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ハッピーユアバースデー(チャリ芽)

 もう少しで年が明ける。広くない店の中は、蓄音機から流れるやさしいワルツで満ちていた。目を閉じれば、あの時代にいる気分になる懐かしい音色に、やわらかな空気が蘇るようだ。
 芽衣は力を抜いて、後ろに座るチャーリーの胸に頭を預けた。硬い胸に受け止められると安心する。
 ひとつの椅子にふたりで座って、恥ずかしく思うよりも落ち着くようになるなんて、この年のはじめには思わなかった。それに、好きなひととふたりで年越しをすることになるとも思っていなかった。
(ラッキーだったな)
 家族は親戚の家に行っている。急きょ決まったので、どうやってチャーリーと過ごそうかと悩んでいた芽衣は、もう友だちと約束をしてしまったと言って家に残った。明日は家族に合流するが、思いもかけず、簡単にチャーリーとの年越しが実現した。
「この曲が終わったら新年だよ、チャーリーさん」
 壁にかかった振り子時計を見て、芽衣は言う。
 テレビもつけずに大みそかを過ごすのもはじめてだ。新年は、テレビの中の誰かではなく、あの時計の鐘が教えてくれるだろう。
「今年はどんな年だった?」
 頭の上から、チャーリーの声が降ってくる。
(どんな年……)
 芽衣は宙へ視線を巡らせた。
「いい年だった? それともいやなことがあったかな」
 チャーリーの言葉に導かれるように、いいことやいやなことが脳裏に閃いては消えていく。
「聞かせてよ、芽衣ちゃん」
 ひょいとチャーリーが芽衣の肩越しに顔を覗き込んできて、視界にきらきらと光る銀色の髪が入った。間近で、赤い瞳と視線が絡んで、すこし体温が上昇する。触れ合うことに慣れてきたものの、こうして間近に顔を寄せられると、やはりどきどきした。
「うーん……誰かさんのせいで、明治時代に飛ばされたりして大変な年だった」
「あ、ははは」
 芽衣が照れ隠しで意地悪を言うと、チャーリーは笑って誤魔化した。芽衣もすぐに笑う。
「なんて冗談だよ。タイムスリップしたのは大変だったけど、でも行けて良かった」
 ほんのひと月だけのあの日々は、まるで夢のようだけれど、確かに芽衣の中に残っていて、とても大切だ。出会った人たちの顔も声も、触れた手も覚えている。戸惑うことも多かったのに、いつのまにか馴染んでいたのは、あの時代が心地よかったからだろう。それになにより、あの出来事がなかったら、いちばん大切なものを得ることができなかった。
「だって、チャーリーさんが明治に行かせてくれたから、こうして仲良くなることができたんだもの」
 芽衣は、チャーリーの手をぎゅっと握りしめる。
「ありがとう、チャーリーさん」
 そして、すぐそばにあるチャーリーの白い頬に、軽くキスをした。
「芽衣ちゃん」
 チャーリーは細い目を見開いて芽衣を見つめる。
 そんなチャーリーに、芽衣は笑ってしまった。
 そんなに驚かなくてもいいだろう。
 芽衣がチャーリーにキスをするのもはじめてではないし、チャーリーのことが好きなのだから、キスをしたいと思うのも当然だ。それにいつだってチャーリーにキスをしていい資格がある、と思う。
「今年は、とてもいい年だったよ」
 芽衣はきちんとほんとうの答えを伝えた。
「チャーリーさんと出会えて、好きになって、好きになってもらえて、こうして一緒に今年の終わりを過ごせて、新しい年を迎えられるんだから、ほんとうにいい年だった」
 言葉にするごとに、想いは確かなものになるようだ。
 ほんとうに幸せだと思う。
 この答えを、チャーリーはどう思っただろうかと視線を向けると、ふいにチャーリーが顔を傾けて、芽衣の唇を塞いだ。
「っ!」
 芽衣はびっくりして、目を開けたままキスを受ける。チャーリーはすぐに唇を離した。しかし、まだほんの少し動くだけで、唇に触れられる距離に顔が留まっている。芽衣はどきどきして、顔が赤くなるのを感じた。
 チャーリーが芽衣にキスをするのははじめてではないし、チャーリーが好いてくれてキスをしたいと思ってくれていることも承知している。それに、いつだって芽衣にキスをしてもいい。けれど、やっぱり突然されると驚くものなのだと、芽衣はさきほどの自分の考えをあらためた。
「ひとつ、間違ってるよ。芽衣ちゃん」
「間違ってる?」
「僕はずっと、君のことが好きだったから。君に好きになってもらえて、好きになったんじゃない。僕がずっと好きで、奇跡的なことに、君が僕を好きになってくれたんだ」
 チャーリーはとてもしあわせそうに笑った。
 その顔に、芽衣の胸はいっぱいになって、目が離せなくなる。
「ずっと、ずっと好きだったんだ」
 しかし、すぐにチャーリーにふたたび唇を塞がれて、芽衣は目を閉じた。
 今度は深い口づけに、チャーリーの手を握りしめる。チャーリーの唇からは、とろけるように熱い想いが伝わってくるけれど、芽衣の胸は、チャーリーの言葉が棘のように刺さって、ほんの少し切なく痛んだ。
 チャーリーはずっと好きでいてくれて、きっとこれからもずっと想ってくれる。芽衣がチャーリーのことを知る前から好きで、芽衣がチャーリーを置いて死んでしまっても、好きでいてくれるのかもしれない。
 チャーリーの長い時間の中で、芽衣がチャーリーに想いをあげられるのはほんのわずかしかないのだ。
 キスを終えると、芽衣は、チャーリーの方へ向くように、体を動かした。
「チャーリーさん、好きだよ」
 チャーリーの胸に抱きついて、想いを告げる。
「うん、僕も大好き」
 チャーリーも芽衣を抱きしめ返してくれた。
 その力強い腕にも、好きだと思う。
 好きだと思うごとに胸が苦しくなる。
「……チャーリーさんずるいよ」
「ええっ、どうして?」
 芽衣がぼそりと詰ると、チャーリーは慌てたように体を震わせた。
「私ももっと早く、チャーリーさんのこと好きになりたかった」
 ひとりで想っている時間は切ないけれど、好きな人に早く出会えたことは羨ましい。もっと早く出会えていたら、もっと長くチャーリーを好きでいられた。芽衣は十六年も損している。
「私、もっとたくさんチャーリーさんのことを好きでいたい」
「芽衣ちゃん……」
 チャーリーは困ったような、嬉しそうな、どちらともつかない声で、芽衣の名前を呟いた。
「ほんとうにしあわせだな」
 けれど、すぐに、心からしあわせそうにそう言って、芽衣を抱きしめる腕に力を込める。
 その腕に身を預けて、芽衣は目を閉じた。
(……ずっとこうしていられたらいいのにな)
 叶わないことだとわかりながらも思ってしまう。
「……ね、チャーリーさんって、いくつなの?」
 芽衣は、ふと疑問に思って聞いた。チャーリーの過ごしてきた時間はどれくらいで、芽衣を想っていた時間はどれくらいなのだろう。
「えっ……いくつ? 年? うーんどうなんだろう? 特に数えてなかったから、よくわからないや」
 チャーリーは探るように視線をさまよわせてから、結局、肩をすくめた。
「……それじゃあ、誕生日もわからないの?」
「うん。誕生日のある物の怪の方が珍しいと思うよ」
「そっか……」
 チャーリーの返事に、それもそうかと納得する。
 しかし、誕生日がわからないのも寂しい。
 そう思ってふいに壁の時計が目に入り、芽衣は閃いた。
「じゃあ、あした!」
「え?」
 突然声を上げた芽衣に、チャーリーは目を瞬く。
「チャーリーさんの誕生日、一月一日にしよう」
「な、なんで? ていうか、どうして誕生日を決めるの?」
「だって、チャーリーさんが生まれたことをお祝いしたいから。それに、昔は、お正月にみんな年をとってたんでしょう? ならチャーリーさんもいっしょ。だから、一月一日」
 芽衣は、我ながらいい案だと思って胸を張った。
「ね、いいよね?」
 しかし、一応、本人に意思を確認する。
「もちろん。芽衣ちゃんに決めてもらえるなんて幸せだよ」
 チャーリーは笑顔で頷いた。
 たぶん、誕生日にこだわっているのは芽衣だけで、チャーリーは芽衣が言うのならなんでもいいのだろう。それでも、チャーリーの誕生日を祝えるようになるのは嬉しい。
「そうしたら、何歳から始めようか?」
 三百歳くらいなのだろうか、それとも実は三十歳くらいなのだろうか。芽衣は、チャーリーの顔を検分しながら考えた。
「それなら……芽衣ちゃんと同い年がいいな」
「えっ……高校生は無理があると思うよ?」
 もじもじと照れ気味に希望を告げるチャーリーの厚かましさに一瞬言葉を失ったものの、芽衣はそっと諭す。
「芽衣ちゃん……お揃いで嬉しい! とか、もっとロマンチックな考え方しようよ。女子力低いよ?」
「じょ、女子力とかそういうことじゃないでしょ! チャーリーさん、どう見ても年上だし……」
 しかし、逆にチャーリーに心配そうに諭されて、芽衣はむきになって言い返した。かわいいものより牛が好きな時点で女子力については諦めているが、指摘されるとむっとするものだ。
 すると、チャーリーはおかしそうに笑ってから言った。
「僕がこうして生きるようになったのは、君と出会ったときからだから、君が生まれたときから、僕の年を数えたっていいじゃない」
 チャーリーのやさしい顔と言葉にもちろんどきどきする。けれど、芽衣は本当のことを知りたかった。チャーリーの生まれたときや場所やどうやって生きてきたのか――チャーリーのことを知りたいのだ。チャーリーは芽衣のことを知っているのに、芽衣は知らないなんてずるい。それでも、無理なことを言っているとわかるから芽衣は仕方なく頷いた。
「……まあ、チャーリーさんがそう言うなら」
「そんなに渋々?」
 そう、チャーリーが情けない顔をしたときだった。
 ゴーン、ゴーンと振り子時計が鳴った。
 いつのまにか蓄音機が止まっている。
 年が明けたのだ。
「わ、あけましておめでとう、チャーリーさん。今年もよろしく」
 芽衣は、会話を放り投げて、チャーリーに言った。
「うん。こちらこそ。あけましておめでとう」
 チャーリーも笑って応えてくれる。
 一年の終わりを大好きな人と過ごし、新しい年のはじまりを一緒に迎えられるのは、とてもしあわせだった。
 芽衣は、もういちど口を開く。
「お誕生日おめでとう、チャーリーさん」
 そして、今さっき決めた誕生日も祝う。
 チャーリーが生まれてくれて、芽衣はこんなにもしあわせなのだ。チャーリーが生を享けて、芽衣の前にいることを感謝したい。
「ありがとう」
 チャーリーはまた笑って応えてくれた。
「プレゼントはまた今度ね。急なことだったから」
「うん。楽しみにしているよ」
「今はこれで」
 そっと、今度は唇に、芽衣からキスをする。
「今年は一年ずっと一緒にいてね。それで、来年のお正月もいっしょに迎えよう?」
「もちろん。僕はずっと芽衣ちゃんのそばにいるよ。君が望むだけずっと」
 どこまでもやさしい言葉を聞きながら、芽衣はチャーリーを抱きしめた。

 

おわり

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