Entry

予感

 空に月が浮かんでいる。明日か明後日には、満ちるだろう。
 花は、月を見上げて、まるで太陽を見るときのように目を細めた。
 ひどく明るい。強い光が暗い空に滲んでいる。
 不思議な夜だ。
 夜なのに。
 明るい。
「やあ」
 不意に、背中から声をかけられた。
 花は驚くことなく振り返る。
 何となく、今夜、会える気がしたのだ。
「師匠」
 声の通り、すぐそばに、孔明が立っていた。
 手を伸ばせば届く。
「久しぶりですね」
 花は予想通りになったことが嬉しくて、笑って言った。
 しかし、孔明はなぜか驚いたような、困惑したような顔をする。
 花は首を傾げた。
「師匠、どうしました?」
「あ、いや……うん……」
 花に問われて、孔明は右頬を人差し指で掻いた。
「驚かないんだね」
「え?」
「ボク、今日来るって言ってあったっけ?」
「ああ」
 花は、孔明の戸惑いの理由が分かって、頷く。
 確かにいつもなら大いに驚くところだ。孔明の登場はいつも突然で、前触れがない。けれど、今夜は、予感があった。
「今日、師匠に会える気がしたんです」
 花は言う。
「予感的中です」
 そして、ピースサインを孔明に向けた。孔明にはどういったサインだか分からないだろうが、誇らしげなことは伝わっただろう。
 予感が当たったのが嬉しい。まるで、孔明と繋がっているみたいだ。
 それに、単純に、孔明に会えて嬉しかった。
 すると、孔明は、目をわずかに見張って、それから、ぎゅっと拳を握りしめる。
「ーーしちゃいけない」
 その呟きは、低く、今夜のわずかな闇に溶けてしまった。
「え?」
 花は、うまく聞き取れなくて、聞き返す。
「ううん、なんでもないよ」
 しかし、孔明は、いつもの笑顔で首を振った。
「師匠?」
 その笑顔に距離を感じて、花の心に不安が過ぎる。
 孔明との間隔は変わっていないのに、今は、手を伸ばしても、触れられない。そんな気がした。
 でも、どうしてだろう。
 花は戸惑う。
「今、大変でしょ? ボクに相談したいことがあるんじゃない?」
 だが、孔明は、花の不安には触れずにそう言った。
「……あ、はい。そうなんです」
 孔明に指摘され、花は自分が天幕から出て夜歩きしていた原因を思い出す。
 明日、策を提出しなければならないのに、まとまっていないのだ。
 だから、孔明に会いたかったのかもしれない。
「師匠に相談したくて、会いたかったんです。助かりました」
「うん、それは良かった」
 花が言うと、孔明は満足げに頷いた。
 また距離が縮まった気がする。
 花は嬉しくなって、相談事を話し始めた。
 二人の頭上では、いつのまにか広がった雲が、月をゆっくりと隠していく。時間と時間の狭間のような時が、動き出した。



 --ああ、どうか、ボクに恋などしないでほしい。

Pagination