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サンプル:やきもちやかずのマーチ(遙か6・有梓)

 怨霊の一撃が左手をかすめる。熱と痛みを感じるが、高塚梓は十数メートル先の怨霊から目を離さなかった。怨霊の足元には女性がうずくまっていて、彼女を庇うように、自衛団団長の有馬一がかがんでいる。その体勢では剣戟は難しい。梓を牽制した怨霊が、有馬たちに向けてその爪を振り上げた。
「高塚!」
「はいっ!」
 有馬のよく響く声が梓を呼ぶ。そのかけ声に合わせて、梓は引き金をひき、まっすぐに、有馬たちを襲おうとしていた怨霊を撃ちぬいた。怨霊は悲鳴を上げて消えていく。
 梓は周りを見回して、怨霊が他にはいないことを確かめると、銃をホルダーに戻した。
「怪我はないか?」
「は、はい」
 その間に、有馬が、庇っていた女性に手を差し伸べて立ち上がらせている。梓は彼らに駆け寄った。
「無事ですか」
「ああ」
 梓の問いかけに有馬が頷く。見たところふたりに怪我はないようだった。それを確認して、梓は緊張を解く。
 女性は洋装で、梓よりも年上、有馬と同じくらいの年ごろだ。怨霊に襲われたからだろう、美しい顔立ちが少し青ざめている。有馬に掴まっている手が小刻みに震えていた。
 梓がこの世界に来ることになった、帝都を揺るがした例の事件が収束した後、怨霊が現れることはほとんどなくなっているがゼロではなく、こうしてごくたまに出現することがあった。今日は、最近この辺りでの怨霊らしきものの目撃情報、被害報告が上がっていたので、自衛団で見回りを強化していたところの遭遇だった。
「お前が怪我をしているな」
「あ、すみません。かすり傷です」
 有馬に怪我を指摘されて、梓はとっさに手を隠す。掠めただけだと思っていた左手の甲には、傷が意外としっかりついていて、ぽたりぽたりと血が地面に落ちていた。怨霊はそれほど強くなかったのに、こんな傷を受けたことは未熟の証に思えて、有馬の前にさらしているのが恥ずかしい。いくら久しぶりの怨霊との戦いとはいえ、もっとうまく戦えたはずだ。ほんのわずか、梓の反応が遅かったのだ。もっと訓練をしないといけない。付け焼刃でどうにかなるものではないが、屯所に戻ったら自主訓練だなと、梓は思う。
「!」
 そのとき、突然、手を掴まれて、梓はびっくりして顔を上げた。有馬が梓の手を取っている。
「あ、有馬さん、汚れます」
「屯所に戻って手当てをしよう。まずは血を止め……――? すまない、放してくれないか」
 血がついてしまうと慌てる梓に構わず、有馬はハンカチを取り出そうとして、その腕にまだ女性がしがみついていることに首を傾げた。そのために、腕が自由に動かないのだ。
 女性はまるで離れる気配がない。それどころか、さらに有馬にしがみついた上で、なぜか不満げに梓を見た。
(ん――?)
 女性の態度に、梓は戸惑う。彼女に失礼な振る舞いをしただろうかと振り返るが、何も思い当たらなかった。有馬も同様に困惑しているようだ。それでも何かを言おうと、有馬が口を開きかけたとき、複数の足音が近づいてきた。

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