星見
「師匠、星の見方を教えてください」
先に休ませた花が、少しして部屋に戻ってくると、決意を固めた顔で言った。
今日の空は、雲が出ているからとか、雨が降っているからとか、言い逃れができないくらいに晴れている。しかも若い月だから、星の独壇場だ。
きらきらきらきら。
まばゆいばかりに輝いている。
孔明は忌々しくそれを一瞥して、花に視線を戻した。
花の考えは簡単だ。例の本以外の導が欲しいのだろう。
――そんなこと、しなくてもいいのに。
「やだよ。こんなに暑いのに」
孔明は、花に本当に嫌なのだと悟られないように、ただ面倒くさいから断っているのだと見えるように気をつけて、わざとだらしなく机に伏せる。
「今日は昨日ほどじゃありませんし、それにほら、冷たいものもらってきました」
しかし、今日の花は本気だった。孔明が言いそうなことに対して、きちんと準備をしてきている。
これは厄介だ。
孔明は起き上がり、花が差し出した冷たい飲み物をありがたく飲みながら、考える。
星を見るなら、新月の晩の方がよかったはずだ。それを今日まで待ったのは、このところ夜でもひどく暑かったからだろう。
やっぱり花だと思う。でも一方で、これは花なのかとも思う。彼女は「花」だったけれど、もともと彼女はこんなことを考えたりはしなかった。こんな望みを、元の世界でも持ちえただろうか。
「……確かに、これはおいしいけど、でも、やっぱり今は駄目」
孔明は、ほんのり甘い飲み物には合格を出し、花には舌を出す。
一瞬のうちに、花の顔が不満げに曇った。
そんな顔をされても、孔明に教えるつもりはない。そんなこと、できるはずがなかった。
花の星があるかどうか怖くて見られないのに、どうやって人に教えられるだろう。
花がいるのもいないのも知るのが怖い。
星など、見たくない。
「今は、早く寝れるんだったら、さっさと寝て、体と頭を休めること優先。ボク、言わなかった? 早くおやすみって」
孔明は羽扇を取って、自らを扇いだ。部屋にこもっている生暖かい空気が、頬にあたる。
「……言われました、けど……」
花は頷きながらもまだ諦めないようだ。しかし、揺れ始めている。
「けどもなにもないよ。星を見るなんて、一朝一夕で身につくものじゃないんだから、今から学んでも役に立たない」
これは本当のことだ。
今、花がそれを知ったところで、覚えた頃には全て終わっているだろう。
全て――。
胸の奥が疼く。
孔明はそれを感じながら、そよそよと花に風を送った。
「君は、星よりも先に文字が読めるようにならなくちゃ駄目だろ」
「うっ……」
孔明の指摘に、花は言葉を詰まらせる。これなら、もう少しだけ食い下がったら諦めるだろう。
孔明は心の中でほっとしながら続けた。
「わかったなら早く休むこと。襄陽はボクが落とすといっても、何があるかわからないんだから、体調は整えておいてね」
もちろん、万が一にも何かがないように準備をしている。明日、青州兵を見たら、花はどんな顔をするのだろう。何を思うだろう。
喜ぶだろうか。
眉間にしわを寄せている花を見つめながら、孔明はぼんやりと思う。
「……わかりました……すみません」
花は険しい顔を緩めて謝った。
孔明の予想よりも早い撤退だ。最初の心意気を思えば、説得に応じるのが簡単すぎる。孔明は意外に思って、花を見つめ、その心を探ろうとした。
「寝ます。おやすみなさい」
しかし、花は頭を下げて、孔明に背を向けてしまう。
「…………」
もう少し話をして、花の心変わりを知りたかったが、孔明には呼び止める言葉がなかった。
何を言っても、話が星を見ることに戻ってしまう。諦めることを望んだのだから、これでいいのだ。このまま出ていってくれればいい。
そう思った矢先、花が足を止め、振り返った。
「……文字が読めるようになったら、教えてくださいね」
やっぱり諦めきれないといった顔で、花は言う。
孔明は、その一言で、花の気持ちを察した。孔明の言葉をそのまま受け取って、順序を追って学んでいこうと思ったのだろう。花らしい真面目さだ。
「いいよ」
それならば、花がこの世界の文字を読めるようになるよりも先に、この戦を終わらせる。
世界から戦がなくなれば、花にはもう、この世界の文字も、星の読み方も必要ないだろう。
だから、孔明は軽く頷いた。
「ありがとうございます! 私がんばりますね」
だが、花は、孔明のそんな心中など知らず、素直に喜んでいる。
「私、自分の星を見てみたいんです」
そして、まっすぐに真剣な顔で言った。
その顔には、覚えがある。
遠い昔、自分もこんな顔で、必死に同じものを見ようとしていた。
胸がずきずきと疼く。
駄目だよと言いたくなって、どうにか堪えた。
いつでも、いちばん言いたいことは伝えられないのだ。
「おやすみなさい。師匠も早く休んでくださいね」
花は真剣な顔をしまって柔らかく笑うと、部屋を出て行く。
花がいないと、部屋は、とたんにがらんと殺風景になった。花が帰った後の世界もきっと、こんな感じなのだろう。
そのときには、星を見ることもできるだろうか。
孔明は思う。
星を読むほど、世界の動静が気になるだろうか。
少し、自信がなかった。