こどもの日・5月6日
今日は五月五日。元の世界では「こどもの日」だ。
「カシワモチ?」
「ショウブユ?」
「コイノボリ?」
疑問符を浮かべる面々に、花はひとつひとつ知っている限りの知識で説明した。
「なるほど。餡を包んだ餅に、菖蒲を浮かべた湯、それに鯉のぼりか」
玄徳が、顎に手をあてた格好で、うーんと唸る。
「柏餅、作ってみようか?」
雲長がすっと手を挙げた。それにぴくりと反応したのは芙蓉だ。
「あら、雲長殿のお手を煩わせるまでもありませんわ。私が作ります」
「だが、芙蓉姫は柏餅を知らないだろう?」
「まるで自分は知っているような口ぶりですこと」
二人の間に火花が散る。そして、ふんと目を逸らすと、我先にと台所へ向かっていった。廊下を走らないあたりが、二人らしい。
「…………」
それを四人は黙って見送った。
「花は子龍と菖蒲をもらってきてくれるか? 鯉のぼりは、俺たちがなんとかしよう」
玄徳は、隣の翼徳をちらと見て、花に笑いかけた。手先の器用な玄徳なら、鯉のぼりも作れてしまうだろう。
「はい」
見知らぬ行事なのに、どうにかしようとしてくれる玄徳の気持ちが嬉しくて、花は思いっきり頷く。
そんな花に玄徳も頬を緩めた。
「お前の国は、本当に平和だったんだな。子供の成長をみんなで祝う。 いい習慣だな」
「はい」
よしよし、と玄徳は花の頭を撫でる。
くすぐったいけれど、大きい手が心地よくて、花は顔を綻ばせた。
子龍と二人で近くの農家に菖蒲をもらって城に戻ると、廊下の向こうから歩いてくる孔明と出会った。
「師匠!」
「どうしたの? なんだか楽しそうだね」
孔明は足を止めて、小走りで自分のもとにやってくる花を迎える。
「はい。今日はこどもの日なんです」
「こどもの日? ああ、君の国のならわし?」
孔明は素早く察した。
「はい」
ふん、と孔明は花が胸に抱いている菖蒲を見る。
「それはどうするの?」
「お風呂に入れるんです」
「それで?」
「それだけです。体が丈夫になるんですよ」
「へえ」
孔明に教えることもあるのだな、と少し嬉しくなった花は、孔明の瞳が悪戯っぽく光ったことに気づかなかった。
「花、一緒にお風呂に入って?」
唐突に、孔明が花の袖を引く。
「え?」
少し高めの声と、甘えたような視線、それに言われたことのとんでもなさに、花は目を白黒させた。
予想通りの花の反応に、孔明はにっこり笑う。
「今日は『こどもの日』なんでしょ。ボク、今日だけ亮に戻るからさ、甘やかしてよ」
「そ、そういう日じゃありません!」
花はようやく我に返って、慌てて首を横に振った。
しかし、孔明は自分の思いつきを気に入ったのか、花の袖をくいくいと引っ張って、子供のように首を傾げる。
「ボク、子供だから菖蒲湯の入り方わからないなあ」
「湯船に浮かべればいいんです」
これ以上話をしていたら、よくない方向に行きそうだと、花は後ずさった。こちらの世界に残って、孔明と過ごした時間もそれなりになっている。そのなかで経験したあれやこれやが頭の中を駆け巡って、花に警告を与えていた
「あ、あの師匠、玄徳さんたちが待っているので……」
しかし、孔明が花を見逃すはずもなく、花が下がった分だけ間合いを詰める。
「弟子として、師匠の背中を流してはくれないの?」
「し、師匠なんですか、亮くんなんですか!?」
花は声も顔も引き攣らせて身を引いた。対する孔明は、まるで鼠を追いつめる猫さながら、ゆったりと花に手を伸ばす。
「うーん。どっちでもいいかな。君が一緒にお風呂に入ってくれるなら」
孔明はそう言うなり花の手を強く引き、その体を背中から抱き締めた。そして、花のうなじに鼻先をこすりつけ、軽く唇で触れる。
「いい匂い」
「し、師匠、やめてください!」
首に触れる孔明の唇の感触に、変な気持ちを刺激されてしまいそうで、花は悲鳴を上げた。
「あ、あの、孔明殿、花殿、私は先に玄徳様のところに行っております」
それまで何の口も挟むこともできずに固まっていた子龍は花の悲鳴に我を取り戻すと、早口でそう言って走り去っていく。子龍の姿はあっという間に見えなくなった。
「し、子龍さん!」
慌てて呼び止めた花の声も空しく響く。逃げ出した子龍がどう思ったかと考えると、花は顔から火が噴き出しそうなくらい恥ずかしかった。
「師匠! もう、変なことしないでください!」
花は涙目になって孔明を睨みつけ、身をよじる。
そんな顔は男を喜ばせるだけだよ、と心の中でため息をつきながら、孔明は手を緩めて花を解放した。そのとたん、花は脱兎のごとく駆けていく。
孔明はやれやれと頭を振った。
「君があんまり楽しそうだと、元の世界が恋しいのかって、心配になるじゃないか」
孔明の呟きは、いつものごとく花には届かない。
孔明は、ひとつ伸びをして、ゆっくりと花たちのあとを追いかけた。
翌日。
今日もよい天気だったので、玄徳、雲長、芙蓉と花の四人は、東屋でお茶をしていた。翼徳は席につかず庭を駆け回って遊んでいて、子龍は少し離れたところで控えている。孔明はいつものように掴まらず、声をかけることさえできていなかった。
「ころっけの日?」
少し不審そうに、玄徳が聞き返す。
「……はい」
花は身を縮ませて頷いた。
「確か昨日はこどもの日とか……」
「はい……」
「まさか一年中毎日何かの日なのか?」
「たぶん……私も詳しくはないですけど」
花が知らないだけで、きっと何でもない日というのはないのだろう。
「そうか……」
玄徳は複雑そうに黙ってしまった。
昨日、いい習慣だな、と笑ってくれた玄徳を思い出して、花はとても申し訳なく思う。毎日何かの記念日などという国は、こちらの世界では考えられないだろう。しかも、今日ははよりにもよって「コロッケの日」という語呂合わせだ。
「ねえ、ころっけって何?」
芙蓉に問われて、花はこの世界にコロッケがないことに気づいた。
「あ、コロッケは、おいもを潰して揚げたもののことなんです」
「おいもを揚げる?」
ぴくりと芙蓉の柳眉が上がる。その瞳が、雲長を素早く一瞥した。雲長はそ知らぬ顔でお茶を啜る。しかし、全力で話に集中していた。
「ほくほくして、美味しいんですよ」
花は二人の様子に気づかずに、のんきに笑う。
「そうだ。私、作りましょうか?」
昨日は、雲長と芙蓉による「柏餅」の競作が行われ、それぞれとても美味しいものを作ってくれた。どんなものか知らず、花の拙い説明だけで、あれだけ完成度の高いものを作りあげるのだから、二人とも本当に大した腕だ。
そんな二人の足もとにも及ばないけれど、あちらの世界の料理を振舞うのも楽しいかもしれない、と花は思った。
「花が?」
静かに火花を散らしていた芙蓉と雲長が、気を削がれて花を見る。
「作れ 」
玄徳も興味を引かれて、作れるのかと問おうとしたが、その声は別の声にかき消されてしまった。
「だめ」
東屋に忽然と現れた孔明が、きっぱりと言って、花の腕を引く。
「わ、し、師匠!?」
突然現れた孔明にびっくりしたところに、急に腕を強く引かれてバランスを崩した花は、孔明の腕の中に倒れこんだ。
「まだ仕事が残っているでしょ?」
じ、と孔明の黒い瞳がまっすぐに花の瞳を覗き込む。
「え、でも、今日はもういいって……!」
何となく孔明の機嫌がよくないことを感じて、花は語気も弱くなる。そんな花の口を、孔明は手で塞いだ。
「玄徳様、申し訳ありません。失礼します」
そのまま孔明は玄徳ににっこり笑って頭を下げると、花をひきずって東屋を出て行く。
「ほんと、厄介な男を選んじゃったわね……」
芙蓉が顔を引き攣らせて呟いた。
「まあ、花がいいなら……いいんじゃないか」
玄徳はフォローするも、いつになく弱い言葉だ。
「それにしても……ころっけ、ね」
芙蓉は、ちらと雲長を見る。
それに対し、雲長は興味がないという顔で立ち上がった。
「玄兄、俺も戻ります」
その澄まし顔に、芙蓉がいつものように腹を立てたのも、そのあとコロッケ戦争が起きたのも言うまでもない。