夏祭り(晃あん)
2016.9.4 ブリデ4の無配
軽音部と夏祭りの晃あん
イライライライラと、苛立ちが体から立ちのぼるのが見えるような絶不機嫌の顔をして、大神晃牙は犬の銅像の前で腕を組んで立っていた。
彼の周りで同じように待ち合わせの相手を待っている者たちは、次々と相手が来て待ち合わせゾーンを離脱しているが、晃牙はかれこれ二十分はその場にいる。
きちんと浴衣を着ているからこそ、完全に「待ちぼうけを食わされている男」の図で、相手の女の子がくるかどうかという賭けが、向かいのコンビニのアルバイトたちの間でなされようとしたが、全員が「来ない」に賭けようとしたため喧嘩になりそうになっていたなどということも知らず、晃牙はイライラと待っていた。
(ああくそっ、あいつ、なにやってんだ! チッ、吸血鬼ヤローが余計なこと言いやがるから、俺様がこの蒸し暑い中突っ立つことになっちまったじゃねえか!)
晃牙は、先日の軽音部室でのやりとりを思い出して、いっそう腹立たしさを深めた。
「夏祭り? 行きたい! ね、みんなで行こうよ!」
夏休みだというのに、軽音部の部室には、部員全員と通りがかりを双子に引っ張り込まれたあんずがいた。ようやくだが、空調が直って、ただでさえ学院の施設を使うために学校に来るアイドル科の生徒たちは、ますます学校に集まっていたのだ。
夕方になって起き出した朔間零が、家の近所で夏祭りがあると話すと、双子がみんなで行こうと言い出し、夜は活動的になる零が賛同して、あれよというまに五人で出かけることになっていた。
「わんこはちゃんと嬢ちゃんを連れてくるんじゃよ」
「はぁ?」
零に指名されて、晃牙は盛大に顔を顰めた。
「同じ二年生のよしみじゃ。女の子ひとりで祭に来させるのも危ないじゃろう? 祭は浮ついた男も多いだろうしのう」
「だからって――」
「私、ジャージで行くので大丈夫ですよ」
「えっ」
「え?」
零と晃牙が言い争いになりかけたところ、あんずがすっと手を挙げて意見を述べると、それに葵兄弟が大きな声を出して固まり、それにあんずが首を傾げた。
「嬢ちゃんは、浴衣を持ってないのかのう?」
時が止まった三人に声をかけたのは、零だった。
「持ってますよ」
「どうして着ないんですか!」
あんずが零に答えると、解凍されたひなたがあんずに、ずいっと迫る。その顔は真剣そのものだ。
「動きにくいから?」
その勢いにびっくりしながらも、あんずは素直に答える。
「駄目です! 夏祭り! 浴衣! うなじ! これは譲れませんって!」
ひなたは頭を抱えて、ノー! と叫び出す。
「大神先輩!」
「んぁっ!?」
全く興味がなく、離れて見ていた晃牙は、突然、目の据わったひなたに見定められて、びくっと肩を震わせた。
「大神先輩もそう思いますよね!」
「は?」
「だから、あんずさんは浴衣マストですよね!」
「いや、本人がジャージがいいって言ってんだから、別にいいんじゃねえか。けど、祭にジャージってヤンキーかよ」
どうでもいい話題に肩をすくめながらも、ジャージはないだろうと思い、晃牙はあんずに向けて鼻で笑う。
「む」
馬鹿にされて、あんずは気分を害したように眉根を寄せた。
「あーもう、全っ然、わかってない! 大神先輩なんて、あんずさんが浴衣で着ても、絶対に見ちゃ駄目なんだから!」
「わけわかんね~こと言ってんじゃねえよ! あんずは着ねえって言ってるじゃねえか!」
同意を得られなかったひなたは、頭を抱えたままのた打ち回り、その意味のわからない非難に、晃牙はひなたを睨みつけた。
「うわーん、あんずさんの分からず屋~! ゆうたくん、慰めて!」
「暑苦しいからくっつかないで!」
などなどといういつも通りのうるさいやりとりの末、あんずが浴衣を着る着ないにかかわらず、晃牙があんずを連れて行くことを零によって決められてしまった。
家まで迎えに行けという指示だったのだが、あんずが固辞したので、あんずの家の近くのこの待ち合わせスポットで落ち合うことになっていた。
しかし、来ない。
あんずは、夏祭りは楽しみだと言っていた。だから、すっぽかすなどということはないはずだ。そもそも、あの真面目なあんずが何も言わずに約束を破るはずがない。
そう思って、あんずから連絡が入っているかもしれないと、自身のスマートフォンを取り出して、晃牙は目を剥いた。
(げっ、十五分も過ぎてやがる)
晃牙は五分前に着いていたから、二十分は待ちぼうけということだ。
あんずは、約束を破るはずがないどころか、時間もきっちり守る。
何かあったのかではないかと、急速に苛々が萎み、心配が膨らんだ。
一気にそわそわしだして、晃牙はとりあえず、あんずに、「まだかよ」とラインを送ってみるが、返事どころか既読もつかない。
これはいよいよなにかあったのではないか、零たちに聞いてみようか、とスマートフォンを握りしめたときだった。
「お、大神くん、ごめんなさい! お待たせしました!」
と、息を切らしたあんずの声がかかった。
事故に遭ったとかそういった最悪のことでなくてよかったとほっとする一方、それならば散々待たせやがってと怒りが再燃する。
約束の時間を何の連絡もなく破るなど言語道断、この業界に生きる者として致命的な失態だ。しかも、この大神晃牙様を待たせたのだ。その落とし前はそれこそきっちりつけさせてもらう。恐れをなして泣き出したとしても自業自得だ。自分の罪深さを知るがいい。
(俺様の恐ろしさを思い知りやがれ――っ!!)
晃牙は、絶対的な優位に高笑いが出そうなほど勢いよく振り返って――、目を剥いて固まった。
すぐ後ろに立っていたあんずは、浴衣姿だった。
撫子の柄の藍色の浴衣に、髪をまとめて結い上げ、うなじが見えている。ひなたの注文通りだ。
「大神君?」
あんずは、凝視したまま微動だにしない晃牙を、心配そうに窺ってくる。
いつもは気にならないのに、その大きな瞳にたじろいだ。
髪をまとめているせいか、首筋にかけてすごく華奢に見える。肌も白くて、柔らかそうだ。
(……!!)
晃牙は自分が考えたことにびっくりして目を剥いた。
「ジャ、ジャージじゃねえのかよ!」
「え?」
そして、勝手に追い詰められて出た言葉がそれで、あんずがきょとんとする。
(じゃねえ!)
晃牙は慌てて言い直した。
「遅ぇよ!」
晃牙はあらためて一喝するが、もちろん言い直しなので格好がつかない。
しかし、それでもあんずは申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい。途中で鼻緒が切れちゃって、歩きづらくて……というか歩けなくて」
「はあ?」
あんずの話に苛立ちがトーンダウンする。謝るあんずの視線を辿れば、あんずの下駄の鼻緒が無残なことになっていた。確かに、これでは歩くのもままならないだろう。
ただ、晃牙が見やすいようにだろうか、浴衣の裾を少し持ち上げているため、細い足首から白いふくらはぎまで見えているのが気になってしまって、晃牙は確認もそこそこにさっと目を逸らした。
「わ、わーったよ! でも、それなら連絡寄越せ。迎えに行ってやったのによ。アドニスじゃねぇんだから、使い方わからね~わけじゃね~だろ」
「それが……スマホ、置いてきちゃって……いつものカバンと違うから……」
晃牙がスマートフォンを振って示すと、あんずは消え入りそうな声で言う。
「鈍臭」
「仰る通りです……」
反論もできないと、あんずは身を小さくした。
「家に戻るより、こっちに来た方が早いかなと思ったんだけど、時間かかっちゃって、本当にごめんなさい」
もう一度深々と頭を下げるあんずに、晃牙は息を吐く。
「ま、事故とかじゃなくてよかったぜ」
「大神君……」
事情もいろいろわかったし、何事もなく合流できたのだから、あとは、零たちとの待ち合わせの場所に行くだけだ。
晃牙は鼻緒の直し方など知らないし、うわばきの紐のように安全ピンで留めるわけにもいかない。零なら下駄を直せるだろうから、零のところに行くのがいちばんの解決策だ。
そうとなれば、と晃牙は、手早く零に集合時間に遅れる旨を送ると、あんずに背中を向けてしゃがんだ。
あんずをおぶっていくのがいちばん早い。
「ほらよ」
「へ?」
「へ? じゃねーよ、アホ面すんな。アホとばかりいるからアホが移っちまったのか? おぶってやるって言ってんだよ!」
この状況でどうして察せないのかと、晃牙は呆れて言って、さらに背を差し出した。
「い、いやいやいやいや! いいです! 大丈夫!」
すると、あんずは盛大に手を振って一歩下がる。
「大丈夫じゃねえから言ってんだろ。歩けねえだろ、それ」
「だ、だだって、大神くんも浴衣だからおんぶなんて大変だし、悪いよ」
「悪かねーよ。俺様はこんくれー平気だっつーの。さっさと集合場所に行って、吸血鬼ヤローにそれ渡したら、どうにかしてくれんだろ」
「……朔間先輩は万能なんだね」
あの人ならどうにかしてくれるから大丈夫だと安心させるために言ったのに、なぜかあんずから、まるで小さな子どもを見るような視線を送られた。
「なんだよ、その目」
「ううん、なんでも」
その視線が気に入らなくて、晃牙が睨むと、あんずは急いで首を振る。
「でも、そのスマホで、朔間先輩に、遅れますって連絡して、ゆっくり下駄をどうにかすればいいんじゃないかな」
「ごちゃごちゃうるせーな! 早くしろ! 待たせちまうだろうが!」
まだ遠慮をするあんずに、晃牙はしびれを切らした。
女子供ならばビビる迫力のはずなのに、あんずはまた例の微笑ましそうな顔をした。
「そうだね。朔間先輩のところに早く行かないとね」
「おうよ」
その表情はいけすかないが、ようやくあんずがわかってくれて、晃牙は気をよくして頷く。
あんずは、晃牙は早く零に会いたいのだなと思って受け入れたのだが、晃牙は全く気づいていない。
「重くて無理だったらおろしてね」
「重いなんてわかってんだよ」
一応の気遣いとして言ったのに、完全に肯定されて、あんずは若干むっとした。自分でふっておいてなんだが、デリカシーがないのではなかろうか。
「人ひとり重くなかったらおかしいだろ。んなことくらいわかってんだから、気にしねーで早くしろ」
だが、続いた晃牙の言葉に、あんずは目を瞬いた。
それもそのとおりだと思って、それ以上の遠慮を口にするのをやめる。晃牙は口も態度も悪いが、結局親切だ。
「じゃ、じゃあ失礼します」
遠慮はやめにしたものの、やはり晃牙におんぶしてもらうのは恥ずかしい。あんずは、晃牙の肩に手を置き、密着しすぎないよう気をつけながら、そっと体を預けた。
「立ち上がるぞ。ちゃんと掴まってろよ」
晃牙はあんずに声をかけてから、すっくと立ち上がる。
「わっ」
その勢いが予想以上で、あんずはバランスを崩しそうになった。
「遠慮してねーでちゃんと掴まれ! 危ねーだろっ」
「う、うん」
晃牙に叱られると、あんずも反省して、体を完全に預けて、ぎゅっと腕を回す。
(!!!)
その途端、ふんわりとしたいい匂いが鼻をついた。続いて、背中にやわらかいものが当たり、晃牙は悲鳴を上げそうになって、どうにか堪える。
これはあれだ。
「ち、近すぎんだよ! あんまり気安く俺様に触るな!」
「えっ、む、難しいよ?」
晃牙が恥ずかしさを誤魔化すため、いつも以上に荒っぽく言い放つと、「しっかり掴まりながらあまり触らないようにする」という状態が想像できず、あんずは困惑した。
「すぐ音を上げるんじゃねーよ! 努力しろ!」
「わ、わかった」
おんぶしてもらっているという引け目があるのか、晃牙の理不尽な要求にも、あんずは素直に頷いて、どうにか晃牙の希望に沿うよう体勢を工夫し始めた。
結果、胸が背中に当たらなくなって、晃牙はそっとほっとした。
余裕をもって待ち合わせていたのもあって、零たちとの待ち合わせ場所には十分弱の遅れで到着した。
夏祭りの会場の近くなので、人出も多く、あちこちで待ち合わせの輪ができている。
「どこかにいるか?」
「あ、あれじゃないかな? って、あれ? 羽風先輩と乙狩くんも、いる?」
人混みの中で、零たちはすぐに見つけられた。というのも、ひどく目立っていたからだ。
女性陣の熱い視線と、男性陣の妬ましそうな視線を集めて、その周りだけ不自然に空間ができていた。
零と双子だけでなく、背が高く、派手な男たちが共にいる。
目を疑うが、確かに、『UNDEAD』の羽風薫と乙狩アドニスだ。
四人とも浴衣を着ていて、それがまた決まっていた。
つまり、本当にものすごく目立っている。
「げぇ。なんだよあれ」
この視線の中を突っ切って、あそこに合流したいとは全く思えなかった。むしろ、連れだとばれたくない。
このままUターンだ、いや、それよりも、あんずをおろすのが先かと逡巡している間に、薫と目が合った。
(!)
本当に厄介な男だ。間が悪いというかいいというのか、いらないときに目敏い。
「やっほ~。大変だったね、お疲れさま」
目が合ってもなお、気づかない振りをして逃げようかと思った晃牙に向けて、薫はひらひらと手を振りながら近づいてきた。
「あんずさん、俺、信じてました!」
「浴衣姿、素敵です!」
ひなたとゆうたも駆けてきて、晃牙に――ではなく、晃牙がおぶっているあんずにまとわりついてくる。
「うぜえし、浴衣姿なんて見えねえだろ! なに言ってんだよ! っていうか、なんで羽風…先輩たちがいるんだよ」
おんぶしているのだから、あんずの浴衣姿はきちんと見えないはずなのに、左右から賛辞を浴びせかけてく双子がうるさくて、晃牙は一喝した。しかし、なによりもこの男が問題だと、にこにこしている薫を睨むように見る。
「わんちゃんひどいよ~。あんずちゃんと夏祭りに行くなら呼んでくれなきゃ」
「いや、いちばん呼んじゃいけねーやつだろ」
「すまない、話を聞いて、俺も行きたいと朔間先輩に申し出たんだ」
零とともにやって来たアドニスが、晃牙の苛々した言葉を聞いて、申し訳なさそうに謝る。
「おめえはいいんだよ」
「えー差別反対! 傷ついちゃうな~」
「そうじゃねえよ。羽風…先輩、すげえ周りの男どもから睨まれてんだけど、なんなんだよ、あれ」
晃牙は周りをちらりと見て、げっそりした。周りの女性陣からは熱い視線だが、男たちは不穏な視線を寄越していて、穏やかでない。
「彼女が自分よりも俺ばかり見ちゃうからじゃない?」
「わかってんなら愛想ふりまくな! ややこしくなるだろうが!」
「女の子に冷たくなんてできないでしょ」
「フツーにしろよ」
「これが普通なんだって。それで、なに、あんずちゃん、下駄の鼻緒が切れちゃったんだって?」
文句を言われるだけの晃牙との会話をさっと切り上げて、薫はあんずに顔を近づけた。その瞬間、晃牙の首に巻きついているあんずの腕に力がこもる。最近は以前よりは怖がらなくなったとはいえ、薫には緊張するのだろう。あんずの強張りをダイレクトに感じた晃牙は、一歩下がって、薫と距離を取った。
「俺が君の足の代わりになるよ」
すると、また一歩、薫が踏み込んできて、あんずににっこりと笑いかける。
「意味わかんねえ」
「わんちゃんがやっていることだよ? あんずちゃんおぶるの、かわるよ」
「いらねえよ! おい、吸血鬼ヤロー!」
薫があんずに手を伸ばしてくるので、晃牙はそれを躱しつつ、急いで零に壊れた下駄を投げつけた。
「鼻緒直してやってくれよ。直せんだろ?」
「ああ、ちょっと待っておれ」
零はそれを受け取ると、手慣れた様子で直し始めた。
「これで、おんぶも必要ね~からな!」
晃牙は薫にふんと鼻で笑ってから、あんずを振り返る。
「ほらな、すげーだろ」
「うん、そうだね」
期待通りに、なんでもできる零に、晃牙は誇らしげだ。それをあんずは温かい眼差しで見守った。
「大神先輩は、朔間先輩信者だってこと、もう少し隠した方がいいよね、人として」
「ほんとほんと~」
ひなたとゆうたは、ぴったりとくっついてこそこそ耳打ちし合う。
「え~あんずちゃんがすごいって思ってくれるなら、俺がやったのにな~」
その傍らで、薫が残念そうに下駄を直す零を見た。
「は? なんでできんだよ」
「男の常識でしょ。浴衣デートで女の子の鼻緒が切れちゃったときに手早く直せたら、ポイント高いじゃん」
眉根を寄せる晃牙に、薫はウィンクしてみせる。
聞いた自分が馬鹿だったと後悔する回答に、晃牙はがっかりした。
「羽風先輩はほんとブレないですね!」
「大神先輩、そこは、それならなんでおぶるって言いやがったんだよ! って突っ込むところでしょ!」
すると、ゆうたとひなたがからかうように口を挟んできた。
「あ……」
そのひなたの突っ込みに、晃牙ははっとする。
不審の眼差しを向けると、薫はかわいこぶって舌を見せた。
「やだなあ、ひなたくん、せっかく気づいてなかったのに」
「ほんとブレないですね!」
「おい、こら、てめえ!」
「あんずちゃんが落ちるから暴れないでね、わんちゃん」
「ぐっ、くそっ!」
薫に掴みかかろうとしたら、薫にもっともなことを言われて、晃牙は踏みとどまる。
「できたぞい」
そんな話をしている間に作業が終わって、零が地面に下駄を置いた。
「ありがとうございます」
「応急処置じゃから、ちゃんと修理に出すんじゃぞ」
「はい」
晃牙の背からおりて、あんずは下駄を履く。
「大丈夫かの?」
「はい。ありがとうございます!」
しっかりと鼻緒がついていて、歩くのに支障ないことを確認すると、あんずは顔を輝かせて礼を言った。これで晃牙たちに迷惑をかけないで済む。
「よし。それじゃあ、行くかのう」
零はやさしく微笑んでから、みんなを促した。
「はーい! なに食べようかな」
「アニキ、あんまり食べ過ぎないでよね」
双子が待ちきれないといった様子で一番に歩き出し、そのあとを零たちがゆっくりと歩いていく。
それに続こうとしたあんずは、やはり少し歩きづらそうに見えた。下駄の調子が悪いのではなく、慣れていないからだろう。
「……おい」
そんな様子を見ていた晃牙が声をかけると、あんずは立ち止まって振り返る。
「転ばれても面倒だから、掴まれ」
「え……」
腕を差し出すと、あんずは戸惑ったような顔をした。
せっかく親切に言ってやっているのだから、すぐに感謝すればいいものを、と晃牙はさらにあんずの方へ腕を出す。
「早くしろ!」
「は、はいっ。ありがとう」
あんずはおずおずと晃牙の腕に手を伸ばしてきた。
遠慮がちに、ただ触れる程度に掴まれて、晃牙は眉根を寄せる。
もっとちゃんと掴まらないと意味がないだろう。
「おい――」
「あ、大神先輩が抜け駆けしてる!」
「ややっ、これは羽風先輩にも劣りませんね! 朔間先輩!」
あんずに注意しようとしたところに、いつのまにか先頭から最後尾にやってきた双子が囃し立ててきた。
「吸血鬼ヤロ~は関係ねーだろーが! 散れ!」
「わんこは優しい子じゃのう」
零はにこにことまるでおじいちゃんのように優しい眼差しで見てくる。それがますます苛立たしい。
「うっせえ! わんこって呼ぶんじゃねえ! 俺様は狼だ!」
「そこ!?」
「またツッコミどころ違くない?」
「ああ、おまえら、うるせーんだよ!」
「わー暴力はんたーい!」
喚く晃牙を、双子がますます煽ると、晃牙はあんずの手を放して、双子をとっちめようと掴みかかる。だが、身のこなしの軽やかなふたりは晃牙の手からするりするりと抜けていった。それを追いかけて、晃牙は走っていってしまう。
「あ……」
放された手を見て、あんずは思わず声を漏らした。
なんだか、寂しくて落ち着かない。そして、なによりも、その感情に戸惑った。
「歩きにくいなら、エスコートするよ?」
ふいに、すぐそばで薫の声がして、あんずは驚いて顔を上げる。
いつのまにか、薫が隣に立っていた。
「だ、大丈夫です」
あんずは一歩離れようとするが、それよりも早く薫の手が伸びてくる。
手を取られると思った瞬間、薫の手が何かに弾かれた。
「触んな!」
双子を追いかけていたはずの晃牙が戻ってきて、薫との間に割って入り、薫の手を払ったのだ。
「まだ触ってないよ~」
「まだってなんだ、まだって。ったく、油断も隙もねえな。行くぞ」
手をひらひらさせる薫を軽く睨むと、晃牙はあんずの手を取って歩き出す。
「あ、う、うん」
つながれた手を見て、そのことを指摘すべきかどうか、あんずは悩みながら晃牙についていく。
「もう突っ込まなくていいかな」
「うん。面倒だからいいよ」
双子は、晃牙とあんずを見送って、こそこそと話をすると、顔を見合わせてにんまりと笑ってから、ふたりを追いかけた。
おわり
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