しあわせな手
※学園恋戦記
学校からの帰り道、花と孔明は、途中にある喫茶店に立ち寄った。
飲み物を置いて、ふたりでひとつのテーブルに、教科書とノートを広げて、それぞれ勉強を始める。
もちろん、ふたりでいるのだから、孔明と話をしたりしたい。けれど、宿題はやらないといけない。しかしやっぱり孔明が気になって、ちらと見ると、孔明はすでに教科書を読んでいた。
花は慌てて、同じように手元に視線を落とす。明日は、数学であてられる。宿題をやっておかないと大変だ。そんな気持ちもあって、問題に向き合っていると、いつのまにか、宿題に集中していた。
そうしてしばらく宿題をやっていたが、ふと、半分こにしたテーブルの向こうで何も動いていないことに気づいた。教科書とノートは広げられたままなものの、何かを書いている様子がない。
気になって顔を上げる。すると、孔明と視線がぶつかって、少し驚いた。
今、たまたま目が合ったのだろうか。それとも、もしかして、見られていたのだろうか。そんなことを思ってしまい、花はどきどきと鼓動を速める。
「…………あ、あの、宿題、やらないんですか?」
花は、そのどきどきを解消しようと、孔明に聞いた。
「うん。終わった」
「ええっ!?」
孔明のあっさりとした答えに、花はびっくりした。
「お、終わったんですか!?」
花はまだ、ようやく半分くらいだ。もともと孔明にどのくらいの宿題があったのかわからないが、スピードが違いすぎて申し訳ない。
「あの、じゃあ、帰りましょうか」
花は、教科書を閉じようと手をかけた。花の宿題はまだまだ終わらないし、このままでは、孔明を待たせるだけだ。続きは家でやろうと思った。
「どうして?」
孔明は、見てもいない教科書を片づけようともせず、不思議そうに聞いてくる。
「どうしてって。孔明さん、終わったんですよね」
「君は終わってないだろ?」
「は、はい」
「ならまだ帰っちゃだめだろう?」
「でも、孔明さん、宿題終わってるなら、もう他のことできるじゃないですか」
孔明をいつまでも拘束しているのが申し訳ない。花だけが、宿題の時間を過ごせばいいのだ。そう思ったのだが、どうやら孔明には共感してもらえなかった。
「うーん」
孔明は、困ったような、不満そうな顔で、小さく唸る。
それから、唐突に、花のノートを指差した。
「ねえ、花。ひとつ前の問題、間違ってるよ」
「えっ?」
花はその指につられてノートに視線を落とす。ざっと見ただけでは、どこが間違っているのか見つけられなかった。
「ど、どこですか?」
「自分で気づくのも大切だろ。もう一度見直してごらん」
孔明の言い方は、まるで先生のようだ。
花は言われるまま腰を落ち着けて、計算した式を頭から確かめていく。
「ああ、ほんとだ」
そして、式の途中で、計算を間違えているのを発見した。
「孔明さん、やっぱりすごい。ぱっと見て間違いに気づくなんて」
花は感心しながら、その問題をやり直す。
「見てたからね」
「えっ?」
孔明がさらりと言った言葉が一瞬理解できず、花は顔を上げた。
孔明はひどくしあわせそうな顔をしていた。
「君が解いてるの、見てたから。ずっと」
顔を上げて、失敗した。
みるみる顔に熱が集まって、真っ赤になってしまう。
恥ずかしくて、孔明を見ていられず、花は俯いた。
「花」
そんな花の手の甲を軽く指の先で叩いて、孔明が呼ぶ。
花は、わずかに顔を上げた。と、花の手を押さえつけるようにして、孔明が身を乗り出してくる。そして、掠めるように唇が唇に触れた。
「!」
花は手で唇を押さえ、急いで周りを見回した。幸いなことに目が合う人はおらず、ほっと胸を撫で下ろす。
「こ、孔明さん、こんなところで……!」
花は孔明を睨んだ。
睨まれているというのに、孔明の目が優しく細められる。
「まだ帰っちゃだめだろう?」
孔明はさっきと同じことを言った。
頬が熱くなるくらい、孔明から想いが伝わってくる。目に想いがこもっている。こんな目で見られていたのかと思うと、また恥ずかしくて、沸騰しそうだった。
けれど、何てしあわせなのだろう。
孔明の想いが、花を幸せにしてくれる。
花は、重ねられていた孔明の手を、そっと握った。
「!」
今度は、孔明が驚いたように目を剥く。
「……こうしていても、いいですか?」
恥ずかしさよりも、ただ、孔明にもらった胸いっぱいに膨れ上がった想いを伝えたくて、花はぎゅっと手を握りしめる。
きっと、この手から、花の気持ちが孔明に流れ込んでいることだろう。
「うん」
孔明は頷くと、指を絡めて握り返してくれる。
テーブルの上に繋いだ手を置いて、ふたりは顔を見合わせて笑った。
おわり