海の向こう
水面が白い太陽の光を受けて、銀色にも輝いている。空は大きく開け、どこまでも青く澄んでいた。
「海が珍しい?」
背後から声をかけられ、花ははっと振り返る。
孔明がすぐそばに立っていた。
いつもなら、こんな近くに来られても気配に気づかないなんて緩みすぎだよ、などといった言葉をもらう場面ではあるが、孔明は口を閉じている。
その顔はひどく平坦で、心の内を読ませなかった。ということは、知られたくないことを考えているのだろうと思えるくらいには、花も孔明を理解するようになっていた。
「いえ、あの、反対で……」
花はゆるく首を振った。
きっと孔明は心を痛めてしまうと思いながらも、本当のことを告げる。
「懐かしかったんです」
「懐かしい」
孔明はまるでその言葉の意味を確かめるように呟いた。
「はい。私の住んでいたところは海が近かったので」
国の懐深くにある成都では海を臨めない。
長江や黄河は海のように見えるが、やはり本物の海を見ると、あれらは河で、海とは違うと思った。
豊かに水を湛え、どこまで広く遥かな海。
あの向こうにはーー。
「この海の向こうに、君の世界があるのかな」
孔明が花の隣に立って、眩しそうに海を見つめた。
照り返しがきつい。
「…………どうでしょうか」
花は曖昧に答える。
海を渡ったら、たどり着くのだろうか。たどり着きたいだろうか。
でも、行けない気がする。諦めではなく、そう思う。きっと、どこにもたどり着けない。ここに戻ってくるだろう。
「私の世界だったら、この先に、私の国があるんですけど」
花は思ったことは心にしまい、そう言った。
「そう」
孔明は短く頷く。
何か言葉が続きそうだったので、花は孔明をしばし見つめた。
しかし、孔明はただ海を見つめて口を閉ざしたままだった。
「はい」
花は頷いて、海へと視線を転じた。
湿り気を帯びた風が頬を撫でて舞い上がる。海鳥の声が遠くに聞こえた。