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みんなで肝試し

 「花? いる?」
 扉がノックされ、孔明の声がかかった。
「はい!」
 花は読んでいた書簡を放り出して扉に飛びつく。孔明が部屋を訪ねてくるのは珍しい。今日は仕事も終わっているし、もしかしてデートに誘ってくれるのかと淡い期待が湧いた。
「今空いてる?」
 戸を開けると、孔明は出し抜けにそう尋ねてくる。期待が確信に近づいて、花は満面に笑みを浮かべて頷いた。
「はい!」
「そう。良かった。じゃあちょっと付き合って」
 孔明もにっこりと笑って、花の手を引いて歩き出す。繋いだ手を見つめて、花はどきどきしながらついていった。
 どこに行くのだろう。街に出るのだろうか。デートなどいつ以来だろうか。花の心の中で、色々な考えが浮かんでは消えていく。
「はい。じゃあ、これ」
 上の空で歩いていた花は、孔明にそう言われてはっと我に返った。
 いつのまにか二人は立ち止まっていた。ここは城の中庭だ。土を掘り返す人、木を植えている人、土嚢を積んでいる人など、たくさんの人々が忙しそうに動いている。しかし、ここは城の中庭だ。いったい何をしているのだろう。
 ここは、子龍たちが鍛錬をしたり、子供たちが遊んだり、女たちが語らったりする場所だ。稀に、きちんとした式典も行われる。そんな場所をいじくり回したら、雲長にどんな大目玉を食らうか分からない。それなのに、誰も彼もが一生懸命作業に取り組んでいた。
「あの、師匠、これはいったい?」
 そして今、花が孔明に差し出されているのは、柳の枝だ。全く意図が読めない。花は説明を求めて孔明を見るが、孔明はそれには応えず花に柳の枝を握らせた。
「それをあそこに立てて」
「は、はあ……」
「そのあとは、水溜りを作るから」
「水溜り?」
「そう」
「どうしてそんな……」
「今、空いてるんでしょう?」
「はい」
「じゃあ、手伝って」
 孔明はにっこり笑うと、他の指示をするために花から離れていってしまった。花は柳の枝を握りしめて、そのつれない背中を見送る。これは仕事だ。ただ人手が足りなかったから連れて来られただけだ。デートだと思って浮かれていた心は、平手で地面に叩きつけられてしまった。
「花! 花もお手伝い?」
「翼徳さん」
 暗くため息を吐いた花に、明るく声をかけてきたのは翼徳だった。翼徳も例にもれず大木を手にしている。それをどうしろと言われているのかは、あまり聞きたくなかった。
「翼徳さん! これは何なんですか?」
「知らない。孔明に手伝ってって言われたから手伝ってる」
 そんな呑気なと花はさらに肩を落とした。孔明のことだから、理由がないわけはないだろうし、玄徳や雲長にはしっかり話が通っているとは思うが、少しくらい説明がほしい。それに、やはり、孔明に確かめていないため、本当に玄徳たちは知っているのだろうかという不安は拭いきれなかった。
 雲長の怒り顔が脳裏にちらつく。けれども、孔明に言われたことをやらないわけにはいかない。花はすっきりしない思いを抱えながらも、のろのろと体を動かし始めた。


「で?」
 優雅に扇を広げて口元を隠し、孟徳がちらりと視線を玄徳に流した。
 「みんな仲良くなるために親睦会をしてね」という献帝からの書簡が三国に届けられ、そこには成都に集まるようにと書かれていた。そのため、孟徳は元譲と文若を連れてやって来ていた。しかし、親睦を深めるための宴が催されるはずの広間は、がらんとしていて全く宴の準備がされていない。いくら蜀が発展していないといっても、賓客を迎えるのにこれはない。何か企みがあるのかと、孟徳は玄徳を鋭く見据えた。
 そのまるで敵を見るかのような孟徳の視線に、玄徳の後ろに控えている雲長や翼徳、子龍、芙蓉らがわずかに身を硬くした。
「これはどういうことかな?」
「献帝お気に入りの遊びを皆さまにも楽しんでいただこうという趣向ですよ、孟徳殿」
 玄徳の代わりに、その隣に立つ孔明が答えた。
「献帝お気に入りの遊び?」
「ええ」
 孟徳は不思議そうに眉を寄せる。あの献帝が今さら遊びに興味を持つのかと意外に思ったのだ。孔明は頷いて説明をしようと口を開く。しかし、その前に、広間に天真爛漫な声が響き渡った。
「はーなーちゃーん!!」
「きたよー!!」
 童女のように愛らしいが年齢不詳の大喬と小喬が子犬のように広間に駆けこんでくる。そして、玄徳にも孟徳にも目もくれず、まっすぐ孔明の隣に立つ花のもとにやって来た。
「こんにちはー」
「お招きありがとうございます」
「だ、大喬さん、小喬さん……あの……」
 優雅に挨拶をする大喬と小喬に、花は困ってしまう。花は、孔明のおまけのようなもので、この広間には先に挨拶すべき人がたくさんいるのだ。招いたのは献帝であり、主催しているのは玄徳であり、国の有力者は孟徳である。色んなことが飛ばされている。
「あの、玄徳さんに……」
 花が二人に玄徳たちに挨拶をしてもらおうと促そうとしたとき、再び広間に騒がしく人が入ってきた。
「だぁぁ、お前ら! 俺より先に行くんじゃねえっつーの! しかも人ん家で走るな! 孫家の面子が潰れるだろっ!」
 息を切らして現れたのは仲謀だった。肩で大きく息をしている様子は、孫家当主が全力疾走したことを広間にいる全員に余すところなく知らせていたが、仲謀は大喬と小喬に注意をした。
「あ、兄上。廊下を走ってはいけません。ここは、家ではないんですよ」
 そのあとからやって来た尚香も、若干息を上げている。似た者兄妹だな、と全員が思った。
「んなっ、お、俺はいいんだよ!」
 尚香に対して、仲謀が根拠もなく胸を張る。
「何がいいんですか。尚香様の仰る通りです。孫家当主として落ち着きのないところを他国に見せては、それこそ孫家の面子に関わりますよ、仲謀様」
 そこに、公瑾が呆れ顔で登場した。これには、仲謀もぐっと言葉を詰まらせて、口を閉ざしてしまう。
「まあ、いいではないですか。広い廊下は走りたくもなるものですよ」
 最後に、子敬がのんびりと笑いながら広間に入ってきた。
「仲謀、公瑾に怒られてるー」
「ダサーイ」
「ねー、花ちゃん」
 大喬達が言いたい放題に囃し立てると、仲謀はこめかみを震わせる。
「お前らは黙ってろ! てか、こっちに来い!!」
 仲謀の怒声に、大喬と小喬は顔を見合わせて肩を竦めた。
「大喬! 小喬!!」
「はーい」
 二人は舌を出しながらも仲謀に従う。
 呉の一行の到着に、広間は一気に賑やかになった。花は見慣れた光景だが、玄徳たちは目を瞬いている。確かに蜀にはない騒がしさだ。
「…………て、お、おう、待たせたな」
 仲謀は、広間中の視線を集めていることにようやく気づき、玄徳と孟徳にわずかに会釈らしきものをした。


「では」
 孔明が一歩前へ出た。それだけで、場がぴんと緊張する。孔明が、略装ではあるが滅多にしない正装をしているのも、何かが始まることを匂わせていた。
「皆様揃いましたので、本日の宴について、私からご説明いたします」
「宴の説明? なんだ、そりゃ。宴なんて食って飲んでりゃいいんだろ」
 恭しく頭を下げる孔明に、仲謀が眉を寄せる。すると、公瑾が額に青筋を浮かべて、にっこりと笑顔で仲謀を振り返った。
「仲謀様、私の話を聞いていませんでしたね」
「えーっと……」
 仲謀は公瑾から目を逸らして、周りに救いを求めたが、尚香をはじめ全員が視線を逸らした。
「肝試しだ」
 そのとき、公瑾の背後から音もなく早安が現れてずばりと言った。
「うわ、隠し子!」
 大喬と小喬が同時に声を上げる。
「隠し子言うな!」
 早安は即座に言い返す。
「だって本当のことだもん。ねえ、公瑾」
「私に振らないでください」
「あんたに振らないで誰に振るんだよ」
「いや、ていうか、突っ込みたいところが色々あるんだけどよ。とりあえず、あいつの話を聞かせてくれ」
 ぎゃあぎゃあと再び騒がしく言い合いを始める大喬たちを制して、仲謀は説明を求めて孔明を見た。
「いいんですか? 進めて」
「お、おうよ」
 冷たい孔明の視線にわずかにくじけそうになりながらも、仲謀は偉そうな態度を崩さず横柄に頷く。
「そちらの仰るとおり、本日は、『肝試し』を皆さまに楽しんでいただこうと準備させていただきました」
「キモダメシ?」
 仲謀は聞きなれない単語に首を傾げた。
「夏の風物詩だね。色々と仕掛けをされた暗い道を男女で歩くんだ」
 孟徳が若干の偏見を織り交ぜて仲謀に吹き込む。
「男女という決まりはなかったと思いますが?」
 すかさず文若が口を出した。
「男同士で行ってもつまらんだろう? 分かってないなあ、文若は」
「そこに何か分からねばならない要素があるのですか?」
「それが分からないから、お前は結婚できないんだよ」
「なっ……それとこれとは関係ないでしょう!」
「大アリだよ。ねえ、花ちゃん。そう思わない?」
「えっ……」
 突然、孟徳に話を振られて花は戸惑う。
「彼女には関係ないでしょう!」
 文若がいつになく慌てた様子で孟徳の腕を引いた。
「関係ないのかなあ? ねえ、花ちゃん。肝試し、良かったら――」
 どさくさに紛れて花を誘おうとした孟徳の前に、孔明が立った。もちろん、花の姿を隠すように。
「今宵の趣向を気に入っていただけたようで嬉しいです」
 微笑をたたえる孔明に、孟徳も余裕の笑みを浮かべた。
「いい趣向だね、諸葛亮。俺は花ちゃんと行かせてもらうよ」
「陛下のご希望です。先日、肝試しを体験されてひどくお気に召したようで」
 孟徳がきっぱりと言うのを正面から無視して、孔明は再び玄徳の隣に戻る。その孔明の華麗な無視っぷりに、文若と元譲は素直に感心した。
「みなでやるように、とのお達しがあった」
 玄徳はあまり乗り気ではないらしく、孟徳と孔明の陰険な雰囲気にも気づかずに、ため息まじりに孔明の言葉を継いだ。
「ああ……」
 それであの書簡か、と仲謀も納得だ。
「それでどうやるんだ?」
「本日は得点制が面白いのではないかということで、城の中庭に会場を作りました。そこに隠された札を回収してください。札には点数が書いてあり、集めた札の合計点が高い組が勝ち、となります」
「なるほど。面白そうだな」
「いいね」
 基本的に負けず嫌いの孟徳も仲謀も異存はないようだ。
「では、それぞれの国ごとに組を作って回っていただこうと思いますので、ご準備をお願いいたします」
「お言葉ですが、孔明殿。それでは、『親睦会』とやらにならないのではありませんか?」
「よく言った、周公瑾! 全くその通りだ。陛下は、我々が親睦を深めることを望んでおられるんだろう? それなら混ぜた方が陛下のご意向に沿うことになる。さあ混ざろう」
 公瑾が異を唱えると、孟徳が手を打って同意した。孟徳の魂胆は見え見えだが、公瑾の言葉には一理ある。だが、孔明は余裕な態度を微塵も崩さなかった。
「いえ。そうしたいのは山々なのですが、実は、優勝組には陛下からの贈り物がありまして。これがまた、一つきりしかない結構な置物なのです。もし混合組を作ったら、それをどこが所有するかで揉めるかもしれない。戦の始まりはたいていそんな些細なことです。そうなってしまったら、陛下は深く御心を痛められることでしょう」
「……なるほど」
 公瑾はすぐに頷いた。
「孔明殿の言う通りだ。孟徳、諦めろ」
 それ以上孟徳の醜態を晒したくない元譲が、孟徳の肩を引く。
「い・や・だ」
 しかし、孟徳はその手を振り払った。
「元譲、よく考えろよ。このままだと、俺たちは男三人で肝試しに行かなくちゃならないんだぞ? いいか、肝試しの醍醐味は、怖がる女の子を優しく抱擁するところにある」
 力説する孟徳に、元譲だけでなくそこにいる全員が、腐ってると肩を落とした。
「尚香、聞くな」
 仲謀が妹の耳を塞ぐ。
「そうだね。尚香ちゃんは耳を塞いでいた方がいいよー」
「悪い大人だねー」
 大喬と小喬も尚香を守るようにその前に立った。
「すまない、孔明殿。進めてくれ」
 元譲は孟徳を無視して、孔明を促す。
「それ以外にも問題はあるぞ。俺たちは三人だ。蜀の連中は、地の利もある上に、数の利もあるじゃないか。お前たち、みんな出るんだろ?」
 孟徳は、玄徳の後ろにずらりと控える雲長たちを見回して言った。
「いえ、仕掛けを準備した翼徳殿と私、それに私の弟子は参加いたしません。参加するのは、玄徳様と雲長殿、子龍殿に芙蓉殿です。中庭は仕掛けを造った私たちしか道が分からないほど変わっていますので、地の利も数の利もありませんよ。ちなみに、人力が必要な仕掛けには、各国から人手を借りていますので、贔屓などはありません」
 いつの間にそんな手配をしていたのかと、君主たちは胡散臭そうに孔明を見る。孔明はどこ吹く風でその視線を受け流した。
「花ちゃんは参加できないの?」
「は、はい。仕掛けを作りましたから。私が一緒だと、不公平です」
 諦めきれない孟徳は、花に直接問う。それに対して、花はきっぱりと断れた。このために作業を手伝わせたのかと、花はようやく孔明の意図を理解する。
「そっかあ」
 花にはっきりと言われて、孟徳は渋々ながらも納得したようだった。
「ちゅーぼー、ちゅーぼー、私たちも行くからね!」
「こんな楽しそうなこと、絶対譲らないから」
「お前らじゃ数になんねーよ」
 一方、人数の多い呉一行は、騒々しくメンバー選出を始めた。
「私は遠慮したいです」
「ふぉ、ふぉ、若い人にお任せしますぞ」
 軍師二人は面倒くさがってそっと辞退の手を挙げる。
「お前たち、戦力が何言いやがる」
「早安が是非にと申しております」
「おい!」
「兄上! 私も参ります」
「尚香、お前はやめておけ」
「私も孫家のために何かしたいのです!」
 尚香は真面目に仲謀に訴えるが、いつものごとく仲謀は取り合わない。
「尚香ちゃん、可愛いなあ」
 そんな尚香に、孟徳が相好を崩した。それに気づいて仲謀は慌てて尚香の手を引く。
「ああ、いや、尚香。一緒に来い。お前の力が必要だ」
「は、はい! 兄上!!」
 尚香は頬を紅潮させて気合の入った返事をした。仲謀に期待されることなどほとんどないので、尚香の気分は一気に上がっていた。
「狭量だな、孫仲謀。玄徳には差し出すくせに、俺はダメなのか?」
「ダメに決まってるだろ。あんたとあいつじゃ雲泥の差だ!」
「言うね、若造」
「うるせーよ、おっさん」
 二人の間に火花が散る。
 せっかく仲良くするために集まったのに、これでは逆効果だ。
「もう仲謀! 仲良くするために来たんでしょ?」
 見かねて、花は仲謀を諭した。孟徳も良くないが、面と向かって失礼なことを言っているのは仲謀の方だと思ったからだ。
「ちっ」
 花に怒られると、仲謀は舌打ちをしてそっぽを向く。
「いいなあ。俺も花ちゃんに叱られたいな。『孟徳さん! 駄目です!』みたいに言ってくれないかなあ」
 孟徳の腐った発言は、全員に無視された。花も身の危険を感じて一歩下がる。その前に、そっと雲長たちが立ってくれた。
「あ、いいこと思いついた」
 すると、まるで無視は許さないとばかりに、孟徳は手を挙げる。孟徳以外の全員が、絶対にいいことではないと確信して、誰も合いの手を入れない。だが、そんなことで孟徳は挫けなかった。



「ね、勝った組は花ちゃんを自分のところに招待できるっていうのはどう?」
「孟徳、もうやめないか!」
 目を剥く玄徳軍の面々を見て、慌てて元譲が孟徳を制そうとする。しかし、意外なところから援護が上がった。
「それ、いい! 曹孟徳いいこと言う!」
「さっすがー。仲謀とは違うね!!」
 大喬と小喬の諸手を挙げての賛成に、元譲の手が宙を掻く。
「だいたい花ちゃんを独り占めしすぎだよねー」
「友だちのところに遊びに行くくらい認めてあげてもいいのにねー」
「きっと誰かさんが邪魔してるんだよ」
 ちろりと大喬と小喬は孔明を見るが、孔明は全く目を合わせなかった。
「なんか感じ悪いしー」
「そうそう。感じ悪い。花ちゃんを独占しすぎだ」
 大喬と小喬の同意を得て、孟徳は勢いづいた。
「なあ、玄徳。いいだろう? 三国の親睦のために、花ちゃんを親善大使にしよう」
「いや……その…………」
 迂闊に返事をしたら、自国の軍師に国を滅ぼされてしまうのではないかと恐れ、玄徳は孔明に視線を流した。
 全員の視線を集めて、孔明はひとつ、息を吐く。
「仕方ありませんね」
「え?」
 一番驚いたのは玄徳だった。
「彼女はモノではないのですが、親善大使と言われてしまっては、お断りができません。三国が和して一国となることが、献帝のご意向もあることですし」
「こ、孔明? いいのか?」
 まさか孔明が受け入れるとは思わなかった玄徳は、思わず聞いてしまう。しかし、すぐに玄徳は己の粗忽さを後悔した。
「要は、玄徳様が勝てばいいんです。頑張ってくださいね、玄徳様」
 孔明は朗らかなまでの笑顔を浮かべていた。
「あ、ああ……善処する」
「玄徳様、ご武運を」
 明らかに、励まされているのではなく脅されている。その激しいプレッシャーに、玄徳は胸を押さえた。
「げ、玄徳様、大丈夫ですわ。私たちがついております」
「そ、そうです、玄兄。玄兄が一人で抱えることはありません」
 普段は犬猿の仲の芙蓉と雲長が協力して玄徳を励ます始末だ。
「玄徳様、この子龍、命に代えても勝利を御手に!」
 子龍もまるで戦地に赴くような顔で胸に手を当てた。
 玄徳軍の必死さに、他の二組は哀れみの目を向ける。
「それでは、始めましょうか」
 そんな彼らの様子には構わず、孔明はマイペースに仕切った。孔明の先導で、中庭の会場に全員でぞろぞろと移動する。
「中は一本道ではありませんが、間隔を空けて入っていただきたいので、入る順番を決めましょう」
 孔明はそう言って三君にクジを引かせた。その結果、一番手は仲謀、二番手は孟徳、最後に玄徳となった。クジ運の悪さに、玄徳がますます重い空気をまとう。
「玄兄! 大丈夫です!!」
「少しくらい入るのが遅れたところで、我らの勝利は揺らぎません!」
 雲長たちが必死に玄徳を慰める横で、仲謀たちが入り口に立った。
 柳の枝で飾られた入り口は、それはおどろおどろしい雰囲気を醸し出している。
「あ、兄上……」
 尚香が仲謀の肩にぎゅっとしがみついた。
「待っててもいいんだぞ?」
「い、いえ。行きます!」
「じゃあ、俺から離れんなよ」
 震えながらも首を振る尚香に、仲謀は笑って手を取った。
「本格的だねー」
「楽しそー」
 そんな二人の横を、すたすたと大喬と小喬が歩いていく。そのあとを早安が無言でついていった。
「お、おい! だから勝手に行くなって!!」
 仲謀は尚香を連れて、慌てて三人を追いかける。五人の騒がしい声や足音は、すぐに聞こえなくなった。
「子敬殿、公瑾殿。宴席を用意しております。お待ちになるのでしたら、そちらで」
 孔明は、不参加を勝ち取った軍師二人にそう促した。
「ですが、仲謀様を待たずに酒席はいささか心苦しいですなあ」
「長い夜になりますから、仲謀殿も納得されましょう」
「……そう、ですな。行きましょうか、公瑾殿」
 孔明の言葉に含みを感じ取って、子敬は公瑾を振り仰ぐ。公瑾もまた、孔明の言葉から素直に引き下がるべきだと感じて、子敬に頷いた。
「はい。それでは下がらせていただきましょう」
「翼徳殿、ご案内を」
「うん、分かった」
 元来た道を戻っていく三人を見送る。次は、孟徳たちだ。
「我らも行くか」
 文若は心底辞退したそうな顔をしていたが、元譲に促されて歩き出す。
「花ちゃん。君のために頑張るよ」
 孟徳は懲りずに花にウィンクをした。
「孟徳!」
 元譲がその襟首を掴んで、ずるずると引きずっていく。
「応援しててね!」
 その状態でも、花に手を振りながら、孟徳は暗闇の中に消えていった。
 残ったのは、沈痛な面持ちの玄徳軍一行だ。このミッションに失敗したら、どんな地獄が待っているか分からない。
「行きましょう、玄兄!」
「勝利を我らの手に!」
 定められた時間を迎えると、四人は意気込んで中に飛び込んでいった。
 急に辺りが静かになる。花はそっと孔明を窺った。
「変なことになっちゃいましたね」
 孟徳のおかげで、話が妙な方向に行ってしまった。今日は、みんなで楽しく遊ぶ日だったはずなのに、遊びのムードではなくなっている。
「まあ、想定内かな」
 孔明は肩を竦めた。
「そのために、ボクが仕切ったわけだし」
「え?」
「仕切り側にいれば、結果なんてどうにでもできるでしょ」
 孔明は手元から高得点の書かれた札を取り出した。昼間、孔明に言われるまま設置した花には見覚えのある図柄だった。
 まさか、玄徳たちの得点が低かったら入れ替えるということだろうか。
「師匠、それ不正……」
「じゃあ、何? 君は誰かのところに行きたいの?」
 孔明に鋭く問われて、花は言葉を詰まらせる。
 孟徳のところや仲謀のところに遊びに行きたくないといえば嘘になる。どちらもそれなりにお世話になって、よくもしてもらった。親しみを感じてもいる。特に、尚香や大喬、小喬は、この世界の数少ない友達なのだ。遊びに行けるなら行きたい。
 しかし、今問われているのはそういうことではない。ようやく花もそれくらいのことは判断がつくようになっていた。
「いえ……その…………師匠のそばが、いいです」
 花は恥ずかしさを堪えてそう告げる。その赤い項に、孔明は少しだけ頬を緩ませた。
「なら、文句を言わない」
「……でも……」
 結局孔明が操作するなら、今みんなが一生懸命やっていることは無駄になるということだ。とても心苦しい。
「まあ、でもきっと、こんな物は必要ないよ」
 そんな花の心を見越したかのように、孔明はひらひらと札を振る。
「夜が明けても決着つかないはずだから」
「? どういうことですか?」
「ボクは相手から札を奪ってはいけないとは言ってない。言ってないってことは禁じられていないって、曹孟徳も孫仲謀も気づいてるだろうね。それに時間制限も設けていない。つまり、彼らは有限の札を巡って一晩中争えることになる。みんななんだかんだいって負けず嫌いだし」
「…………」
 あっさりと言う孔明に花は言葉を失った。そこまで見通した上で、孔明はきちんとルールを作っていないのだ。
「だから、玄徳様たちに分があるよ。武闘派が揃ってるし。ボクの大事な弟子のために、玄徳様には勝ってもらわないと」
「師匠ってほんと……」
 芙蓉によく言われる「厄介な人を好きになったわね」というフレーズが頭の中を駆け巡る。確かにと花は今さらながらに思った。孔明が敵だったら、生まれてきたことを後悔するような気分になるに違いない。
「惚れ直した?」
 言葉を呑む花に、孔明が自分勝手な解釈をつける。
「いえ……」
「違うの?」
 花が反射的に首を振ると、孔明はぴくりと眉を動かした。
「え? あ、あの、その……」
 顔を覗き込まれて花は焦る。いつのまにか孔明がすぐそばに来ていた。
「ひどいなあ、君は」
「ひ、ひどいのはどっちですか!」
 今は孔明だけには言われたくない。
 すると、孔明はわざとらしく傷ついた顔をして見せて、言った。
「ボクはただ、君が好きなだけだよ」
「!!」
 目を見開く花に笑って孔明はその腕を引く。そして、その柔らかな唇を掠め取った。


 結局、孔明の読み通り、朝日が昇るまで死闘が繰り広げられ、その熾烈な戦いは、死か勝利かを迫られていた玄徳軍が、最後まで食い下がる孟徳を振り切って、勝利した。
 そして翌日、中庭では、敵味方関係なく三国の面々が、枕を並べて倒れている様が見られた。
「平和でいいですなあ」
 子敬がのんびりと呟いた。

 三国はこんなにも平和になりました。

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