Entry

サンプル:チェリーブロッサムシンドローム(あんスタ・まこあん)

【サンプルその1】

「遊木真くん、ですよね」
 朝、学校に向かう道の途中、遊木真は見知らぬ女子高校生たちに声をかけられた。制服は見たことがある。近隣の公立高校のものだ。しかし、彼女たち三人の誰にも見覚えがなかった。
(あ……)
 瞬間、頭が真っ白になる。女の子と話すのが苦手だからと、あんずに「女の子に慣れる特訓」に付き合ってもらったこともあるのに、全く活きていない。
 見知らぬ女の子。複数。名指し。行く手を阻まれている。
 情報が断片的に明滅する脳裏に、あんずの顔が過ぎった。
(ど、どうしよう、あんずちゃん……!)
 無意識のうちに、あんずに助けを求めてしまう。同性と話すのも緊張する真が、見知らぬ女の子と話すなんて試練でしかない。肉親を除いたら、目を見て話せる異性は、唯一あんずだけだ。あんずがここにいたら代わりに話してもらうのに――と思って、あまりに情けない考えだと気づく。
(だ、だめだ、あんずちゃんに頼ってばかりじゃ……)
 真が知らない女の子に名前を呼ばれて声をかけられる理由はただひとつ――彼女たちは『Trickstar』のファンなのだろう。この一年、『Trickstar』は順調に活動を続けてきて、先日の【ショコラフェス】でも、用意したチョコレートが足りないくらいで、真も近頃声をかけられることがたびたびあった。それはたいへん喜ばしいことなのだが、五十メートルほど先の校門を恨めしく見てしまう。
(はあ……校門まであと少しだったのにな……)
 この包囲を突破して逃げ込むには遠い。これはきちんと「ファン対応」をしなくてはいけない。日頃リーダーの氷鷹北斗からファンを大切にするように言われているし、そのお達しがなくても、真も自分たちを応援してくれる人々に感謝しているから、きちんと応じたいと思っている。だがしかし、現実は、やりたいこととできることに隔たりがあるものだ。
「は、はははいっ、そうですけど……!」
 とにかく笑顔で感じよく頷こうとして、失敗した。
(どもった! 裏返った!! うわぁ……)
 笑っているつもりだが、ひきつっているかもしれない。恥ずかしさに顔が熱くなり、心臓がばくばくと鼓動する。もう消えてなくなりたい思いで俯いた。
「かわいい!」
 そんな真に、女の子たちの歓声が飛ぶ。
(え? か、かわいい!?)
 彼女たちの思いもよらない評価に、真は戸惑った。『fine』の姫宮桃李や『Ra*bits』の紫之創ならまだしも、真に「かわいい」とはどういうことだろう。
(ぼ、僕、かわいいって思われてるの!? 別にそんなキャラで売ってないんだけどな! みんなに比べたら、かっこいいではないかもしれないけどさ……)
 やはり男であるので、「かわいい」よりは「かっこいい」の方がいい。彼女たちは先輩である可能性もあるが、同年代の異性からもらう言葉としては複雑だ。
「この間の【ショコラフェス】でライブ観ました!」
「ファンです!」
「がんばってください!」
 真がぼんやりしている間に、女の子たちはさらに距離を詰め、真の手を握ってくる。
(う……うわああぁぁ!)
 私も私もと代わる代わる手を取られ、触られて、真は完全にパニックに陥った。

 

「むむむ、遊木殿がモテモテでござるよ!」
 登校途中で、あんずは衣更真緒と仙石忍に出会い、三人で学校に向かっていると、ふと忍が少し前のめりになりながら、そんなことを言った。
「え?」
「真?」
 あんずは真緒とともに忍を見る。忍はじっと前方に目を凝らしていた。
「あそこでござる」
 忍が指差す方向を見ても、豆粒のような人間しか把握できない。長い前髪に隠されて片方の目しか使っていないというのに、はっきりと見えているようだから、さすが忍者だ。
「んーよくわかるな。あれ、真か……?」
「忍者活動の一環で目を鍛えているのでござるよ。それでも鉄虎くんの方が良いのでござるが……」
 真緒に誉められて、忍は照れ臭そうに笑った。
「女生徒に囲まれて、手を握られているでござる。遊木殿、大人気でござるな。にししし」
「いや、それが真なら、あいつ的にピンチだろ」
 忍の言葉に、真緒は顔を顰める。
 あんずも目を凝らして見た。言われてみれば確かに、真のような、真でないような――やっぱりよくわからなかったが、真緒の言う通り、あれが女子に囲まれた真だとしたら、あんずも心配に思った。
「真、微動だにしてないけど、あれフリーズしてるんじゃないか?」
「うん」
「なんと! 遊木殿がピンチならば助けに行くでござるよ!」
「ああ。あんずは先に行ってろ。まったく朝から走らされるとはなー」
「ああ! 衣更殿! 拙者も行くでござるよ!」
 真緒はあんずに言うと、ぼやきながら走り出す。そのあとを忍も追いかけていった。

 


【サンプルその2】

 金曜日の夜の夕飯時ということもあってか、ショッピングモールはひどく混んでいた。
「うわっ、結構ひとが多いね。あんず、はぐれないように手をつないでいこう?」
「うん」
 スバルはそれを見て、すぐにあんずの手を取った。あんずも全く抵抗感なく頷いている。
「っぐ」
 ふたりの光速の手つなぎに、真は息を飲んだ。
(うっ、明星くん、ずるい……!)
 スバルとあんずは、一年前の朔間零の指導で一緒にいるようにと言われたときから、気づけば普通に手をつないでいたから、ふたりにとってはいつも通りのことなのだろう。スバルはもともとスキンシップ過多であるし、だからこその、この流れるような展開だ。
(いいなあ……)
 真はうらやましく見てしまう。
 自然と手を取ることも、あんずがそれを普通に受け入れていることもうらやましい。真にはできない芸当だ。
(うう、なんかお似合いだな……あんずちゃん、明星くんのこと好きだったらどうしよう……)
 手をつないで歩くふたりは仲が良さそうで、本当に自然で、だんだんカップルに見えてきて、真はそっと目を逸らした。
(これじゃ僕がカモフラージュだな……)
 とほほ、と肩を落とす。
 そのとき、突然、スバルが立ち止まって、真を振り返った。
「あ、でも、今日はウッキ~の特訓なんだから、ウッキ~とあんずが手を繋いだほうがいいのか」
「えっ?」
 スバルの言葉に、真は目を瞬く。
 ――あんずと手をつなぐ。
 そう、聞こえた気がする。
「じゃあ、はい」
 スバルは、真が固まっていることに気づかずに、真の手を取ると、あんずの手を握らせた。
 小さい。やわらかい。
「う、うわあっ!」
 真は、反射的に手を離してしまった。
 やわらかさの次元が違う。
「あ、明星くん、急になんてことするの! ご、ごめんね、あんずちゃん!」
 なんだかものすごくいけないものに触れてしまった気分になって、真はあんずに謝った。
「う、ううん、私はべつに……」
「ウッキ~?」
 スバルはきょとんとしている。スキンシップ王には、コミュニケーション能力が低い者の気持ちなんてわからないのだろう。
「特訓するんでしょ?」
「ぐっ……」
 正論を言われて、真は言葉に詰まる。
 今日は特訓ではない。だから、手をつなぐことはないんじゃないかと言いたかったが、そうしたらスバルは自身があんずとつなぐかもしれない。それは少し――いや、大いに気になった。
 今まで、あんずの手に触れたことがないわけではない。手をつないだことも握ってもらったこともある。けれど、これほどやわらかいものだっただろうか。どうして過去の自分は、触れることができたのだろう。今、真の心臓は飛び出してしまいそうなくらい、激しく鼓動していた。しかも、焦ったからか手汗がひどい。こんな湿った手では、あんずと手をつなぐなど到底無理だ。
(で、できないよ……!)
 真は顔を赤くして俯いた。

Pagination