっとそっち寄れ」
 そして、結局、凛のお願いを聞き入れた。
「う、うん」
「ああ、落ちるだろ。もうちょっとこっちでいい」
 凛が不安定に上体だけ起こして大きく距離を取ろうとして、枕から落ちそうになるのを見て、謡は慌てて腕を差し入れて頭を支える。
 その腕に、肩から頭だけを上げている体勢が辛くなったのか、ぽふ、と凛の頭が落ちてきた。
 はからずも腕枕状態になってしまって、謡は固まる。
「ご、ごめんなさい」
「い、いい!」
 凛は慌ててまた頭を上げようとするが、謡はそれを押しとどめた。
 このままがいい。どきどきは限界に達しようとしているのに、凛に触れていたい気持ちが勝った。
「お、お前、落ちそうだからこのままでいいよな」
「……う、うん、わかった。ありがとう」
 謡の言い訳に、凛は素直に頷いて礼まで言った。
「そ、それに……俺はこのままがいい」
 謡が心配だけで言っているとしか思っていない凛に後ろめたい気持ちが湧いて、謡は本音を告げる。
「えっ……」
 凛は言葉に詰まって、顔を赤くした。白い頬がさっと朱に染まる様が愛しい。
「な、なんだよ。いいだろ別に。お、お前に触りたいって思ったって! お前は嫌なのかよ」
 謡は照れ隠しに乱暴に言い放つ。ついでにさっき凛に困らされた言葉を返してやった。
「……う、うん……いいよ。……私もこのままがいい」
 すると、凛は顔を真っ赤にしながらも小さく頷き、謡の腕に手を添えて頬をつける。
「お、おう……」
 素直に甘えてくる凛に、謡は返す言葉を失った。お返ししたと思ったのにそれを躱されて、見事なカウンターを決められてしまった。結局、凛にはかなわない。凛にどきどきさせられっぱなしだ。
「どきどきするね」
 凛は、まるで謡の心を見たかのようなことを言って、楽しそうにふふっと笑う。
「謡、おやすみ……」
「え……」
 それから、謡が呆気にとられるほどすぐに眠りに落ちていった。どうやらまだ眠気が勝っていたらしい。寝ぼけての甘えたがりだったようだ。どきどきするね、と言うわりに、全然緊張していない完全にリラックスした寝顔が悔しい。
(お、おやすみって……寝られねえし!!)
 凛とは対照的に、謡の目はぎんぎんに冴えていた。
 凛と一緒にいたいという希望は叶ったが近すぎる。凛の寝息がかかるこの距離で、腕枕をしての昼寝なんてできるはずがない。
 凛を隠したい、独り占めしたいという謡の勝手が招いた事態だから自業自得とはいえ、嬉しいような困ったような状況に、謡は頭を抱えるばかりだった。


おわり

ハッピーユアバースデー(チャリ芽)

 もう少しで年が明ける。広くない店の中は、蓄音機から流れるやさしいワルツで満ちていた。目を閉じれば、あの時代にいる気分になる懐かしい音色に、やわらかな空気が蘇るようだ。
 芽衣は力を抜いて、後ろに座るチャーリーの胸に頭を預けた。硬い胸に受け止められると安心する。
 ひとつの椅子にふたりで座って、恥ずかしく思うよりも落ち着くようになるなんて、この年のはじめには思わなかった。それに、好きなひととふたりで年越しをすることになるとも思っていなかった。
(ラッキーだったな)
 家族は親戚の家に行っている。急きょ決まったので、どうやってチャーリーと過ごそうかと悩んでいた芽衣は、もう友だちと約束をしてしまったと言って家に残った。明日は家族に合流するが、思いもかけず、簡単にチャーリーとの年越しが実現した。
「この曲が終わったら新年だよ、チャーリーさん」
 壁にかかった振り子時計を見て、芽衣は言う。
 テレビもつけずに大みそかを過ごすのもはじめてだ。新年は、テレビの中の誰かではなく、あの時計の鐘が教えてくれるだろう。
「今年はどんな年だった?」
 頭の上から、チャーリーの声が降ってくる。
(どんな年……)
 芽衣は宙へ視線を巡らせた。
「いい年だった? それともいやなことがあったかな」
 チャーリーの言葉に導かれるように、いいことやいやなことが脳裏に閃いては消えていく。
「聞かせてよ、芽衣ちゃん」
 ひょいとチャーリーが芽衣の肩越しに顔を覗き込んできて、視界にきらきらと光る銀色の髪が入った。間近で、赤い瞳と視線が絡んで、すこし体温が上昇する。触れ合うことに慣れてきたものの、こうして間近に顔を寄せられると、やはりどきどきした。
「うーん……誰かさんのせいで、明治時代に飛ばされたりして大変な年だった」
「あ、ははは」
 芽衣が照れ隠しで意地悪を言うと、チャーリーは笑って誤魔化した。芽衣もすぐに笑う。
「なんて冗談だよ。タイムスリップしたのは大変だったけど、でも行けて良かった」
 ほんのひと月だけのあの日々は、まるで夢のようだけれど、確かに芽衣の中に残っていて、とても大切だ。出会った人たちの顔も声も、触れた手も覚えている。戸惑うことも多かったのに、いつのまにか馴染んでいたのは、あの時代が心地よかったからだろう。それになにより、あの出来事がなかったら、いちばん大切なものを得ることができなかった。
「だって、チャーリーさんが明治に行かせてくれたから、こうして仲良くなることができたんだもの」
 芽衣は、チャーリーの手をぎゅっと握りしめる。
「ありがとう、チャーリーさん」
 そして、すぐそばにあるチャーリーの白い頬に、軽くキスをした。
「芽衣ちゃん」
 チャーリーは細い目を見開いて芽衣を見つめる。
 そんなチャーリーに、芽衣は笑ってしまった。
 そんなに驚かなくてもいいだろう。
 芽衣がチャーリーにキスをするのもはじめてではないし、チャーリーのことが好きなのだから、キスをしたいと思うのも当然だ。それにいつだってチャーリーにキスをしていい資格がある、と思う。
「今年は、とてもいい年だったよ」
 芽衣はきちんとほんとうの答えを伝えた。
「チャーリーさんと出会えて、好きになって、好きになってもらえて、こうして一緒に今年の終わりを過ごせて、新しい年を迎えられるんだから、ほんとうにいい年だった」
 言葉にするごとに、想いは確かなものになるようだ。
 ほんとうに幸せだと思う。
 この答えを、チャーリーはどう思っただろうかと視線を向けると、ふいにチャーリーが顔を傾けて、芽衣の唇を塞いだ。
「っ!」
 芽衣はびっくりして、目を開けたままキスを受ける。チャーリーはすぐに唇を離した。しかし、まだほんの少し動くだけで、唇に触れられる距離に顔が留まっている。芽衣はどきどきして、顔が赤くなるのを感じた。
 チャーリーが芽衣にキスをするのははじめてではないし、チャーリーが好いてくれてキスをしたいと思ってくれていることも承知している。それに、いつだって芽衣にキスをしてもいい。けれど、やっぱり突然されると驚くものなのだと、芽衣はさきほどの自分の考えをあらためた。
「ひとつ、間違ってるよ。芽衣ちゃん」
「間違ってる?」
「僕はずっと、君のことが好きだったから。君に好きになってもらえて、好きになったんじゃない。僕がずっと好きで、奇跡的なことに、君が僕を好きになってくれたんだ」
 チャーリーはとてもしあわせそうに笑った。
 その顔に、芽衣の胸はいっぱいになって、目が離せなくなる。
「ずっと、ずっと好きだったんだ」
 しかし、すぐにチャーリーにふたたび唇を塞がれて、芽衣は目を閉じた。
 今度は深い口づけに、チャーリーの手を握りしめる。チャーリーの唇からは、とろけるように熱い想いが伝わってくるけれど、芽衣の胸は、チャーリーの言葉が棘のように刺さって、ほんの少し切なく痛んだ。
 チャーリーはずっと好きでいてくれて、きっとこれからもずっと想ってくれる。芽衣がチャーリーのことを知る前から好きで、芽衣がチャーリーを置いて死んでしまっても、好きでいてくれるのかもしれない。
 チャーリーの長い時間の中で、芽衣がチャーリーに想いをあげられるのはほんのわずかしかないのだ。
 キスを終えると、芽衣は、チャーリーの方へ向くように、体を動かした。
「チャーリーさん、好きだよ」
 チャーリーの胸に抱きついて、想いを告げる。
「うん、僕も大好き」
 チャーリーも芽衣を抱きしめ返してくれた。
 その力強い腕にも、好きだと思う。
 好きだと思うごとに胸が苦しくなる。
「……チャーリーさんずるいよ」
「ええっ、どうして?」
 芽衣がぼそりと詰ると、チャーリーは慌てたように体を震わせた。
「私ももっと早く、チャーリーさんのこと好きになりたかった」
 ひとりで想っている時間は切ないけれど、好きな人に早く出会えたことは羨ましい。もっと早く出会えていたら、もっと長くチャーリーを好きでいられた。芽衣は十六年も損している。
「私、もっとたくさんチャーリーさんのことを好きでいたい」
「芽衣ちゃん……」
 チャーリーは困ったような、嬉しそうな、どちらともつかない声で、芽衣の名前を呟いた。
「ほんとうにしあわせだな」
 けれど、すぐに、心からしあわせそうにそう言って、芽衣を抱きしめる腕に力を込める。
 その腕に身を預けて、芽衣は目を閉じた。
(……ずっとこうしていられたらいいのにな)
 叶わないことだとわかりながらも思ってしまう。
「……ね、チャーリーさんって、いくつなの?」
 芽衣は、ふと疑問に思って聞いた。チャーリーの過ごしてきた時間はどれくらいで、芽衣を想っていた時間はどれくらいなのだろう。
「えっ……いくつ? 年? うーんどうなんだろう? 特に数えてなかったから、よくわからないや」
 チャーリーは探るように視線をさまよわせてから、結局、肩をすくめた。
「……それじゃあ、誕生日もわからないの?」
「うん。誕生日のある物の怪の方が珍しいと思うよ」
「そっか……」
 チャーリーの返事に、それもそうかと納得する。
 しかし、誕生日がわからないのも寂しい。
 そう思ってふいに壁の時計が目に入り、芽衣は閃いた。
「じゃあ、あした!」
「え?」
 突然声を上げた芽衣に、チャーリーは目を瞬く。
「チャーリーさんの誕生日、一月一日にしよう」
「な、なんで? ていうか、どうして誕生日を決めるの?」
「だって、チャーリーさんが生まれたことをお祝いしたいから。それに、昔は、お正月にみんな年をとってたんでしょう? ならチャーリーさんもいっしょ。だから、一月一日」
 芽衣は、我ながらいい案だと思って胸を張った。
「ね、いいよね?」
 しかし、一応、本人に意思を確認する。
「もちろん。芽衣ちゃんに決めてもらえるなんて幸せだよ」
 チャーリーは笑顔で頷いた。
 たぶん、誕生日にこだわっているのは芽衣だけで、チャーリーは芽衣が言うのならなんでもいいのだろう。それでも、チャーリーの誕生日を祝えるようになるのは嬉しい。
「そうしたら、何歳から始めようか?」
 三百歳くらいなのだろうか、それとも実は三十歳くらいなのだろうか。芽衣は、チャーリーの顔を検分しながら考えた。
「それなら……芽衣ちゃんと同い年がいいな」
「えっ……高校生は無理があると思うよ?」
 もじもじと照れ気味に希望を告げるチャーリーの厚かましさに一瞬言葉を失ったものの、芽衣はそっと諭す。
「芽衣ちゃん……お揃いで嬉しい! とか、もっとロマンチックな考え方しようよ。女子力低いよ?」
「じょ、女子力とかそういうことじゃないでしょ! チャーリーさん、どう見ても年上だし……」
 しかし、逆にチャーリーに心配そうに諭されて、芽衣はむきになって言い返した。かわいいものより牛が好きな時点で女子力については諦めているが、指摘されるとむっとするものだ。
 すると、チャーリーはおかしそうに笑ってから言った。
「僕がこうして生きるようになったのは、君と出会ったときからだから、君が生まれたときから、僕の年を数えたっていいじゃない」
 チャーリーのやさしい顔と言葉にもちろんどきどきする。けれど、芽衣は本当のことを知りたかった。チャーリーの生まれたときや場所やどうやって生きてきたのか――チャーリーのことを知りたいのだ。チャーリーは芽衣のことを知っているのに、芽衣は知らないなんてずるい。それでも、無理なことを言っているとわかるから芽衣は仕方なく頷いた。
「……まあ、チャーリーさんがそう言うなら」
「そんなに渋々?」
 そう、チャーリーが情けない顔をしたときだった。
 ゴーン、ゴーンと振り子時計が鳴った。
 いつのまにか蓄音機が止まっている。
 年が明けたのだ。
「わ、あけましておめでとう、チャーリーさん。今年もよろしく」
 芽衣は、会話を放り投げて、チャーリーに言った。
「うん。こちらこそ。あけましておめでとう」
 チャーリーも笑って応えてくれる。
 一年の終わりを大好きな人と過ごし、新しい年のはじまりを一緒に迎えられるのは、とてもしあわせだった。
 芽衣は、もういちど口を開く。
「お誕生日おめでとう、チャーリーさん」
 そして、今さっき決めた誕生日も祝う。
 チャーリーが生まれてくれて、芽衣はこんなにもしあわせなのだ。チャーリーが生を享けて、芽衣の前にいることを感謝したい。
「ありがとう」
 チャーリーはまた笑って応えてくれた。
「プレゼントはまた今度ね。急なことだったから」
「うん。楽しみにしているよ」
「今はこれで」
 そっと、今度は唇に、芽衣からキスをする。
「今年は一年ずっと一緒にいてね。それで、来年のお正月もいっしょに迎えよう?」
「もちろん。僕はずっと芽衣ちゃんのそばにいるよ。君が望むだけずっと」
 どこまでもやさしい言葉を聞きながら、芽衣はチャーリーを抱きしめた。

 

おわり

ハッピーウィッシュバースデー(鏡芽)


  その日のお座敷は いつもの紅葉先生のもの
  いつものように指名を受けて いつものように末席で
  上座の唄も踊りもそっちのけで のんびり過ごして
  零時になる前に
  そっと ふたりで抜け出した
  今日が何の日か もちろん承知している
 「鏡花さん、お誕生日おめでとうございます」
  芽衣は ぎゅっと 愛しい人を抱きしめた


 ***

 

 日がかわれば、鏡花の誕生日。
 宴席を抜け出した鏡花と芽衣は、こっそり音二郎に取ってもらった別室に飛び込んだ。
 二人が宴会を抜け出したことは、紅葉やその連れの文士たちにばれないように、音二郎がしこたま飲ませている。酒を飲んでくれればそのぶん料亭はもうかるし、置屋にも見返りがくるからみんながハッピーだ。支払う紅葉には少し負担がかかるかもしれないが、愛弟子の誕生日ということで、良心に痛む胸を見ない振りした。
 芽衣のいたところでは、個々の誕生日を祝うのだと話したら、音二郎は「鏡花の誕生日大作戦」に大いに盛り上がって、料亭の別室の手配から、紅葉たちの気を引くことまで、なんでも引き受けてくれた。そのおかげで、鏡花と芽衣は、誰に気づかれることなく、宴席を抜け出すことができたのだった。
「はあ」
 八畳ほどの部屋に入るなり、鏡花は息を吐きながら、芽衣を抱きしめる。前触れもなく胸に抱き寄せられて、芽衣はどきどきした。鏡花からはいつものお香に混じって、アルコールの匂いがする。それにいつもと違うことを意識させられて、少し緊張した。
 料亭の中では小さめの部屋にふたりきり。熱気に満ちたお座敷とうってかわって、ひんやりとして静かで、にぎやかな声や音色がかすかに聞こえてくるばかりだ。
 部屋を借りちまえばいいんだよ、という音二郎のすすめに従って、―-というか、なすがままというか、その話をした次の日には、部屋を手配しておいたから、と言われたのだが――部屋を借りたはいいものの、音二郎は何と言ったのか、部屋の隅には布団が敷いてあった。枕はひとつなので例の茶屋で見たものよりは健全に見える。音二郎は休憩用とでも言ったのかもしれない。だが、意識してしまう。
「うまくいったね。きっと誰も気づいてないよ」
 一方、鏡花は、楽しそうに無邪気に言った。
 鏡花は部屋に入るなり、芽衣を抱きしめて、布団に背を向ける形で座ったから、まだこの存在に気づいていないのかもしれない。できれば、あまりこれには触れないでほしいと思うが、狭い部屋の中で、ずっと気づかないということもないだろう。ひとまずは、そのときまであれには触れないことにして、芽衣は目を転じた。
「はい。音二郎さんのおかげです。ほんとうにたくさん飲ませてましたよね」
 みんな明日も仕事だろうに、大丈夫だろうかと心配になるくらい、へべれけだった。家に帰れるのかも心配になる。
「ああ。それだよ。川上に、こんなに借りを作って、あとで何を言ってくるか……」
 音二郎の名を出すと、鏡花はあからさまに顔を顰めた。腕が自由なら頭を抱えそうなほどだ。
「音二郎さん、からかうくらいだと思いますよ」
 芽衣は、その激しい懊悩をやわらげようと、笑って言った。
 どうだったんだ、とにやにや笑いながら聞いてくる音二郎が、たやすく思い浮かぶ。
「あんたは川上がどんな男かわかってなさすぎる」
 しかし、鏡花は納得せず、憮然として、軽く芽衣を睨んだ。
「あんたにはいい顔してるかもしれないけど、どれだけ意地が悪くてしつこくて、無茶苦茶で、がさつで――」
 鏡花は、音二郎の悪口をどこまでも並び立てていく。
 鏡花が神経質なら音二郎はデリカシーがない。
 そんなふたりがこれほど仲がよいのだから、人間は面白いものだと思ってしまう。
「鏡花さんと音二郎さんは、本当に仲良しですね」
 まだ続いている鏡花の悪口に割って入って、芽衣は言った。
 鏡花はぴたりと止まり、芽衣を信じられなさそうに見る。
「なっ……。あ、あんた、耳までグズなの!? 今の聞いてた?」
「はい。聞いていましたよ」
 鏡花の反応など予想済みだ。だから、どんなにきゃんきゃんと言われても、芽衣はまったく堪えなかった。
(あ……!)
 そのとき、部屋の時計がかちりと零時ちょうどを指し示した。
 芽衣はそれを見て、音二郎の悪口から芽衣がいかにグズかの講釈へと移行して話し続ける鏡花の腕を引く。
「鏡花さん、お誕生日おめでとうございます」
「え?」
 芽衣が前置きもなく言うと、鏡花はきょとんとした。
 その薄い反応に焦れて、芽衣は時計を指差す。
「ほら、四日になりました」
「あ、ああ」
 鏡花も時計を見て、日がかわったことを認識した。
「お誕生日おめでとうございます」
 芽衣はあらためて、鏡花に言う。
 今日は、鏡花の誕生日。特別な日だ。
「う、うん……あ、ありがとう」
 今度は、鏡花は照れ臭そうに少し頬を赤く染めた。
「あ、あのさ、芽衣……」
 そして、意気込んだ顔で、芽衣に何かを言おうとする。
「はい?」
 芽衣は何だろうと思いながら、鏡花の赤い顔を見つめた。
「…………」
 鏡花の頬が、心なしかより赤くなったように見える。
(どうしたんだろう?)
 芽衣は、ますます鏡花を見つめた。
 すると、ふいと鏡花が視線をそらしてしまう。だがすぐに戻ってきて、芽衣の目とぶつかると、わずかに体を揺らした。
「…………」
「……」
「…………」
「……」
 待てど暮らせど、鏡花は話し出さない。
「鏡花さん?」
 結局、芽衣が先に口を開いた。
「いや、その……」
 鏡花は、弾かれたように反応するが、やっぱり固まってしまう。
 しばらく、そんなおかしな鏡花を見つめていたが、芽衣は、鏡花の向こうに床の間を見て、そこに置かれているものを見つけると、そのままではいられなくなった。
「鏡花さん、ちょっとすみません」
 身じろいで、鏡花の腕の中から出る。
「え?」
 立ち上がる芽衣に、鏡花は慌てた顔をした。
 それを見て疑問に思ったものの、芽衣は床の間に向かう。そこには、部屋に置いておいてと頼んだ、芽衣の風呂敷包みがあった。芽衣はそれを手にして、鏡花のもとに戻る。
「よ、よかった……」
 鏡花の前に座り直すと、鏡花はほっとしたように息をついた。
「? なにがですか?」
「あ、いや、なんでもないよ。それより、なんだよ、それ」
 鏡花の様子のおかしさは気になるが、鏡花に手の中のものを指差されて、芽衣はそちらを先に済ませることにした。
 風呂敷包みを外すと、中からは、きれいな木箱があらわれる。
「鏡花さん、これ、誕生日プレゼントです。よかったら」
 芽衣は、それを鏡花に差し出した。
「え、ぷ、ぷれぜんと?」
「あ、すみません。贈り物のことです。誕生日なので、お祝いしたくて」
 鏡花のきょとんとした顔に、芽衣は慌てて言い直した。
「へ、へえ。いい心がけじゃないか」
 すると、鏡花はとても嬉しそうに、木箱を受け取り、いそいそとそれを開けた。
 芽衣は、少し緊張して、鏡花の反応を待つ。
 一応、鏡花が好きなものを用意したつもりだが、もしかしたら好みに合わない可能性もある。
 そう芽衣がじっと見つめている先で、鏡花は包みを開け終わり、中のものを取り出した。
「わあ、ウサギの筆入れじゃないか」
 芽衣が選んだのは、ふたの部分に白いウサギの装飾をあしらった黒の漆の筆入れだ。
 それを見て、鏡花の目がきらきらと輝いた。これは、鏡花のウサギグッズ審査を通ったとみていいだろう。
 ウサギグッズならよほどのことでない限り大丈夫だと思っていたが、ちゃんと気に入ってもらえて、芽衣はほっとして嬉しくなった。
「これなら、使ってもらえるかなって思ったんですけど」
「うん。大きさもちょうどいいし。何と言っても、このウサギがいいよね。目が赤くて僕のウサギにそっくりだし」
 鏡花はうっとりと筆入れをながめつすがめつしてから、はっと我に返ってその顔を引き締めた。
「――って、あ、あ、あんたにしてはいい選択だね」
 鏡花は、まるで興味はないけれどもらってやる、という顔をして言う。しかし、筆入れを木箱にしまう手つきは、ひどく丁寧だ。
 その手や、さきほどの顔や、思わず出ていたうっとりとした言葉から、今のは照れ隠しで、プレゼントを気に入ってくれていることはわかるのだが、今日くらいは素直な言葉も聞きたい。
「あんまり好みじゃなかったですか?」
 芽衣は少し残念そうな顔を作って、鏡花の顔を窺った。
 すると、鏡花は、一瞬、言葉に詰まってから、顔を赤くしてそっぽを向いてしまう。
「き、気に入ったって言ってるんだよ! ……大事にする。あんたからの贈り物だし」
 最後は、ぼそりとだけれど、芽衣がほしい言葉を言ってくれて、芽衣は顔を綻ばせた。
「嬉しいです。鏡花さんが喜んでくれて」
 ウサギグッズなら大丈夫とわかっていても緊張したし、あれこれと大いに悩んだ。だから、鏡花が思ったとおりに喜んでくれて、芽衣はほんとうに嬉しかった。
 鏡花は、そんな芽衣を、目を瞠って見つめる。
「あ、あのさ、芽衣」
 それから、木箱をそっと脇に置くと、拳ほどとしかあいていないふたりの距離をにじり寄って詰めてきた。
 こつんと膝がしらがぶつかる。
 そのまま抱き寄せられるような距離と勢いだったが、鏡花は空いた手をぎゅっと握りしめて、腿の上に置いた。
「きょ、今日は僕の誕生日だからね、ぼ、僕にくっついたりしてもいいけど!?」
 そして、まるで怒っているくらいの強い口調で言い放った。
(……ええっ、と……?)
 芽衣は目を瞬く。
 つまり、これは、許可を与えているようで、鏡花にくっつけと所望されているのだろう。
 突然そんなことを言われて、芽衣は大いに戸惑った。
「な、なに、嫌なわけ!?」
 芽衣が鏡花を見つめたまま固まっていると、鏡花は焦れたように催促してくる。
「あ、いえ、嫌ってわけじゃ……」
「じゃあ、早く、く、くくくっついたら?」
「は、はあ……」
 それを要求するのに、これほど動揺して、恥ずかしそうなのに、どうして鏡花はいつものように自ら抱きしめてこないのだろう。そうしたら、芽衣もこれほど恥ずかしく思うことはないのに、と芽衣は動けない理由を鏡花になすりつけた。鏡花にくっつくのは嫌ではない。ただあまりに唐突で、脈絡も情緒もなさすぎてびっくりして、あらためてそんなことをするのは恥ずかしい。
 芽衣がそうやって固まっていると、鏡花の赤らんだ顔に少しずつ悲しそうな表情が浮かび出した。どうやら、芽衣が嫌がって、拒絶されたように感じているらしい。
「ええっと、それじゃあ失礼して……」
 芽衣は、慌てて、やる意志があることを表明する。
 鏡花にくっつくのが嫌なわけではないし、いつだって鏡花を悲しませるのは嫌だ。それに今日はなんといっても、鏡花の誕生日だ。
(あ……)
 芽衣は、ふと閃いた。
 今日は、誕生日だから、鏡花はしてもらいたいのだろうか。たまには、芽衣から触れてほしいと思っているのかもしれない。もし、芽衣が逆に、いつも鏡花に触れるばかりで、鏡花から触れられなかったら、たまにはそうしてほしいと思うだろう。
 いつも、芽衣も鏡花に触れたい。しかし、そう思ったときには、鏡花が触れてくれているので、芽衣から触れなくても済んでいた。
(鏡花さん……)
 まるで子ウサギのようにぎゅっと拳を握りしめて待っている姿が、いじらしい。
「鏡花さん」
 芽衣は鏡花にそっと呼びかけて、その手を取った。
「あ……」
 鏡花が驚いたように顔を上げる。
 取った手を引いて、鏡花を胸に抱く。
 鏡花がいつもしてくれるときは、芽衣の体はすっぽりと鏡花の胸の中におさまるのだが、体の大きさが違うからそうはいかない。それでも、芽衣は鏡花の体を包むようにと、抱きしめた。
 鏡花が自分の腕の中にいるというのは、抱きしめられるのとまた違った、鏡花を有しているような充足感を得て、心が満ちた。
「め、めめめ芽衣!?」
 鏡花が焦ったように、体を起こそうとするのを、ぎゅっとおさえつける。
「鏡花さん、お誕生日おめでとうございます。こうして一緒にお誕生日を過ごせて、とても幸せです」
 芽衣は、鏡花のさらさらの髪を撫でて、その頭に頬を寄せた。
 起き上がろうとしていた鏡花の動きが止まる。
 そして、そろりと背中に腕が回った。
「うん。僕も。あんたと一緒にこうしていられて嬉しい。幸せだよ」
 鏡花は、芽衣に応えてくれた。
(嬉しいな……)
 今、キスをしたい、と思う。
 鏡花が抱きしめたあと、よく接吻をするのは、今の芽衣と同じ衝動が湧くからかもしれないと思った。
 触れると、心の奥底から、鏡花が愛しい気持ちが湧いて広がって、もっと触れたくなる。
 芽衣は鏡花の顔を覗きこむために、体勢をかえようと思い、ほんの少し腕の力を抜いた。
 その途端、鏡花の体に力が入って、そのまま後ろに倒される。
(わ……)
 鏡花に抱きしめられたまま、畳の上に重なって転がった。
 鏡花の重みに、どきどきする。
 そして、今さらながら、胸の上に鏡花の頭があることに、恥ずかしくなった。さっきは自ら押しつけるような真似をしたのだが、それを意識するのとしないのとでは、大きく違う。
 芽衣が焦っていると、鏡花はすぐに体を起こしてくれたのでほっとした。
 鏡花の体がそっと伸びて、唇に触れるだけのキスをする。
 したいと思っていたけれど、してもらえたら、なんだかとてもどきどきして、じんわりと頬が熱くて、芽衣はただ鏡花を見つめた。
「……あんたって色々反則すぎる」
 鏡花は、芽衣をなじって、もう一度口づける。
 今度はもう少し長く、唇が触れ合って、鏡花の体も芽衣の上に落ちてきた。
 鏡花は、そのまま芽衣を背中から抱えるようにして抱きしめ、畳みの上で横向きに寝そべる。そうして、芽衣のうなじや耳の裏に唇をつけていった。
「んっ、きょ、鏡花さん、くすぐったいです」
 触れられるだけならまだしも、たまに強く吸われるとくすぐったい。芽衣は笑いながら畳の上で身じろいだ。
「っつ」
 そのうちに、畳で強く手の甲をこすってしまって、皮がすりむける程度の小さな傷がついた。
「だ、大丈夫? ごめん」
 小さな悲鳴を聞き取って、鏡花が慌てて体を起こす。
「大丈夫です。なんともありません」
 芽衣は傷ともいえないすりむけを見て、心配そうな鏡花に笑ってみせた。
 鏡花もそれを見てほっとした顔をしたが、なぜかそのままの体勢で、じっと考え込んでしまった。
「鏡花さん?」
 芽衣が不思議に思って呼びかけると、鏡花はごくりと喉を鳴らす。鏡花に覆いかぶさられているから、喉が動くのがよく見えた。いったいなにを緊張しているのだろうと、ますます不思議に思う。
「……あ、あっちに布団もあるけど、あそこでごろごろする? あ、あんたがここでいいなら、別にいいけど」
 すると、鏡花は顔を赤くしながら、そう言った。
「え……」
 芽衣の顔も赤くなってしまう。
(ふ、布団……)
 芽衣はちらりと部屋の奥に用意された布団を見た。
 この部屋に入ったときのどきどきが戻ってくる。狭い部屋。誰もこない部屋。ここに鏡花とふたりっきり。それがどきどきしないでいられようか。
 実は、今日、このあとどうすればいいのだろう、と芽衣は少し困っていた。
 鏡花の誕生日を日がかわったときから一緒に過ごしたい。
 誕生日の前日に遅いお座敷が入ったとき、芽衣が思ったのはそれだった。少し抜け出して、おめでとうと言って、それでまたお座敷に戻れるチャンスがあるだろうかと思ったのだ。
 それを音二郎に話すと、部屋を借りたらいいと言ってくれて、ほんとうに借りてくれて、朝まで借り切ったから自由に使えと、言ってくれた。置屋には外泊を誤魔化してやると、頼もしく請け負ってくれた。今日の音二郎の飲みっぷりからすると、少し、ちゃんとやってくれるか不安になる言葉だが、信じていいだろう。鏡花も芽衣も帰らなくていい。ここに朝までいていい。
 朝まで。
 朝まで?
 自問自答してしまう。
 鏡花と一緒にいられるのは嬉しいが、朝までというのはそういうことになるのだろうか。結婚はまだだが婚約はしていて、つい先日紅葉の怒りも解けて、周りのひとに正式にお披露目会も行った。結婚までカウントダウンだ。そんな身で、ためらうのもおかしい話なのだろうか。
(でも……)
 結論が出ずに、ぐるぐるしてしまう。
 ふと、頬に、鏡花の手が触れた。
 はっと鏡花を見る。
「そんな困った顔するなよ」
 鏡花こそ困った顔をして、芽衣を見下ろしていた。
「ご、ごめんなさい。あの……」
 また拒絶したと思われて、傷つけてしまったかと焦って、芽衣は決して鏡花が嫌いなわけではないのだと伝えようとする。
 しかし、鏡花は、特になにも気にしていない顔で、芽衣の隣にごろりと転がった。
「あれはあんたが使えばいいよ。僕はこのへんで寝るから」
 鏡花は座布団をたたんで頭の下に置く。
 つまり、さきほどのは、ただの添い寝のお誘いだったらしい。
 芽衣は、そうわかって、勢いよく起き上がった。
「い、いいえ! 今日は、鏡花さんの誕生日ですから、あれは鏡花さんが使ってください!」
 一緒に寝るだけなら、なにもためらうことはない。だが、それをそのまま伝えることは恥ずかしくて、鏡花に布団を譲るだけにした。本当はもう一組布団を借りられればいいのだが、ここにふたりでいることを知られたくないので、それはできない。
 布団を並べて眠れたら楽しかっただろうな、とほんの少し残念に思う。
「いいよ。あんたが使いなよ。畳の上で寝かせて、あんたが風邪引いたら、僕が面倒見なくちゃいけないだろ」
 鏡花はさも面倒そうに手を振った。
 鏡花の発言に、芽衣は首を傾げる。
「鏡花さんが面倒を? 大丈夫ですよ、音二郎さんが――」
「それが嫌だから、僕が置屋に行ってやるって言ってるんだよ!」
 置屋暮らしなのだから、鏡花の手を煩わせることはない、と言おうとしたら、鏡花に目を剥かれて怒られた。
「あ、その……すみません。ありがとうございます」
 芽衣は謝って、礼を言う。
 鏡花のやきもちに触れたり、本気で来てくれようとしているのだと知ったりして、胸のうちが嬉しさでぽかぽかと温かくなった。
「なに、そのにやけた顔」
 鏡花に睨まれても、なんともない。
「いえ。風邪ひいたときに、鏡花さんが来てくれるなんて嬉しいなって思って」
 芽衣はありのままを告げた。
「あ、あああんたね……」
 すると、みるみる鏡花の顔が赤くなる。
 鏡花は、きっと、何を言っても布団を芽衣に使わせてくれるだろう。鏡花だけが使うことはない。しかし、鏡花が風邪をひいてしまわないか心配だ。ならば、やはりふたりで一緒に使うのがいちばんだろう。
 それをどう、鏡花に望んでもらおうかと考え、芽衣はひとつのことを思いついた。
「あの、鏡花さん。寝る前にひとつ、聞いてください」
 芽衣は、寝転がっている鏡花の隣に正座する。
「今日は誕生日なので、三つお願い事を叶えてあげます」
「へ? 願い事?」
 唐突な話に、鏡花は思いっきりきょとんとした。
「はい。できることならなんでも喜んできくんです」
 芽衣は、どこまでもふつうの顔をして、真面目に言う。
 この時代のひとは、自分の誕生日を祝う習慣がない。だからこそ、音二郎は鏡花の誕生日大作戦にノリノリになったのだ。その習慣を知っているのは芽衣だけで、その芽衣がもっともらしく言えば、鏡花もそういうものだと騙されることだろう。
「みっつ……それも、あんたのいたところの習慣なの?」
 思ったとおり、鏡花は、気を引かれたように体を起こす。
「はい。日がかわって二刻までの魔法の時間です。遊びのようなものですけど。あ、ひとつめは、さっき、鏡花さんに言われてくっついたので、叶えたということで……」
「え、なんだよ、それ。後から言うなんてずるいだろ!」
 芽衣があまり変なことを言われないように、お願いの個数を減らそうと画策すると、鏡花はすぐに口を尖らせた。
 言われて、芽衣も、ずるいかなと思い直す。
「わかりました。確かにそうですね。じゃあ、ひとつめからどうぞ」
「ど、どうぞって、そんな……」
 芽衣が聞く態勢を取ると、鏡花はたじろいだ。
 確かに、願いごとをどうぞ、と言われて、すぐにあれとこれとなんて言うのは難しいだろう。鏡花が一緒に寝ようと言いやすいようにするにはどうしたらいいかと考えた末の思いつきだったのだが、うまくなかったかもしれない。けれど、そんな適当な思いつきだったが、鏡花は三つ何を願うのだろうという興味が湧いてしまって、取り下げられなかった。自分だったら、そんなことを言われたら、何を願うだろうとも思う。
「じゃ、じゃあ、ひとつめ」
 そんなことを思っていると、視線の先で、鏡花が考えを固めたような顔をした。
「はい」
 芽衣は少し緊張して待つ。
「……接吻してよ」
 鏡花は少し顔を赤らめて言った。しかし、その目は、ほんとうに芽衣がするのかと窺うようだ。
「わ、わかりました」
 芽衣は恥ずかしい気持ちをおさえ、動じていないかのように振る舞って頷いた。
 内心、最初からハードルの高いお願いが来てしまったと、心臓がばくばく言っている。しかし、喜んで叶えなくてはいけないルールを自分で決めたのだから、恥ずかしがってはいられない。さっきは自らしたいと思ったのだから、大丈夫だ。できる、と自分に言い聞かせた。
 座っている鏡花に口づけをするために、芽衣は膝で立つ。そうして、さらに近づこうとして、鏡花の両の目とばっちりぶつかった。見られたままはさすがに気まずい。
「え、えっと、目を閉じてください」
 芽衣は、それ以上進めなくなって、鏡花に頼む。
「わ、わかった」
 鏡花はじっと見ていたことに気づいていなかったのか、少し恥ずかしそうな顔をしてから目を閉じた。
 鏡花は、ぎゅっと目をつぶっている。
 そうやって、キスを待たれていると、それはそれで、なんだかとても恥ずかしかった。
 あまりまじまじと見たことはなかったが、鏡花の顔はきれいだ。
 その唇に、触れる。
 意識すると、どきどきと心臓が乱れだした。
(だ、駄目だって……さっとやって、終わらせないと……)
 鎮まれ心臓、と芽衣は胸を押さえる。
「な、なにしてるんだよ!」
 ほんの数秒の逡巡だったが、目を閉じている鏡花には長く感じたのか、鏡花はうっすらと目を開けて、怒った。
「は、はい、すみません。今します」
 芽衣は謝って、鏡花の肩に手を置く。
 鏡花は再び目を閉じてくれた。
(見なければいいんだ)
 鏡花を見ていると緊張してしまうと気づき、芽衣は、鏡花に置いた手を、肩から頬に動かした。こうすれば、目を閉じても、ずれることはないだろう。
 芽衣は目を閉じて、顔を近づける。
 触れて、離れる。
 やわらかな感触を感じたか感じないかくらいの、わずかな接触。
 それが、精一杯だった。
「はい」
 芽衣は、鏡花から離れて、正座し直す。
 鏡花がゆっくりと目を開いた。
 その顔は、とてつもなく不満そうだ。
「あのさ。今のって、したってことになるの?」
 声も不満いっぱいだった。
「な、なりますよ! 触れたじゃないですか!」
 全身からたちのぼる不満のオーラに気圧されながらも、芽衣は主張した。キスはした。それは確かだ。
「全っ然、わからなかった! やり直し」
 鏡花は、力を込めて首を横に振る。
「そ、それは、ふたつめのお願いですか?」
「はあ? いっこめのやり直しだよ!」
「そ、そういうの聞いていたら、いつまでも終わらないからだめですよ」
 自由自在のマイルールなので、鏡花の要望を受け入れることもできるのだが、恥ずかしい方が先立って、芽衣は逃げた。
「……わかった」
 鏡花は不満顔のままで頷く。
 まったくわかっていない顔だが大丈夫だろうかと思っていたら、胸元を掴まれた。
「きゃっ……んっ」
 そのまま引き寄せられて、もう一度、唇が重なる。
 芽衣がしたキスとは比べものにならないほど、しっかりと唇が触れた。
「来年は、こういうのって言ってからにするよ」
 唇を離すと、鏡花はそう言って、また軽く口づける。
(来年……)
 明日には、これは方便だと伝えるつもりだったので、芽衣は気まずくなった。今告げてしまおうかと心が揺れる。しかし、決まる前に鏡花に抱き寄せられてしまった。
「ふたつめは、今日、隣で寝てほしい」
 まるで、芽衣の心を覗いたかのようなお願いごとに、芽衣はびっくりする。そう言ってくれればいいと思って仕掛けたことだが、まさか本当にそれをそのまま言ってくれるとは思わなかった。
 もしかしたら、鏡花はこの無茶苦茶な話に気づいているのかもしれない。それで、話にのってくれているのかもしれない。どちらかはわからない。ただ、そうであっても、そうでなくても、目的は達成できたからよしとしよう。
「はい」
 芽衣は楽観的にそう思って、鏡花に頷いた。
 ふたりで並んで布団に入る。
 どきどきはしたが、恥ずかしいというよりも、あったかくて嬉しい。
 芽衣が鏡花の方を向いて横になると、鏡花も同じように芽衣の方を見て横になった。
 どちらからともなく手を握る。
 あたたかい。
 しあわせで、胸がいっぱいになる。
「鏡花さん……」
 すぐそこの鏡花に、芽衣はそっと呼びかける。
「なに?」
 鏡花もささやくように応えた。
「三つ目のお願い、聞いてもいいですか?」
 芽衣が勝手に定めた日がかわってから二刻――一時間がもう少しできてしまう。
 その前に、三つ目を願ってほしい。
 芽衣は最後の願いを知りたかった。
「みっつ目は……」
 問われて、鏡花は目を細める。
「ずっとそばにいて」
 真剣な声に、とくんと心臓が鼓動した。
「今日だけじゃなくて、あしたも、来年も、もっとずっとずっと先―-僕が消えるときまで」
 鏡花の手が、ぎゅっと芽衣の手を握りしめる。
「ずっと」
 祈るように切なくて、とても優しい声。
 芽衣は胸がいっぱいになって鏡花の手を握り返した。
「はい」
 そして、強く頷く。
「ずっと、そばにいます。来年も、再来年も、ずっと……私が消えるときまで、こうして鏡花さんのそばに」
 消えるときなんて悲しいことは想像したくないし、あまりうまくできない。けれど、いつかの未来、その日も、鏡花の傍らにいたい。そばにいてほしい。
 最後まで、ずっと一緒にいたい。
「鏡花さん、お誕生日おめでとうございます」
「ありがとう」
 ふたりは微笑み合い、そっと目を閉じた。


おわり

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