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僕らの昼休み戦争

4時間目終了のチャイムが鳴ると同時に、机に突っ伏していた明星スバルが元気いっぱいに起き上がった。
「昼休みだー!」
2年A組の昼休みは、毎日、このスバルの声で始まる。
全く授業を聞かれていなかった教師も、スバルのこの世の幸せを一身に集めたような顔には怒る気も失せるらしく、仕方なそうにして教室を出て行った。
一気に昼休みモードになった教室の中で、氷鷹北斗も昼食の支度のため、隣のあんずの席に自分の机をくっつける。その間に、Trickstarのメンバーであるスバルと遊木真がやって来て、北斗とあんずの前の席の椅子を拝借して座った。
ちなみにもうひとりのメンバー、衣更真緒は隣のクラスな上、生徒会やら幼馴染の世話やらで多忙の身のため、ユニットでランチミーティングをするとき以外は別だ。
だから、お昼のメンバーはこの4人というのが常で、4人揃ったところで、さあ昼食だと、それぞれ弁当や購買のパンなどを広げたとき、あんずが立ち上がった。
「私、パン買ってくるね。先に食べてて」
「え、あんずちゃん、今日購買だったの?」
「うん。寝坊しちゃって、お弁当作れなかったんだ」
失敗したと笑って告げるあんずに、真は、1時間ほど前の自分の行動を激しく呪った。
購買パンは、たいてい3時間目の授業中に入荷する。4時間目の終わりだともみくちゃになる上に、好きなパンを買えない可能性が高いので、3時間目が終わったらすぐに購買にダッシュするのが、購買パンを買うコツだ。
そして、今日の真はまさにそれを実践して、手元には購買パンの中でも人気が高く入手困難といわれるメロンパンと焼きそばパン、それにサンドウィッチがあった。
(し、知ってたら、あんずちゃんの分も買ってきたのにー!)
いつも自分で弁当を作ってくるあんずは、購買パン戦争を知らないだろう。
4時間目終了のチャイムがゴングとなり、みな一斉に購買を目指す。パン台に群がる生徒をかき分け、目的のパンを掴み、大混雑の会計を済ませなければならない。4時間目後に購買でパンを買うのは、体力的にも時間的にもロスが大きいのだ。
だから、あんずがパンを買う予定だと知っていたら、絶対に声をかけた。自分の分だけ買ってきてしまって、本当に申し訳ない。
(それに、いいところ見せられたかもしれないチャンスを~! 僕のバカ!)
悔しさに、ぐぐぐっと手に力が入る。
購買の建物は、アイドル科の校舎から少し離れたところにあるので、3時間目と4時間目の間の5分休みで行って戻ってくるのは、結構難易度が高い。女の子の足ではぎりぎりアウトかもしれない。
それを真がやってみせて、あんずの望むパンをゲットしてきたら、いつも情けないところばかり見られているから低いであろう――もしかしたらヘタレと思われているかもしれない――あんずの真への評価が少しはアップしたかもしれない。
(いやでも待てよ……)
しかし、購買パン戦争を知らないあんずには、5分休憩でパンを買ってくることの偉大さは理解してもらえないかもしれない。そんな無理をして、とまた気を遣われてしまう可能性の方が高い。それに、購買パンに命を賭けている男なんてかっこいいはずがない。
それよりも、3時間目の終わりに行かなかったら、今、あんずと一緒に買いに行けたのだと気づいて、頭を抱えた。
自然にふたりっきりになれるビッグチャンスを逃してしまったのだ。
Trickstarは、メンバー4人中3人が同じクラスで、仲もいいから、だいたい一緒にいる。そのため、あんずとふたりっきりという状況はなかなかなかった。誰にも邪魔されず、あんずとふたりになるのは結構難しいのだ。いや、実際は、女の子が苦手な真には、あんずとふたりっきりは大変困るのだが――困るけれどやっぱり嬉しい。
(テンパるだろうけど、パンを買いに行くという共通の目的があるから話題もあるし――)
パンを買いに行って戻ってくるくらいの間は持つだろう。
――何パンが好き? へえ、メロンパン。うん、僕も好きなんだ。おいしいよね、メロンパン。……。…………。
(お、終わっちゃった……!)
想像の中の会話も盛り上がらず終わって、真は愕然とする。
女の子が苦手な口下手のコミュニケーション能力に難ありのくせに、パンの話題だけで持つなんて考えが甘かったのだ。
(うう、だから僕は駄目なんだ。メロンパン買えて今日はついてるなって調子に乗ってる場合じゃなかった)
昼休みが始まった直後まで、購買パンヒエラルキーにおける自分の戦利品に、圧倒的な優越感を抱いていた。しかし、今となってはそんなものは紙屑同然だった。せっかくのパンたちも輝きを失っている。
「場所は大丈夫か?」
しおしおとする真の傍らで、北斗が委員長然としてあんずに聞いた。
彼女が転校してきてから結構経つが、北斗はまだまだ面倒を見るべき転校生という扱いをする。
もしかしたら、面倒を見ていたいのかもしれないと思って、真はしょげながらもやっとした。
「うん。大丈夫」
「そうか」
しかし、あんずがしっかりと頷くと、北斗はすぐに引き下がった。
それを見て、真が逆に突っ込んでしまう。
(ああ、そうじゃない、そうじゃないよ、氷鷹くん! それベストアンサーじゃない!)
そこは、心配だから一緒についていく、と言うべきだ。委員長でリーダーの北斗ならそれを言える。
購買は戦場だ。あんずはその激しさを知らない転校生なのだから、その世話役である北斗は一緒に行って、守ってあげるべきだろう。
それに彼女のことが気になるのなら――これは真の想像だが――、あんずをひとりで行かせるべきではない。
学内には、プロデューサーとしてだったり、彼女自身にだったりはあるが、あんずに興味を持っている輩がたくさんいる。彼女がひとりでふらふら歩いていたら、そんな輩たちが、これ幸いと声をかけてくるだろう。その魔の手からも守るべきだ。
(同じクラスなのはものすごいアドバンテージで、氷鷹くんがクラス委員長で、Trickstarでもあるから、僕みたいのがあんずちゃんのそばにいられるんだよね)
これで、全ての要素がなかったら、真は、あんずと知り合いでもなかっただろう。
別のクラスだったらまず話しかけられないし、同じクラスでも北斗が委員長でなかったら、あんずは別の生徒に預けられていたはずだから、やっぱり真は話しかけるきっかけを掴めなかっただろう。真がTrickstarのメンバーでなくてもまた、別世界の人だったはずだ。
(途方もなくラッキーなんだよね)
そういったもろもろが重なって、幸運なことに、真はあんずと仲良くさせてもらっている。
きっと、自分のラッキーポイントは、そこで使い果たしてしまっているだろう。
この先、ラッキーは見込めない。だから、自分の力でどうにかしなければいけない。
あんずと他の男が仲良くなるのが嫌ならば、告白をして彼氏になり、その権利を手に入れるべきだ。しかし、今告白するのは唐突すぎるし、あまりにも玉砕が明らかだから、彼女を好きな者として、他の男のチャンスを潰すべきだろう。つまり、そう、購買まで一緒に行くのだ。
(お、男を見せろ! 遊木真!)
自分に檄を飛ばして、真は勢いよく立ち上がる。
「あんずちゃん! って、あ、あれ? あんずちゃん?」
購買への同行を申し出ようとしたのに、あんずの姿は忽然と消えていた。
びっくりした拍子にずれた眼鏡を直して周りを見ても、あんずは見当たらない。
「どうしたの、ウッキ~。あんずなら、ウッキ~がうんうん唸ってる間に行っちゃったよ?」
すでに弁当を食べ始めているスバルが、口をもぐもぐさせながら言う。
「えっ。ええー」
あまりに残念な展開に、真は、体中に入っていた力が抜けて、へなへなと椅子に腰を落とした。
「ウッキ~も追加のパン買いに行きたかったの?」
スバルの言葉に、そうか、と真は今さら気づく。
(ああ……僕のバカ……)
もうひとつ、パンを追加したいと言えばよかったのだ。なんて自然な同行の理由だろう。
しかし、それに気づいたからといって、今から追いかけるのは間が抜けているし、それをする勇気もない。
(意気地なしめ)
自分で自分を責めて、真はそれに落ち込んだ。
そして、あんずが購買に行って、10分が経って、20分が経った。
案の定、あんずは戻ってきていない。
いくら激混みの購買でも、これほど時間がかかることはないから、誰かに掴まっているのだろうという疑いは、時間を追うごとに濃くなって、25分が経とうとしている今、確信に変わっていた。
あんずは、誰かに声をかけられて、お昼を一緒に過ごしているに違いない。
(うう、不自然でも追いかければよかった)
後悔を抱きながら、空いている席を見て、ひとつも着信のないスマートフォンを見る。
せめて、あんずから連絡があったらとスバルや北斗のスマートフォンの様子も窺っているが、ふたりのものも沈黙していた。
あんずは、もし他の人に昼を誘われて、それを受けることにしたら、連絡をくれる子だ。その隙を与えない相手といるのか、その連絡も忘れるほどに楽しい時間を過ごしているのか――。
真はスマートフォンを裏返してため息をつく。
目の前には、メロンパンとサンドウィッチが手つかずで残っていた。食べていてと言われたのに、あんずを待っていた結果、食べられずにいたものたちだ。
あんずが戻ってこないことで、食欲も失せていったので、ひもじくはなかったが、切ない。胸がいっぱいだ。
「あんず戻ってこないなー」
すでに弁当を完食して寛いでいたスバルが、スマートフォンをいじりながら言う。
「そ、そそうだよね! 遅いよね!」
あんずが購買に行って10分経った辺りから気になって、口にするのを我慢していた、待望の話題を振られて、真は勢いよく食いついた。それから、前のめりすぎただろうかと慌て、取り繕って椅子に深く座り直す。
しかし、北斗もスバルも、真の過剰な反応を気にした様子はなかった。
「ああ、確かにな」
北斗も自分のスマートフォンを一瞥する。あんずからの連絡はないらしい。
(さ、探しに行くって言ったら、変に思われるかな。それよりもまずラインかな)
真は、ちらとふたりを見て、そわそわとする。
「氷鷹」
そのとき、教師が教室の入り口から北斗を呼んだ。
「はい」
「次の授業、講堂に変わったから、みんなに伝えておいてくれ」
北斗が立ち上がると、教師はそう告げて行ってしまう。
「!」
次の授業は、この教室の予定だった。講堂までは移動に時間がかかる。あんずが、教室だと思って昼休みを過ごしていたら遅刻するだろう。
つまり、あんずへの連絡が必要だ。
と思った瞬間、スバルが、
「あんずにラインするね」
とスマートフォンをいじりだした。
(明星くんすばやい……)
瞬発力の差を恨めしく思って見ていると、スバルが手を止めた瞬間、すぐ近くで覚えのある振動があった。
「ん?」
北斗が隣の席に目を向ける。
「あんずのだ」
そして、椅子の上に置いてある、あんずのバッグの外側についているポケットに、彼女のスマートフォンが入っているのを見つけた。
連絡できないわけだと、真は少しだけ心が軽くなる。
連絡ができないほど強引な真似をされている、もしくは、連絡を忘れるほど楽しい時間を過ごしている、の二択ではなくなった。
そして、今度こそ立ち上がった。
「ぼ、僕、あんずちゃん探してくる」
「俺も行こう」
「俺も俺も」
真に続いて、北斗もスバルも立ち上がる。
真はほっとした。ひとりでも行くつもりでいたが、2人も来てくれると心強い。あんずが他の男子生徒と仲良く話しているところに出くわして、割って入っていける自信があまりなかった。
北斗が副委員長にクラスへの周知を任せると、3人で教室を出る。
「お、よう。どうした3人揃ってぞろぞろと。サッカーでもやるのか?」
まずは購買に向かおうと、階段を下りて一階に行くと、Trickstarのメンバーのひとり、衣更真緒と鉢合わせた。
「サリ~! あんず見なかった?」
スバルが真緒に答えずに、逆に聞く。
「あんず? ああ、さっき1年と一緒にいたな」
会話の受け答えが成立しないことに慣れている真緒は、気分を害した様子もなく、あっさりとスバルに答えた。
「えっ」
「誰?」
「どこだ?」
初っ端から有力な情報にぶつかって、三人は真緒に詰め寄る。
その勢いに気圧されて、真緒は一歩下がった。
「な、なんだよ、お前ら」
「いいから。誰? それにどこにいたの?」
そんな真緒の袖をくいくいと引っ張り、スバルが尋ねる。
「1年の高峯。なんか深刻そうな顔で中庭に連れられてってた」
真緒の目撃情報に、真は血の気が引いた。
深刻な顔に、人気の少ない中庭から導き出される可能性はひとつだ。
(し、深刻!? それって、まさかまさか告白……!)
くらりと眩暈がした。
それは、何より恐れていたことだった。
あんずと高峯がどの程度親しいのか知らないが、告白という特別なステップを踏んだら、親密度は跳ねあがるだろう。
今、あんずにその気はなくても、まずはお友だちからとか言って、デートをしちゃうかもしれない、昼休みも登下校も一緒になって、そしてますます仲良くなって、ついには付き合うなんてことに――とそこまで妄想して、真は頭をぶんぶんと振った。
(ま、まだ告白って決まったわけじゃないんだからよそう)
まずはあんずを見つけることが一番だ。
「中庭だね! 行こう! ホッケ~、ウッキ~!」
「うん!」
「ああ」
中庭目指して駆け出すスバルに、真と北斗も走ってついていく。
「お、おい、廊下は走るなって!」
廊下を全力疾走する3人に、生徒会役員でもある真緒は注意するが、彼らが聞くはずもない。
みるみる小さくなっていく3人の背中を見つめ、真緒は唇を歪めた。
気にするな、絶対厄介事だ、と真緒の頭の中で、警鐘が鳴り響いている。
「って――ああ、くそっ」
しかし、放っておけばいいのに放っておけない性分の真緒は、結局、三人のあとを追いかけたのだった。


***


その20分ほど前、教室を出て、購買に着いたあんずは、呆然としていた。
そこは戦場だった。パン台に群がる生徒たち、荒々しく掴みとられていくパンたち――男子生徒も女子生徒も関係なく、押し合いへし合いですごい熱気だ。
完全になめていた、コンビニの気分だった、と立ち尽くしていると、
「あれ、先輩」
と、声をかけられた。
「高峯君」
振り返ると、そこには背の高い1年生、高峯翠がいた。
「ひとりですか?」
「うん、そうだよ」
翠は、あんずの周りをきょろきょろと見ている。
翠は不思議そうだが、あんずには何がおかしいのかわからず首を傾げた。
「珍しいっすね、先輩がひとりでいるなんて」
「そうかな?」
「うん、いつもクラスの人たちと一緒でしょ。怖い人に絡まれてブルーだったけど、ひとりの先輩って珍しいから、ちょっとラッキーかも」
翠は力なく笑った。全く元気のない顔だ。いつものことながら、絡まれて、彼の心は折れてしまったのかもしれない。きっと1秒でも早く家に帰りたいと思っているのだろう。
それなのに、自分と会ってラッキーかもと笑ってくれる気持ちが、あんずは嬉しかった。
「じゃあ、今日はラッキーな日ということで、ここで私に会ったラッキーな高峯君の望みをひとつ叶えてあげます。わー、高峯くん、ラッキー!」
もっと翠の気分を上げてあげたくて、あんずはぱちぱちと手を叩く。
翠は意表をつかれたように目を瞬いたが、すぐに嬉しそうに笑った。
その笑顔は疲れたところはどこにもなくて、あんずも嬉しくなる。
「本当に? なんでも?」
「私にできることなら」
「じゃあ、こっち来て」
「え?」
パンを一個おごる程度のことを想定していたあんずは、翠に腕を取られて引っ張って行かれて、びっくりした。
もしかしたら時間がかかることになるかもしれないと思い、北斗たちに遅くなると伝えようとスマートフォンを探して、持ってきていないことに気づく。
(わ、しまった。ごめんなさい)
いったん教室に戻って、みんなに話にいけるような雰囲気でもない。翠はあんずの腕をしっかり掴んでるし、その足はずんずん迷いなく進んでいる。
先に食べていてと言ってはあるので待ってはいないだろうが、連絡しないで遅くなることは申し訳なく、あんずは心の中で謝った。
そうして、翠に連れていかれたのは、中庭だった。
人のいない隅っこまできて、ベンチに並んで座る。
こんなところまで来てすることに、あんずは全く見当がつかない。
「あの、じゃあ、お願いします」
翠はなぜか少し赤らんだ顔で、ぺこりと頭を下げる。
「う、うん。それで、何をすれば――!」
いいのか、と聞き終える前に、翠は答えを行動で伝えた。
翠は体を折り曲げて上半身を横たえると、あんずの膝に頭をのせたのだ。
「た、高峯くん!?」
これはいわゆる膝枕では、とあんずが焦って立ち上がろうとすると、翠の恨めしげな目とぶつかった。
「ラッキーな日にしてくれるんじゃなかったんですか」
その一言に、浮きかけた腰が元に戻る。
確かに、翠の望みをひとつ叶えてあげると言ったのは、あんずだ。これが、翠の願いなら受け入れるべきなのだろう。
「えーと……」
しかし、膝枕など初めての経験で、頭は大混乱していた。
こんなことを望まれるなんて思いもしなかったのだ。
他人の頭が、しかも男の子の頭が、自分の太ももの上にあるのは、非常に恥ずかしい。けれど、耐えられないかと言われたら、がんばればそうでもなさそうだった。
人気のない場所なので、誰かに見られる心配もない。障害は自分の羞恥心だけだ。
「あの、こんなことでラッキーなの?」
あんずはどうしてもわからなくて聞いてみた。
おいしいものを食べるとか宿題を肩代わりしてもらうとかの方がラッキーではないだろうかと思うのだ。
あんずもこれほど恥ずかしいのだから、頭を乗せている翠も恥ずかしいのではないだろうかとも思う。逆の立場を想像したら、やっぱり顔が火照るほど恥ずかしい。
「ラッキーですよ。先輩に膝枕してもらえるなんて、俺が不幸じゃなかったら有り得ないから。自慢してまわりたいくらい。……自慢したらまた絡まれるからしないけど」
しかし、翠は恥ずかしそうなそぶりは少しもなく、こくりと頷いた。
「そ、そう……」
自慢云々も含めてあんずにはさっぱりわからないが、翠本人がラッキーだと言うのだから、そうなのだろう。
違うことへの転換は難しそうだ。
(仕方ない……)
この昼休みの間、あんずが恥ずかしさに耐えたら、翠は、今日はいい日だと思ってくれるのだ。教室に戻る時間を考えて、昼休みの残りはあと20分くらいだろう。その間の我慢だ。恥ずかしいが、約束したのだから腹を決めようと、あんずは羞恥心を追いやる努力をする。
そして、これはプロデューサーの課題だと考えてみたらどうだろうと思いついた。
アイドルが気分を損ねたり、拗ねたりしていたら、プロデューサーとして、その気持ちを和ませなくてはならないだろう。
それに、アイドルはやはり幸福感があるといい。それは、ファンにも伝わるし、アイドルから幸福感をもらえたら、ファンはますますアイドルを好きになるはずだ。
アイドル自身も、たくさん大変なことがあっても、心の状態を保っていられればいいパフォーマンスができる。
翠は後ろ向きに考えがちだから、小さなことでも幸福だと思うように感度を上げていければいい。
ゆるキャラ好きであるように、小さいマスコットを好ましく思うようだから、自分より小さなあんずに甘えることは、幸福度が高いことなのかもしれない。
アイドルひとりひとりに合わせた、気分の上げ方を考えるべきだ。
(たとえば、Trickstarのメンバーだったら――)
恥ずかしさを紛らわせるために、わざとこの「課題」を堅苦しく真面目に考えていたのだが、そのうちにあんずは夢中になっていた。
「今日いい日だな。……これから悪いことがあったら、先輩のとこに行ってもいい?」
「うん、いいよ」
だから、そんな翠の問いかけは、あんずの耳には届いていたが、頭にまでは届かず、返事も若干上の空だった。
翠はそれに気づいて、むっと顔を上げる。
「先輩ってさ――」
「!?」
翠を意識しないように、頭の中の考えに集中していたあんずは、突然、翠の手が頬に触れて驚いた。
翠に視線を落とすと、じっとあんずを見つめている翠の視線とぶつかる。
その不満そうな顔に、さっきまで幸福感を感じていたはずなのに、どうしたのだろうと疑問を持った。
そのときだった。
「あんず殿!」
ベンチの後ろの生垣から、突然、人が飛び出してきた。
「わあっ!」
あんずは心底驚いて、体を震わせる。
目の前には、翠と同じ一年生の自称忍者、仙石忍がいた。
頭や肩に葉っぱがついているから、生垣から飛び出してきたのは、彼に間違いない。
「あんず殿、いいところで会えたでござるよ!」
忍は嬉しそうに目をきらきらと輝かせている。
ここで会えたことを喜んでくれているようだがしかし、あんずの膝の上の翠をまるっきり無視しているし、生垣の中から出てきて、偶然ここで会いました、といった顔をしているし、その諸々の完全なスルーっぷりに、あんずは大いに戸惑った。
(え、忍者だから? 忍者だから!?)
忍者だから膝枕にも動揺しないのだろうかそれとも見えないのだろうかと、滅茶苦茶な思考まで浮かんでくる。
「あんず殿に召しあがっていただきたくて、秘蔵の甘い梅干しを持ってきたでござるよ~!」
しかも、忍は、あんずの戸惑いをよそに、話を進めていく。
梅干しの話は以前にした。そのときもらった梅干しはとても酸っぱくて、顔を顰めてしまったら、別の甘めの梅干しを持ってきてくれると言われたのだ。
その話はいいのだが、それよりも、やっぱり忍には突っ込んでもらいたい。
(この状況はおかしいでしょう!)
膝枕を指摘されないことに理不尽に怒りを抱いて、あんずは忍を睨むように見据える。それに、忍が現われても、起き上がろうとしない翠の背中も叩いた。
「仙石くん――」
「はい、あーん」
「えっ?」
とにかく膝枕を無視している状況を解消するため、恥ずかしさを堪えて自ら申告しようとしたあんずの前に、忍が梅干しを差し出す。
「あーんでござるよ?」
忍はとてもいい笑顔で、あんずに口を開くように促した。
「い、いい。もらうにしても、自分で食べるから。それよりも――」
「あんず殿は、翠くんには膝枕をしてあげるのに、拙者のあーんは駄目なのでござるか?」
あんずが固辞すると、忍はしゅんと肩を落とした。
(き、気づいてたのー!? って当たり前か。でも、じゃあなんでスルーしてたの……?)
完全な無視っぷりに、本当に気づいていないのでは、と少し疑い始めていたのだが、さすがにそれはなかったらしい。
しかし、となると、どうして何も触れなかったのだろうと疑問だった。
「た、高峯くん、起きて」
だが、それよりもまず、膝枕の中止だ。忍が気づいているのであれば、こそこそ合図を送る必要もない。あんずは、翠の体をゆさゆさと揺らした。
しかし、翠の反応は、あんずの予想外のものだった。
「えーなんでですか」
「な、なんでって、仙石くんの前だよ? 恥ずかしいでしょ」
不満たらたらといった様子で抵抗する翠に、あんずはびっくりする。
通りすがりの見知らぬ人ならまだしも、同学年の同じユニットのメンバーに膝枕をしているところを見られるのは恥ずかしいはずだ。
そう思ったのに、翠は、
「……俺は恥ずかしくないっす」
と言って、顔を伏せてしまった。
起きるつもりはないという意思表示に、あんずは唖然とする。
「うう、うらやましいでござる」
そのうえ、あんずの驚きに拍車をかけるように、忍もぽつりと呟いた。
「う、うらやましいの? 仙石くんだったら、忍術の修行の方が嬉しいんじゃない?」
「に、忍術の修行!?」
忍は1オクターブくらい高い声を上げた。
ものすごくわかりやすく嬉しそうだ。
やはり、忍には、忍者関係がいちばんだろう。
「そうだよね。仙石くんは、膝枕より忍術だよね」
「あんず殿、それはいったいどういうことでござるか?」
あんずがほっとして呟いたことに、忍は首を傾げた。
「膝枕と忍術の修行、どっちかをしてあげるって言ったら、仙石くんは忍術だよねっていう話だよ」
「そ、それは、あんず殿がしてくださるということでござるか?」
「うん」
「!」
忍は息を飲み、口を手の甲で押さえた。
(ん?)
忍の反応に、あんずの胸がざわつく。
忍はちらちらと翠を見て、そしてほんのりと頬を赤く染めた。
「そ、それなら、拙者……あんず殿に膝枕してもらいたいでござる」
「ええっ!?」
あんずはびっくりして、思わず大きな声を上げた。
(ひ、膝枕強すぎ……!)
忍者がアイデンティティの忍にまで選ばれるとは思わなかった。
それぞれの趣味嗜好に合わせた方法を採るべきだと考えたが、みんな一律女性に膝枕してもらえばいいということだろうか。
レコーディングのときやダンスレッスンのときは、常に膝枕係の女性を配備しておけば、気分が乗らないから歌えないとか踊りたくないと駄々を捏ねるアイドルたちの気分を上げることができるということだろうか。
(…………)
自分で設定した課題の思いがけない結論に、あんずは顔を強張らせた。
この結論が正しいのならば、たとえば、Trickstarの面々も、女の子の膝枕に喜ぶということになる。
(うーん……)
しかし、あの4人では、スバル以外、喜んで寛いでいる様がうまく想像できなかった。
北斗はおばあちゃんなら喜びそうだが、真緒はがちがちに緊張しそうだし、真はそもそも女の子とふたりっきりという状況が無理なはずだ。
けれど、翠と忍だって、彼らの口から聞くまでは、こんなことを喜ぶなんて思わなかったから、あんずの印象などあてにならないのだろう。
つまりは、真たちも喜ぶ可能性は極めて高いわけで、プロデューサーとしては、彼らのパフォーマンスを上げるために最善を尽くさなければいけないわけで――。
(私が用意した女の子に膝枕されて喜んでる真くんたちを見ることになるんだ……)
なかなか破廉恥な想像と心に浮かんだ言葉のえげつなさに、あんずはますます顔を強張らせる。
あまりそういったことはしたくないし、そんな様も見たくないと思った。
「あんず殿? どうしたでござるか?」
色々と想像してしまって暗い気持ちになったあんずを、忍が心配そうに覗き込んでくる。
「あ、ご、ごめんね。なんでもないよ」
あんずは、慌てて顔を上げた。
こればかりは聞いてみなくてはわからないだろうと、妄想を振り払った頭で思う。
まだサンプルは2だ。それがたまたま2/2だったのか、サンプル数が増えていっても、100%のままなのかは検証する必要がある。
「あんず殿、やはりこの秘蔵の梅干しを召し上がってくだされ! この梅干しはおいしいでござるよ! ささ、あんず殿、あーん」
忍は、再び梅干しをあんずに差し出してきた。
いつもより明るいトーンの声は、あんずを気遣ってくれているからだろう。
目の前の梅干しを見つめながら、忍の優しい気持ちに、それくらいはいいかと思う。
「あーん」
忍に促されるまま、あんずはおずおずと口を開けた。
そこに梅干しが迫ってくると、甘い梅干しだと言われているものの、すっぱさが蘇って、あんずは思わず目を閉じる。
「あ、あんずちゃん!」
そのとき、突如、その場に悲鳴のような声が響いた。
あんずはぱちっと目を開ける。
「真くん――に、スバルくんに、北斗くん、真緒くん? みんな揃ってどうしたの」
血相を変えたTrickstarのメンバーが駆け込んでくるのを見て、あんずは目を瞬かせた。
真が泣きそうに見えるがどうしたのだろう。何かあったのだろうかと心配になる。
「あんずー!! 俺って男がいながらなにしてんの! 浮気? 浮気?」
「え? 浮気?」
真を追い越していちばんにあんずのもとに到達したスバルが、あんずにぎゅうぎゅうと抱きついた。
いつもながらスバルの言動はトリッキーだ。
(トリックスターだけに。――って、私も真くんみたいになってる……)
よくわからないことを言われるのにも、頻繁なスキンシップにも、こんなことを思っていられるくらい、あんずは最近慣れつつある。
しかし、次に続いたスバルの言葉には、あんずも目を剥いた。
「今、ちゅーしようとしてたでしょ! しかも膝枕してるし! ずるいー。俺もして?」
「ちゅ……!? し、してないよ!」
事実無根の誤解を力いっぱい否定しながら、スバルたちのいたところから見たら、そう見えたのかと、顔が熱くなる。
もしかして、真が暗い顔をしているのも、その勘違いのせいだろうかと、真を窺うと目を逸らされてしまった。
(う……)
つきんと胸が痛む。
「あ、あのね――」
あんずは慌てて説明しようとする。
これにはすべて事情があるし、忍とキスをしようとしていたわけではない。
「うわっ」
「?」
それをきちんと話そうとしたら、突然、抱きついていたスバルが悲鳴を上げて離れていったので、あんずはそちらに気を取られた。
「お前はどさくさに紛れて抱きつくなっての」
真緒がスバルの襟首を掴んで、あんずから引き剥がしたのだ。
「ほら、1年も離れろ、離れろ」
ついで、真緒は翠と忍もあんずの側から追い立てる。
ようやく翠の重さが消えて、あんずはほっとした。
「あんず」
そのあんずの腕を取り、北斗がベンチから立たせ、自分の背中に庇う。
「合意なのに……」
翠が不満そうにぼそりと呟いた。
翠にしてみたら、あんずの提案のもと、一緒に過ごしていたのに、忍に邪魔された挙げ句、あんずを取られてしまったのだ。やっぱりついていない日だとがっかりもする。
「ご、ごごご合意!? あんずちゃん、高峯くんと……?」
真は、ここに来るまでに膨らませていた妄想が爆発して、翠の告白が成功して、ふたりは晴れて恋人同士になったのかと、顔面を蒼白にさせた。
「ちょっと落ち着け」
恐慌状態の真にチョップしてから、真緒はあんずを見る。
「あー色々突っ込みたいことがあるんだけど、とりあえず、今の状況をいちから説明してくれ、あんず」
真緒に指名されて、あんずは全員の視線を集めた。
「う、うん」
大勢の目に少々怯んだが、あんずは頷いて経緯を話し始める。
購買前で翠と会ったこと、いつも憂鬱そうな翠を励ましたかったこと、突然忍が現れたこと、梅干しをもらおうとしていたこと――。
順を追って話しながら、ちらちらと真を見たが、真の硬い顔はいつまでも崩れなかった。
そのことに、あんずは、思いのほか、心が重くなる。
説明をしたところで、真の印象はよくないのだろう。
見られないから大丈夫、ということは、誰かに見られたらよろしくないことだというわけで、そういうことはやはりしてはいけないのだと、今さらながら思った。
「――というわけなんです」
「わかった」
あんずが話し終えると、真緒はため息とともに頷いた。
「高峯、お前下心丸出しすぎるし、あんずもまともに受けるな」
そして、翠とあんずそれぞれにチョップをする。
その呆れた目に、あんずは身を小さくした。
「ごめんなさい」
「……すみません」
あんずが謝ると、翠も小さく真緒に頭を下げた。
「仙谷も、忍術はほどほどにしろよ。副会長に見つかったら1時間は説教されるぞ」
「わ、わかったでござる。見つからないようにするでござる」
「わかってねーな」
注意しても、忍術を自重する方向にはいかない忍に、真緒は顔を顰めたが、次は説教好きの副会長に任せようと、それ以上言うことはしなかった。
「じゃあ、はい、1年は解散」
真緒は、翠と忍の肩を押す。
「……はい」
「はい。失礼するでござる」
ふたりは少し不満そうだったが、素直に従って、そこから立ち去った。
ふたりがいなくなると、真緒は、はー、ともう一度、息を吐く。
その深い呆れをはらんだため息に、あんずはさらに身を小さくした。
「ていうか、あんず、軽率すぎるだろ」
「ごめんなさい。こんなことになるとは思わなくて……。パン1個おごるとか、宿題いっしょにやるとか、そういうことを思ってたんだけど、高峯くんのゆるキャラ好きを甘くみてました」
「ゆるキャラ?」
「高峯くん、ゆるキャラが好きで、ぬいぐるみとかグッズも好きなんだけど、私もゆるキャラみたいに見えるらしくて。ゆるキャラカウントであんなこと言ったんだと思う。ほら、きぐるみって抱きつきたくなるでしょ?」
「あー……そこからかー」
真緒はぽりぽりと頬を掻いた。
そこからがどこからかわからず、あんずは首を傾げる。
「どういうこと?」
「あ、あんずちゃんはゆるキャラなんかじゃない!」
しかし、あんずの問いかけは、突如として、真緒を押しのけて前に出てきた真によって、吹き飛ばされた。
真は、あんずの手を取って、ぐっと力を込め、強く主張している。
「お、おう」
それはみんなわかっているけど、どうした真、と言いたいのをぐっと堪えて、真緒は頷いた。
真の顔がとても真剣だったからだ。
「ま、真くん?」
突然手を握りしめられたあんずはドキドキして、真を窺った。
ずっと視線を逸らしていた真が、今はまっすぐにあんずを見つめている。
その目の力に息が詰まった。
それに、真の手はあんずの手がすっぽりおさまるくらい大きいし、握りしめてくる力は振り解けないほど強い。
自分とは違う、男の子なのだと意識してしまって、ひどく恥ずかしかった。
「君は、かわいい女の子なんだ。みんな、君と仲良くなりたいって思ってるし、みんな男だから、ちょっと触りたいって思うし。だから、本当に気をつけて。なんでも望みを叶えてあげるなんて、もう絶対に言っちゃ駄目だ。調子に乗ってもっと変なこと言ってくる奴もいるかもしれない」
真は怖いくらい真剣な顔をしている。
心から心配してくれているのも、軽率なあんずの言動を咎めているのもわかる。
けれど、それよりもなによりも、あんずは、正面きって真面目に、かわいいと言われて、触りたいなどと言われて、もうそれだけでいっぱいいっぱいだった。
「う、うん。ごめんなさい……」
真を見るのも恥ずかしくて、赤くなった顔を下に向ける。
「え……?」
ふと、真があんずの様子に気づいて、きょとんとした。
「ウ、ウッキ~があんず口説いてる!」
ぽかんとしていた他の三人たちの中で、スバルがいちばんに我に返って、はやし立てる。
すると、真も自分が言ったことに気づいて、あんず以上に顔を赤くした。
「えっ、あ、ち、違う! あ、いや、違わなくて、その……」
「ウッキ~、告っちゃえよー!」
「ええ!! な、なななななに言ってるの、明星くん!」
告れ、告れ、と煽るスバルに、真は盛大に動揺して、ぱっとあんずの手を放した。
あんずは解放された手を軽くおさえ、まだドキドキしている胸にあてる。
――真はかわいいと思ってくれているのだろうか、真も、触りたいと思うのだろうか。
真のようにわーわーと喚きたい気分だ。
手が熱い気がする。顔はまだ火照っている。
「小学生は少し黙っとけ」
「ふごっ」
真緒がスバルの口を塞ぐと、真も騒ぐのを止め、辺りは静かになった。
広がる沈黙に、あんずが恐る恐る顔を上げると、真緒と目が合う。
「でもほんと、遊木の言う通り、もっとすごいこと――たとえば、キスさせろとか言われたかもしれないんだぜ? 男ん中に女ひとりなんだから、もっと警戒心持て」
「う、うん、そうだね。ごめんなさい」
真緒はもう一度、釘をさした。
真緒の言うことはもっともで、あんずは自分の軽率さを反省してしょんぼりと肩を落とす。
「で、困ったときは俺たちに頼れよ?」
そのあんずの顔を覗き込んで、真緒はにっこりと笑う。
しっかり怒って、しっかりフォローする。真緒はさすがにいつも周りの人間の面倒を見ているだけあって絶妙だ。
「うん。ありがとう」
あんずも心がほぐれて顔を綻ばせた。
「最低限、電話は持ち歩くこと」
北斗がそう言いながら、あんずの手の上に、あんずのスマートフォンを置いた。
「わ、ありがとう。みんなに連絡しようと思ったんだけど忘れちゃってて」
「じゃあ、戻るぞ。次の授業、講堂になったんだ」
歩き出した北斗に続いて、みんなで校舎に向かう。昼休みはもう残りわずかだ。5人の足は自然と速まった。
「あ、それで、探しに来てくれたの? ありがとう」
「そうそう! お礼は膝枕でいいよ!」
真緒から解放されたスバルがくるりと向きを変え、あんずに抱きつこうとする。
「えっ!? だ、駄目だよ! 明星くん!」
真が飛び上がって、あんずとスバルの間に滑り込んだ。
「ウッキ~、邪魔ー」
「はいはい、お前が邪魔だ」
真緒が、真を躱そうとするスバルの襟首を掴んで引きずる。
「サリ~!」
「お前たち、静かに歩けないのか」
ぎゃあぎゃあと騒ぐスバルたちに、北斗が顔を顰めて注意した。
結果的に、あんずと真は並ぶことになって、気まずい沈黙がふたりの間に広がった。
前を歩く3人の喧騒が遠い。
ふたりとも気になっているのは、さきほどの真の発言で、あんずは、それがとても気になるが突っ込みようがなくて、真はそれについてどう言ったらいいのかわからなくて、黙りこくってしまう。
その沈黙を破ったのは、あんずだった。
「あ、あの、真くん」
「は、はいっ!?」
一気に緊張が高まった真は、声が裏返ってしまった。
かっこ悪い死にたいと真は落ち込むが、言おうとしていたことに気を取られていてあんずは、全く気にしていなかった。
「あの、真くんも、女の子に膝枕してもらいたいって思う?」
あんずは、恐る恐る、例の課題の結論について尋ねる。
真の発言はものすごく気になるが、どう触れたらいいのか結局わからなかったので、諦めた。だから、もうひとつ気になっていることについて聞いてみたのだ。
翠や忍が特別なのか、一般的に男性は膝枕が好きなのか。
あんずは、真の答えが気になった。
「えっ……?」
さきほどの発言について聞かれると思っていた真は、全く予想していなかった質問に、固まった。
女の子に膝枕をしてもらいたいか――その質問の意図はなんだろう、どう答えればあんずの気に入るのだろう、と真の頭はめまぐるしく回転を始める。
女の子に膝枕をしてもらいたいかもらいたくないかでいったら、それはもちろん、ものすごく興味があるから、自分はしてもらいたい派だと思うけれど、それをそのまま告げたら、ただの女の子好きみたいで、あんずの質問の意図がわからないまま――頷いてもいいかどうかの温度感がわからないまま――答えるのは危険だし、そもそも誰でもいいわけではなくて、あんずがいいという前提の話なので、あんず以外の女の子に膝枕をしてもらいたいとは思わないと言ったら、それはもうほとんど告白といっていいようなものでそんなことはできなくて、それならば、いっそのこと膝枕には興味がないと言ってしまえば、硬派でかっこいいと思われるだろうかとも思うが、もしかしたら、このふりから、あんずに膝枕をしてもらえることに発展するかもしれないから、簡単にそちらに舵もきれないし、膝枕になど興味がないと言い切れるくらいなら、男子高校生をやってはいないわけで、つまり。
「べ、ベスアンがわからないよ~~!!」
たくさんの分岐と結末に真の頭はパンクして、そこから走って逃げ出すという結論を出した。
「真くん!?」
突然走り去った真にびっくりして、あんずは呆然と見送る。
「おいおい。ちょっとは1年見習えよ」
スバルたちとじゃれあいながらも、後ろの様子を気にしていた真緒は、大きくため息をついた。
しかし、今回ばかりは首を突っ込んでよかったな、としみじみ思う。
真緒が一緒に来なかったら、膝枕の現場は収拾つかなかっただろう。悲惨な結果になったに違いない。
ああいうときに北斗はあまり役に立たないし、スバルは論外だし、真はアレだ――すでにその姿は消えている――。
真が走り去った方角を見て、真緒はもう一度ため息をついた。
あんずを見れば、気に障ったことを言ってしまったのだろうかと心配そうだった。
「あんず、気にすんな。男には色々あるんだよ」
真緒はひとまずフォローを入れながら、ユニットの練習のときもぎくしゃくするんだろうなと想像して、どうするかなと頭を掻いた。


おわり

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