パジャマパーティーは朝まで
※めいこいFCの小咄動画「パジャマパーティー編」ネタです。未視聴の方はお気をつけください
「だーかーらー! 菱田から言えって!」
「泉が言いなよ」
「すーすー」
不毛な言い争いと寝息が響いている春草の部屋に向かって、芽衣は階段を上がっていた。その手には、フミが用意していった夜食がある。
鴎外との話が弾んで夜遅くなったため、鏡花が屋敷に泊まることになったのだが、客間を使ってもらうのではなく、春草の部屋に集まって寝るのだという。いわゆるお泊り会だ。
(お泊り会なんて楽しそうだな)
恐らく鴎外が言い出したことで、部屋の主は嫌がっているのではないだろうかとは思われるが、それでも、いつもと違う夜は特別だ。壁一枚隔てた向こうは三人と思うと、同じ屋根の下で、芽衣だけひとりきりで寝るのが、少し寂しい気にもなってくる。
しかし、男性三人のお泊り会に混ざるのは、芽衣も気が引けるし、きっと芽衣が想像する以上に問題があるだろう。鴎外は歓迎してくれそうだが、春草と鏡花は白い目で見てきそうだ。
(……たとえば……)
芽衣の頭の中に、春草の面倒そうな、心の距離を大いに感じる顔が浮かぶ。
『君ってさ、本当に図々しいよね。夜食が食べたくてこんなところまで来るなんてさ』
まるで芽衣の体の中の全てが胃袋であるかのような、異物を見る目だ。
(私の分はフミさんが別に用意してくれました!)
芽衣は、自分の想像ということを忘れて、妄想の中の春草に反論した。
(それに……)
今度は、鏡花の目を吊り上げて怒った顔が浮かんでくる。
『あんた、何考えてるのさ! み、未婚の男女が同じ部屋で寝泊まりするなんて、破廉恥極まりない!』
そして弾丸のような非難が聞こえた。
(…………なしだ)
想像上の二人の反応を受けて、芽衣はそう結論づけた。
お泊り会なんて楽しそうだし、興味もあるが、参加してはいけないものだった。軽はずみな発言をする前に気づけて良かったと胸を撫で下ろしたとき、ちょうど春草の部屋の前に着いた。
屋敷の作りはしっかりしているので、中の様子は窺えない。
盛り上がっているかなと思いながら、芽衣はノックをした。
その向こう側では、ノックによって、ぴたりと春草と鏡花の口論が止み、ぱちりと鴎外が目を開けていた。
すでにフミは帰っているため、この屋敷の中にいるのは、ここにいる三人と、もうひとりの居候だけだと、三人の脳裏に、同時に芽衣の顔が浮かぶ。そして、三人はそれぞれをすばやく一瞥した。一瞬、三すくみのような、こう着感が部屋を支配する。
「すみません」
だが、それを、ノックに続いた芽衣の緊張感のない声が破った。
「ひゃっ」
その声に、鏡花は心臓を跳ね上がらせて息を飲む。密かに大いに気にしていた芽衣の突然の登場に、激しく動揺していた。
「ど――」
部屋の主として、春草が応じようと戸に向かう。しかし、その行く手に、えんじ色の羽織が広がって、彼は目を瞠った。
「鴎外さん」
寝ていたはずの鴎外が、春草に一歩先んじていた。
「子リスちゃん。どうしたんだい」
鴎外は、そのまま戸を開け、芽衣を迎える。
「あ、鴎外さん」
芽衣は、春草ではなく鴎外が出てきたことに少し驚いたが、すぐに盆を差し出してみせた。
「フミさんが、皆さんにって用意してくれた夜食を持ってきました」
「ありがとう。子リスちゃん」
「いえ」
笑顔で礼を言ってくれる鴎外に、芽衣も微笑む。
「――?」
しかし、鴎外がそれ以上微動だにしないので、芽衣の頭は、膨らむ疑問に次第に傾いていった。
鴎外は完璧な笑顔だ。
(??)
夜食を中に運び入れたいのだが、鴎外に動く気配は全くない。
「今まで忘れていたわけ?」
成り行き上、鴎外と見つめ合っていると、鴎外の向こうから、冷めた春草の声が飛んできた。
芽衣ははっとそちらを見やる。鴎外が戸口を塞ぐようにして立っているので、部屋の中の様子はよく見えないが、ちょうど春草の呆れ顔だけはしっかり見えた。
「ち、違います。夜食なので、少し時間を置いて持ってきたんです」
鴎外の肩越しに、芽衣は春草に弁解する。
「鴎外さんはもう寝てたよ」
だが、それは一瞬にして、打ち破られた。
「えっ、す、すみません!」
芽衣は驚いて、目の前の鴎外を仰ぎ見る。それは確かに遅すぎると言われて当然だ。
「そんなことはない。子リスちゃんは、実にいい時に持ってきてくれた!」
しかし、鴎外は軽く首を横に振ると、力強く芽衣を肯定してくれた。それから、自分の肩にかけていた羽織を脱ぎ、芽衣にかけてくる。ふんわりと煙草混じりの鴎外の匂いが広がった。
「? 鴎外さん?」
こんなことは初めてで、芽衣は戸惑う。鴎外の温もりが残る羽織は、芽衣の心をどきどきさせるのに十分だった。
「さあ、子リスちゃん、入りたまえ。一緒にパジャマパーティーを楽しもうではないか!」
しかし、鴎外は、そんな芽衣をよそに、満面の笑みで手を広げ、道を開けた。
「え……!」
参加できなくて寂しいと思ってはいたが、諸々の理由から諦めるという結論に至っていた芽衣は戸惑って、春草と鏡花に視線を移す。二人の反応を確かめるためだ。予想通り鴎外は歓迎してくれたが、二人は違うだろう。
「わあああ、あ、あああんた、何て格好してるんだよ!」
そうして、目が合った途端、鏡花が叫び声を上げて、ぱっと風を切る音が聞こえそうなほど勢いよく顔を背けた。その顔は首筋まで真っ赤だ。
「えっ、す、すみません」
そんな反応をされると、芽衣も恥ずかしくなる。夜食を運んだらそのまま寝るつもりだったので寝間着のままで来たのだが、よくなかったらしい。鴎外が羽織をかけてくれた理由がわかった。
「本当に、君は軽率だよね」
春草の声も目も、いつも以上に冷たい。
「う……」
その通りだと思って、芽衣は言い返せずに縮こまった。
「こらこら春草、子リスちゃんを脅かすものではないよ。それに、泉くんもそんなに騒ぐものではない」
すると、鴎外が華麗に割って入って、春草と鏡花を諌めた。
「ここは子リスちゃんの家で、こんな時間なのだ。寝間着でいるのは至極当然ではないか。我々だって、そうだろう?」
「ですが、泉がいます」
「ひ、ひひひひ菱田はいいのかよ!」
「俺は、同じ屋敷で暮らしているんだから、もう何度も遭遇済みに決まってるだろ」
「!!」
春草が呆れをたっぷり詰めたため息を吐きながら言うと、鏡花は目を剥いて、息を飲んだ。
(遭遇って……。人を物の怪か何かみたいに……)
春草の言い様に不満を覚え、芽衣はその気持ちを丸出しにした視線を送ってしまう。
「なに、その顔」
それに気づいて、春草が顔を顰める。
「もしかして不満でも――」
「あ、ああああんたさ!」
いつもの春草の辛口な言葉が続きそうだったが、鏡花が突然声を裏返しながら割って入ってきたので、それは免れた。
「いくら一緒に暮らしてるからって、ひ、菱田や森さんの前でそんな格好でうろうろするなんて、何考えてるのさ!」
代わりに、鏡花に激しく非難される。
お泊り会に参加したら怒られるだろうと予想していたが、参加しなくても怒られてしまった。結局、どうあっても鏡花には怒られるのだろう。
「す、すみませんでした、軽率で」
芽衣はすぐに謝った。
二人の気分を害してしまったのならば申し訳ないし、迷惑そうな春草と、非常識だと非難するような鏡花と、満面の笑みをうかべている鴎外に、嵐の予感しかしなくて、夜食を置いてさっさと逃げ出したいというのもあった。
その盆を、さっと鴎外に取られる。
「いいのだよ。これで、子リスちゃんも、パジャマパーティーに参加できるのだから。――春草」
そして、鴎外は、盆を春草に渡しながら、もう一方の手で芽衣の手を取った。
「で、でも……」
ぎゅっと手を握られて、どうにも逃げられなくなり、芽衣は弱る。
鴎外はそう言うが、参加は全く許されていない雰囲気だ。
「今、とても楽しい話をしていたのだよ」
それをただ一人感じ取っていない鴎外は、言葉通り実に楽しそうに話し始めた。
「お、鴎外さん!」
春草はぎょっとして声を張り上げた。鴎外の言う楽しい話が、「コイバナ」であることは明らかで、それを芽衣を交えてするなんてことは、春草はごめんだった。
「本気で、彼女もここで寝かせるつもりですか?」
「ああ。もちろん。春草は、子リスちゃんを仲間外れにするのかい?」
「仲間外れとかそういう話ではありません」
まるで春草が人非人であるかのような言い方に、春草はむっとした様子で正した。
「一つ屋根の下にいるというのに、子リスちゃんだけ一人きりというのはかわいそうだろう? みんなでいた方が楽しいに決まっている。泉くんもそうは思わないかい?」
「あ、えっ、ぼ、僕っ、ですか!?」
出し抜けに、鴎外に水を向けられて、鏡花はびくりと肩を震わせた。
「ああ、泉くんだ」
鴎外は笑っているが、圧倒的なプレッシャーを感じさせる。
「は、はいっ、そのー……それは……」
芽衣ですら感じるのだから、当の鏡花はもっとだろう。いつも舌鋒鋭い鏡花がたじたじとしていた。
「その、確かに、ひとりは寂しい……ああいや、けど、でも、未婚の男女が同じ部屋で寝起きするのは、その……あんまりよくないんじゃないかなーというか……」
鴎外と芽衣の間で視線をさまよわせて、もごもごと口の中で意見を述べた。
鏡花にいつものキレがない。憧れの人に正面切って盾突くような真似は、いくら鏡花でもできないようだ。
今日の日中、鴎外と話しているときにも見た、借りてきた猫のような鏡花が珍しくて、芽衣は思わず見つめてしまう。
(あ、鏡花さんだから、借りてきたウサギかな……)
芽衣は、自分の思いつきがうまく思えて、ふふっと笑った。
「君さ」
そのとき、春草に声をかけられて、芽衣はぎくりと体を強張らせた。
(い、今の、見られた!? 緊張感がないって怒られそうだ)
芽衣のことで紛糾しているのに、その傍らで、まるで他人事のように笑っているのだから、春草に呆れられてもおかしくはない。
芽衣は、遅ればせながら緊張して、春草を振り返った。
「は、はい」
「夜食置いたんだから、さっさと行きなよ」
春草は、芽衣がのんきに笑っていたところは見ていなかったのか触れず、そう言ってきた。
どうしてまだここに留まっているのか、疑問でしかないといった様子だ。
注意されなかったことにほっとしながらも、芽衣は困ってしまった。ここにいるのは、芽衣の自由意思ではない。芽衣の手は鴎外に握られたままなのだ。だから、春草に迷惑を全面に押し出されても、どうしようもなかった。
「その……」
芽衣はちらりと繋がれた手に視線をやって、残りたくて残っているわけではないと、春草に訴えた。
それに対し、春草は、そんなものは問題ではないと言わんばかりに、眉間に皺を寄せる。
振り払えるだろうということだろうか。
確かに思いきり手を振ったら離れるかもしれないが、それは過剰すぎるように思えて、躊躇ってしまう。
すると、二人の動きに気づいた鴎外が、繋いだ手を持ち上げて、軽く接吻した。
「いいのだよ、子リスちゃんはここにいなさい。春草は照れているだけなのだから」
「っ」
「ひっ」
「違います」
その西洋風の振る舞いに、芽衣は固まり、鏡花は息を飲んで、春草は素早く否定した。
「だいたい、布団はどうするんです? もう敷けませんよ」
春草は再びため息をつくと、部屋の中を示してみせた。春草の部屋は狭くはないが、布団を三組横に並べて敷いていっぱいだった。これ以上、布団を敷く余地はない。物理的に無理だと、春草は冷静に指摘した。
「僕の布団を使えばいい」
鴎外の返答は淀みない。
春草は念のために聞いてみた。
「……鴎外さんはどうするんです?」
「無論、僕の布団を使うよ」
鴎外は今度も滑らかに答えた。全く曇りのない笑顔だ。
「ん?」
しかし、どこか違和感を覚え、芽衣は首を傾げる。
それを解消してくれたのは、やはり春草だった。
「それは、ふたりで同じ布団を使うということでしょうか」
春草が低い声で、鴎外に問う。
「えええっ!!」
鏡花がとうとう鴎外を非難するような悲鳴を上げた。
芽衣も驚きに目を見開いて、鴎外を凝視する。それは、いくらこの時代の常識がない芽衣でも固辞したい。
「やれやれ。それでは、もう一組、布団を持ってくることにしようか。少しずつ重ねれば四つ敷けるだろう」
全員から否定的な反応を受けて、鴎外は肩を竦めた。まるで譲歩しているような素振りだが、それは鴎外以外の誰の望みでもない。
「い、いえ、鴎外さん。私、自分の部屋に戻ります」
このままでは、ここに泊まることになってしまいそうだと、芽衣は急いで首を横に振った。
「子リスちゃん。遠慮しなくていいのだよ」
だが、芽衣の主張は軽くいなされ、鴎外に紳士的に微笑まれてしまう。
「いえ、遠慮ではなく――わっ」
芽衣が重ねて首を横に振ろうとしたとき、鴎外が突然ぐいと繋いでいた芽衣の手を引いた。
「ひとりは寂しいだろう?」
傾く芽衣の体をそっと支え、ひどく優しく目を覗き込んでくる。
繕ったり、誤魔化したりすることができなくなるような視線だ。どきどきと芽衣の心拍数が上がっていく。
「鴎外さん!」
「も、森さんっ!?」
春草と鏡花が、焦ったように声を上擦らせて、鴎外を呼んだ。
その声に、芽衣がそちらを見ようとしたら、鴎外は、芽衣の頬に手をやって、視線を外すことを許さなかった。
「お、鴎外さん……」
「ん?」
じっと見つめられて、頬が紅潮していく。
「そ、それは……寂しい……です、けど……」
否定しなくてはいけないところなのに、芽衣はつい本音を漏らしてしまった。
壁一枚隔てた向こうで、みんなが仲良くお泊り会をしているのに参加できないのは、なんだか寂しい。そう思ったのは事実だ。
寂しいと言ってしまったことが恥ずかしくて、頬がさらに赤らむ。間近にある鴎外の瞳を見ていられず、芽衣はそっと目を伏せた。
「子リスちゃん……」
手を掴んでいた鴎外の手に力がこもり、小さく震える。それから、ぱっと手が放された。
「わかった。なら、僕が子リスちゃんの部屋に泊まろう!」
そして、鴎外はその手を振り上げて、高らかに宣言した。
「鴎外さん。なぜそうなるんですか」
「えっ!」
鴎外の自由な発言には慣れている春草はすかさず突っ込むが、その隣で、慣れていない鏡花は驚いて飛び上がっている。
芽衣もびっくりした。全く思いも寄らない提案だ。
「春草は、子リスちゃんが、ここに泊まるのは反対なのだろう? だが、子リスちゃんは寂しいと言っている。ならば、僕が子リスちゃんの部屋に泊まりに行かねばなるまい!」
芽衣がぱちぱちと目を瞬いていると、春草の問いかけに、鴎外はまるで騎士然とした態度で答えた。
「なるまいって……」
とうとう春草も額を押さえてしまう。三人の中では最も鴎外のことを知っている春草は、ここで四人で寝るか、隣の芽衣の部屋で、鴎外と芽衣が一緒に寝るかしか道がないと悟ったのだ。そのどちらも、春草は歓迎できるものではなくて、頭が痛かった。
「お、鴎外さん! やっぱり私、ここでみんなと一緒にお泊りさせてもらいます! 鴎外さんの言う通り、せっかく一つ屋根の下にいるんですから、みんなでいた方が楽しいですよね! ね!」
遅れて芽衣も察して、慌てて鴎外に訴えた。ここで四人かあちらで二人か。どちらも常識から外れているのであれば、より外れていない方を選択したい。
「お、お布団持ってきますね!」
鴎外の昂揚した様子から、もたもたしていたら、ここで四人もなしになってしまいそうに思えて、それ以上何かを言われないうちにと、芽衣は春草の部屋を飛び出した。
廊下を走りながら、このまま戻らなくてもいいのではないかという考えが頭を掠める。しかし、それは鴎外を自室に招くこととイコールだ。
(まあ……鴎外さんの言う通り、ひとりは寂しいなってちょっと思ったから……いいって思おう……)
春草と鏡花も成り行きを全て見ていたのだ。芽衣の失言があったにせよ、仕方がなかったと思ってくれるだろう。
芽衣はため息をついて、自分をそう納得させた。
この後、芽衣の布団をどこに敷くかでまたひと騒ぎ、鴎外がコイバナを始めようとしてもうひと騒ぎと、屋敷は明け方まで静かになることはなく、フミの夜食は大いに感謝されたのだった。
おわり