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ハッピーバレンタイン

※学園恋戦記

「孔明さん!」
 前を歩く見慣れた孔明の後ろ姿を見つけて、花は嬉々として駆け寄った。
 こんなところで出会えるなんてとても丁度いい。
「おはよう」
 花の声に、孔明は足を止めて振り返った。
「おはようございます。ここで会えて良かったです」
 学園までの通学路の、まだ家寄りの地点というのは好都合だ。
「なにが?」
 それは、完全に花だけが了解している都合なので、孔明は首を傾げている。
「はい、これ。ハッピーバレンタイン!」
 そんな孔明に、花はかばんの中から取り出したチョコレートを差し出した。
 これは、孔明に渡そうと思って持ってきたものだ。
 どう渡そうかと頭を悩ませていたが、ここで渡せてよかった。学校で渡すのは難易度が高いし、放課後家に行くのはわざわざ感がある。だから、こうして偶然、学園のひとがが通らないところで会えて、本当に良かった。
(あ、あれ?)
 ラッキーな遭遇に花は大喜びだったのだが、孔明の反応は芳しくなかった。
「…………」
 孔明は差し出されたチョコレートを見つめたまま、どこか憮然としている。
 鞄を持っていない方の手は全く動きそうにもない。
 受け取る意思を微塵も感じられなかった。
「そんなに甘くないんですけど……チョコレート、ぜんぶ駄目でしたっけ? すみません」
 孔明は甘いものが苦手だ。それを知っていたので、甘さ控え目にしたのだが、もしかしたらチョコレートは食べない人だったのかもしれない。リサーチ不足だった。
 申し訳なくなって引っ込めようとすると、箱をがしっと掴まれた。
「??」
 その勢いと力強さは、孔明らしからぬもので、花は目を丸くした。
「大丈夫」
 孔明はぐぐっと箱を自分の方へと引き寄せながら言う。
「ありがとう。謹んで頂くよ」
 そして、ついには花の手から奪い取った。
 笑顔の御礼だが、本当に喜んでもらえているのか全くわからない。
 箱は若干変形してしまっているし、最前の孔明の態度も気になる。
 渡してよかったのだろうかと大いに不安だったが、返してとも言えないので、花はチョコレートを見送った。
「ええっと……一応手作りなので、お腹には気をつけてくださいね」
 こんなことを言ったら余計チョコレートの末路が心配になるが、念のため注意する。
 試食のときに変な味はしなかったので大丈夫だと思うし、そんなことを言われたところで気をつけようもないだろうが、もし食べた後で不調になったら、これが原因の可能性もある。知らせておくのがマナーだろうと思った。
「え、手作りなの?」
 しかし、孔明は予想に反して、どちらかといえば好意的な声を上げた。
「は、はい」
「ふーん」
 それから何かを考えるように唸り、最後に花に視線を定める。
 いったい何を考え、どんな結論に辿り着いたのか、あまり聞きたくないような気がした。
「お腹に気をつけろって言うようなものなら、花も一緒に食べてよ」
 孔明はにっこりと笑う。
「えっ、それは念のために言っただけで、たぶん大丈夫ですから」
「なら何も問題はないわけだ。君が食べないなら、食べたくない理由があるんじゃないかって思うけど?」
 それは孔明のために作ったもので、孔明に食べてほしいのだが、ここは花が頷かないと、孔明に食べてもらえないかもしれない。
「わかりました」
 花は観念して頷いた。
「じゃあ、はい」
 すると、孔明はチョコレートの箱を花の手の中に戻す。
「え?」
「やり直し」
 どうして返されたのかわからずきょとんとすると、孔明はべっと舌を出した。
「渡し方もちゃんと考えるように。放課後うちにおいで。お茶を用意しておくよ」
 そして、まるで先生のように落第を言い渡し、すたすたと歩いていってしまう。
 残された花は、呆然とその背中を見送った。
(ほ、本命だって気づかれた!?)
 焦りで汗がわく。
 まるで、このチョコレートに込めた想いを見透かしたような発言だった。
 今日はバレンタインで、孔明にチョコレートを渡したかったのだ。まだ告白する勇気はないから、それは告げずに、さらりと渡せたらと思っていた。
 うまくいったと思ったのに――。
 恥ずかしくて、顔に熱が集まるのを感じた。
 どんな顔をして、孔明の家を訪ねたらいいのだろう。
(うう……)
 花はチョコレートの箱を握りしめて、頭から湯気を立ち上らせた。


おわり

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