夏祭り(颯あん)
2016.9.4 ブリデ4の無配
颯馬とアドニスとあんずで夏祭り
神崎颯馬は、神社の前の木の下で、そわそわと立っていた。
今日は、クラスメイトの乙狩アドニスとあんずと三人で夏祭りに行く約束なのだ。クラスの友だちとお祭りに出かけるなんてはじめてのことで、わくわくと期待が膨らんで、昨日はあまり眠れなかった。それなのに、今朝は早くに目覚めてしまい、落ち着かない午前を過ごし、昼にはもう浴衣を着て、準備万端整った。そうしたら家でじっとしていられなくて、この集合場所にやって来たというわけである。
待ち合わせの時間までまだだいぶあるどころか、祭も準備の真っ最中だ。屋台の主たちの不思議そうな視線をちらちら受けながら、颯馬はそれに気づかず、わくわくと、三人でどう遊ぼうかと想像を膨らませていた。
(あどにす殿は、日本の祭自体がはじめてだと言っていたし、あどにす殿の意見を聞くのがいいであろう。あんず殿も賛同してくれるはずだ)
アドニスの好きそうな屋台に案内してもいいし、一巡りしてから気になった屋台を覗いてもいい。
(やはり肉であろうか。最近は、肉の串焼きの種類も豊富だから、きっとあどにす殿の気に入るものもあるはずだ)
屋台の食べ物はたくさんの種類があるが、アドニスといえば肉というイメージがある。颯馬は参道を覗いて、見える限りの屋台に書かれた文字を読んだ。しかし、颯馬が立っているところからだと、肉関係の屋台は見つけられなかった。お祭りにないはずがないので、奥に進めばあるだろう。
そんなことを考えているうちに、徐々に陽が暮れ、人々が集まり出し、そして、ついに祭が始まった。
祭囃子の音、ひとびとの笑い声、お祭り特有の喧騒に、颯馬はどんどん昂揚してくる。
(あんず殿たちはまだであろうか……)
颯馬は、そわそわと往来に視線を巡らせた。こうして行き交う人々の中にあんずとアドニスの姿を探すのは何度目か知れない。今回もやはり見つけられなかった。
まだか、と諦めて視線を落とす。
と、そのとき、
「神崎くん!」
と、あんずの声が響いた。
喧騒の中でも、まっすぐに耳に届く声に、颯馬は嬉しさに胸を膨らませて勢いよく振り返る。そして、その顔を強張らせた。
そこにはもちろん、颯馬を呼んだあんずがいた。そして、彼女の隣にはもうひとりの約束の相手、乙狩アドニスがいた。
ふたりとも浴衣を着ていて、どちらもよく似合っている。特に、あんずは制服姿かジャージ姿しか見たことがなかったので、とても新鮮だった。髪をまとめてすっきりと結っているのが、ひとく大人っぽく見える。アドニスも異国の風貌に浴衣という様が、いつも以上にセクシーだ。
そんなふたりを指して、「かっこいい~」「かわいい」といったような声も聞こえる。
確かに、アドニスはかっこいい。あんずはかわいい。颯馬も常ならあんずに目を奪われていただろう。
だが、それよりなにより、颯馬の視線を釘付けにしたのは、アドニスとあんずのつないだ手だった。
そう、アドニスとあんずは手をつないでいるのだ――とても自然に、何の照れもなく、颯馬に言い訳も説明もない。まるでそうすることが当然かのように。
そんなふたりに、わくわくしていた気持ちが一瞬にして消え、颯馬はひどくもやもやとした。
「待たせたか」
「い、いや。時間ぴったりだ」
アドニスの気遣う視線に、颯馬は勢いよく首を横に振る。早くに来たのは、颯馬の勝手だから黙っておいた。
「ふたりは――いっしょに来たのであるか?」
颯馬は気にしていない風を装って、恐る恐る聞いてみた。
「ああ。俺が浴衣を着たことがないと言ったら、あんずが着付けをしてくれると言ってな。それで、いったん学校に集まった」
「そ、そうであったか……」
ふたりがいっしょに来た理由はわかったが、手をつないでいる理由は触れられなかったので、まだもやもやが残る。
このもやもやとした楽しくない気持ちはなんなのだろう。
待ちに待っていた夏祭りだというのに――。
「では、行くか。祭、楽しみだな」
「うん。いっぱい回ろう?」
「ああ。ほら、ちゃんと掴まるといい」
「ありがとう」
颯馬が考え事をしている間に、ふたりは仲良く話しながら歩き出してしまう。しかも、手をつなぐのではなく、アドニスが差し出した腕に、あんずが腕を絡めている。
「!」
颯馬はぎょっとして、ふたりを見送ってしまった。
胸が塞ぐ。いつもなら、ともに歩いて会話をするのに、足が重くて動かない。
今日をとてもとても楽しみにしていて、約束をした日から、ずっと指折り数えて、今日をどう過ごそうとそればかり考えていたのに、それら全てがどうでもよくなるような、重い気分になっていた。
ふたりとともにいるのが楽しくなく思える。そんなことは今までなかったのに。
「見て見て、あのひとかっこいい。外国人かな」
「めっちゃかっこいい! あ、でも、女の子いっしょだよ」
「ああ……お似合いだねえ」
立ち尽くしていたら、周囲からそんな声が聞こえてきた。
(お似合い……そうか……)
その声に、颯馬は悟った。
三人で仲がよいと思っていたのに、ふたりはもっと特別だったから、寂しいのだ。ふたりが恋仲なのであれば、颯馬はお邪魔虫だ。本当はふたりで楽しみたかったのに、颯馬が行きたそうにしたから、やさしいふたりは断りきれなかったのかもしれない。三人で行くのを楽しみにしていたのは自分だけだったのだ。そう思うと、泣きたくなるくらい悲しくもなった。
「神崎? どうした?」
「神崎くん?」
颯馬がついてきていないことに気づいて、ふたりが同時に振り返る。その心配そうな顔に、颯馬ははっとした。
「い、いや、すまない」
返事をしながらも、颯馬はのろのろとしか動けない。
ここは、うまく言って、退散した方がいいのではないかと思う。しかし、もともと口が上手くない方なので、なんと言ったら不自然でないか、さっぱりわからなかった。
「どうしたの? どこか痛い?」
あんずがアドニスのもとを離れて、小走りに戻ってくる。
「あ、あんず、気をつけろ。また転ぶぞ」
「わっ」
アドニスが珍しく慌てたように注意したそばから、あんずはつまずいて、バランスを崩した。
「あんず殿!」
颯馬は反射的に動き、あんずを抱き止める。
アドニスもさすがの瞬発力で、一瞬のうちにすぐそばまでやってきた。
「ご、ごめんね」
あんずは体を起こしながら、申し訳なさそうに謝る。
「いや、大事なければ問題ないのであるが……」
「ひとりで歩くな。ここに来るまでも何度転びそうになったと思う」
「ごめんなさい」
あんずに怪我がないのを見て、アドニスはほっと息をつきながらも、再度注意した。
「え?」
その言葉に、颯馬は目を瞬いた。
もしかして、それは、あんずとアドニスが手をつないでいた理由だろうか――と、心の中にふつふつと期待が湧く。
「この下駄というものを履き慣れていないらしくてな、転びそうになっているから、腕を貸していた」
颯馬の疑問符のついた呟きに、アドニスが颯馬の望む回答を与えてくれた。
みるみる顔を輝かせる颯馬とは反対に、あんずはバツが悪そうにアドニスを見る。
「乙狩くんははじめてなのに歩くの上手だよね」
「お前が下手なのだと思う」
「うっ……」
ふたりのやりとりを傍で聞きながら、今度はもやもやした気持ちが晴れて、当初の楽しい気持ちが胸いっぱいに戻ってくるのがわかった。
「そ、そうであったか!」
ふたりは特別な仲などではなくて、ふたりで来たかったのではというのは颯馬の妄想で、今日はやっぱり三人での約束で、口に出す言葉通り、みんな楽しみにしていて、そんなことすべてがとても嬉しい。顔が勝手ににやけてしまう。
「はあ、やっぱりジャージがよかったな」
「えっ、じゃ、じゃーじ!?」
しかし、あんずがため息をついて、思いがけないことを言うので、颯馬はぎょっとした。
「うん。地元のお祭りに弟と行くときはジャージだから、今日もジャージにしようと思ってたんだけど、それを話したら、衣更くんに止められて……でも、こんなに迷惑かけるなら、やっぱりジャージにしておけばよかったね。動きやすいし」
あんずは申し訳なさそうに言うが、颯馬は衣更真緒に向かって手を合わせた。
真緒に心から感謝だ。
真緒が止めていなかったら、あんずはジャージだったのだ。そうしたら、この浴衣姿は見られなかった。
「我は、あんず殿の浴衣姿が見られて嬉しい。とてもよく似合っている。素敵だ」
「か、神崎くん……」
颯馬が素直に伝えると、あんずは恥ずかしそうに顔を赤らめて俯いた。そうすると、赤く染まったうなじが無防備にさらけだされる。
颯馬の心臓がどきんと震えた。
すっきりとした襟首から、白い背中まで見えてしまいそうだ。
と、視線が釘付けになりかけて、颯馬は慌てて目を逸らす。
(わー、我はいったい何を……!)
色んなことが恥ずかしくて、颯馬も顔を赤らめた。
「神崎の言う通りだ。とてもかわいい」
その傍らで、アドニスがぽんぽんとあんずの頭を撫でて、微笑んだ。
そのやさしい微笑みに、あんずはますます顔を赤くして、固まる。
颯馬でも「かっこいい」と思うのだから、当のあんずはもっとだろう。
「あ、あどにす殿は、反則であるな」
颯馬は笑ってアドニスに言った。当のアドニスは、わけがわからなそうに首を傾げる。
「?」
「我もきゅんとときめいてしまったぞ。なあ、あんず殿?」
「うん。でも、神崎くんもだよ。あんまり変なこと言わないでほしい」
あんずは颯馬に頷きながらも、颯馬のことも軽く責めて、恥ずかしそうに身をよじった。
「あ、あんず殿……」
腕の中で距離をとろうとする仕種がかわいらしくて、むしろ力を込めて抱きしめたくなる。だが、そんな破廉恥な真似はできないので、どきどきしながら、ぐっと我慢した。
「そろそろ行くか。ああ、あんずはそのまま神崎に掴まっていくといい」
「えぇっ!?」
だから、先を促したアドニスが言った言葉に、激しく反応してしまった。
あんずが掴まるということは、このまま身を寄せ合うということだ。
どきどきと鼓動が速まっていく。
飛び上がって驚く颯馬に、アドニスは不思議そうな顔をしたが話を続けた。
「神崎は日本の服を着なれている。下駄も慣れているだろう? ならば、俺より適任ではないか?」
「そ、そうか……! あどにす殿がそう言うのであれば、我に任されよ! あんず殿は命にかえてもお守りいたそう!」
颯馬は勢いよく承諾した。
どちらが下駄に慣れているかという話ならば、颯馬が慣れているのは間違いない。そう言われて、あんずの付き添いを断る理由はひとつもなかった。
「い、命はかけなくていいよ?」
「そういう心持ちであるということだ。え、えーっと、う、腕を貸せばよいのであるか?」
「うん、ごめんね。ありがとう」
あんずを助けたい気持ちはあるものの、女子との接触には慣れていない。颯馬がぎこちなく腕を差し出すと、あんずは申し訳なさそうにしながらも、颯馬の腕に掴まった。
あんずの体がぴったりと密着して、颯馬の心臓がまたどきんと震える。
この体勢はひどく緊張する。
あんずのやわらかさも、体温も伝わってくるのだ。
意識したら、ますますどきどきと心臓が激しく鼓動した。
このまま寄り添って歩いたら、どきどきしている心臓の音があんずに伝わってしまいそうだ。
「こ、これなら、あんず殿を抱き上げて歩いた方がよいように思うのだが……」
これでは心臓がもたないと思い、颯馬は学院でのスタイルを申し出た。あれならば緊張しないでいられる。
「それは目立つからやめてください」
「し、しかし……」
それをあんずにあっさり断られて、颯馬は詰まる。
「神崎くんが嫌なら、乙狩くんに腕を貸してもらうから、無理しなくていいよ?」
その颯馬の様子を勘違いして、あんずは離れようとした。
「い、嫌ではない!」
「!」
颯馬は慌ててあんずを引き止める。
そんな誤解はたまらない。あんずに関して嫌だと思うことはなにひとつないのだ。
「少しばかり……心臓がどきどきしてしまうだけだ。嫌などではない!」
颯馬は正直にきっぱりと言う。
「! ……あ、あの、私もドキドキしちゃう、んだけど……その……」
すると、あんずは一瞬目を見開いてから、それまで以上に顔を赤くして恥ずかしそうに身を竦めた。
その姿に、颯馬ははっと、自分がしていることに気づく。
咄嗟のことで何も考えていなかったが、正面から抱擁している形になっていた。己の手はあんずの腰にあり、強く拘束している。
これはいわゆる「せくはら」というやつではないだろうか。
「!! す、すまない! 非礼は切腹してお詫び申し上げる!」
颯馬は目を剥いてあんずから手を放し、そのまま腰の刀を握った。
「いい! いいから! 刀抜かないで!」
ここで刀を振り回したりしたら、通報されて、お祭りどころではなくなってしまうと、あんずは慌てて颯馬の手を掴んで、それを止める。
「っ」
あんずに触れられて、今度は颯馬がびくりと大きく反応してしまった。
「ご、こめんなさい」
颯馬の震えに、あんずはぱっと手を放す。
「…………」
「…………」
なんとなく気まずくなって、ふたりは微妙な距離をあけて押し黙った。
「神崎、刀を抜くのはよくない」
そうしてふたりが沈黙してしまうと、ふたりを静かに見守っていたアドニスがそう言ってふたりの間に入ってきた。
「あ、ああ、あいわかった」
アドニスの静かな声に従って、颯馬は素直に刀から手を放す。
「神崎もあんずも、どうする? 俺が支えようか?」
アドニスはふたりに尋ねた。ただそれだけのことで、これほど大騒ぎをしたのだから、アドニスが困惑するのも当然だろう。
颯馬は反省して、アドニスに頭を下げた。
「だ、大丈夫である。あんず殿は我がお守りする! このままでは面目が立たない。任せていただきたい」
「う、うん。私も大丈夫だよ、ありがとう、乙狩くん」
「ならば、神崎、よろしく頼む」
颯馬がふたりにお願いすると、あんずも頷いてくれて、アドニスも了承した。
「では、行くか」
そうして、三人はようやく祭の会場に入った。
参道は大人十人が横に並んでも余裕があるほど広いが、両脇にはずらりと屋台が並び、祭を楽しんでいる人々が溢れていて、混雑していた。
あんずの下駄のことがなくても、手をつないだりしていないとはぐれてしまいそうなくらいだから、これはその点においてもよかった。
「肉がたくさん売っているな」
「りんご飴も美味であるぞ」
「うん。かき氷も食べたいな」
「ああ。たくさん食べるといい」
立ち並ぶ屋台に、一様に目を輝かせた三人は、すぐに両手いっぱいに食べ物を仕入れた。
「これは蓮巳殿に怒られそうであるな」
「本当だね。食べ歩きそのものもお説教されそうだし、食べ過ぎだってお説教されそう」
焼きとうもろこしを食べながら、厳格な蓮巳敬人の顔が浮かんで、颯馬とあんずは笑い合う。敬人にとっては、屋台の食べ物も食べ歩きも言語道断なことだろう。
そうして、三人はたくさんの食べ物を消費しながら、日本のお祭りがはじめてのアドニスを優先して歩いて回った。金魚すくい、ヨーヨーすくい、お面屋にわたがし屋とひやかして、射的の屋台の前で、アドニスの足が止まる。
「あれはなんだ?」
「射的だよ。おもちゃの銃で景品を撃って、台から落としたらもらえるの。やってみる?」
「ああ」
あんずが聞くと、アドニスはわくわくした顔で頷いた。
「神崎、勝負しよう」
「承知」
アドニスに誘われて、颯馬も台の前に立つ。
「あんず殿、どの景品がいいか?」
どうせならあんずが喜ぶものを獲るのがふさわしいと思い、颯馬はあんずを振り返った。
「え? ええっと、じゃあ……あのペンギンのぬいぐるみがいいな」
あんずは一瞬戸惑いを見せたものの、景品台の上に並ぶものの中から、ペンギンのぬいぐるみを指差す。
「あれであるな」
「わかった」
ふたりは銃を構えて、ペンギンを狙って撃ち始めた。
すぐに白熱し始めたので、あんずはふたりの邪魔にならないよう、少し離れてふたりを見守る。
「ね、あのふたり、かっこよくない?」
「ほんとー」
「ふたりで来てるのかな」
「声かけてみる?」
すると、そんな女の子たちの声が聞こえてきた。
異国風のアドニスと、長髪の颯馬の二人組はとても目立っている。
銃を構える様も決まっていてかっこいい。身びいきを差し引いても、女の子が騒ぐのも納得だ。
そんなふたりに集まる視線はどんどん増えていって、あんずは連れだと主張するのも憚られ、また一歩下がった。
「あどにす殿、ここは協調しよう!」
「ああ」
ペンギンにあたりはするものの、重いのか、なかなか倒れないことに業を煮やして、颯馬がアドニスに呼びかける。アドニスもそれに応じた。
ふたりは素早く交互にペンギンを撃つ。すると、難攻不落に見えたペンギンも、徐々に後退し、ついには台から落ちた。
「当ったり~! やるね、兄ちゃんたち! これは無数の男たちが挑戦して破れてった、最強のペンギンなんだぜ!」
ペンギンを見事撃ち落としたふたりに、屋台の主も興奮気味にカランカランと鐘を打ち鳴らす。
「やった!」
「勝利だな」
アドニスと颯馬は顔を見合わせて笑う。
「あんず殿! やったぞ!」
それから、あんずを振り返って、思ったところにあんずがおらず、目を瞬いた。
「あれ? あんず殿?」
「すみません」
あんずを探して、周りを見回そうとしたところに、見知らぬ浴衣姿の女子ふたりが目の前に現れた。
「ん?」
「今、見てました。すごく素敵でした!」
「あ、ああ……?」
突然ふたりに誉められて、颯馬は困惑する。
知り合いだっただろうかと思ってよく見たが、やはり知らないひとだ。もしかして、『紅月』の神崎颯馬に話しかけているのかとも思ったが、どうやらそうでもないらしい。
あまり女子に慣れていないので、颯馬はどう対応したらよいかわからず戸惑った。
「神崎、あんずは?」
そこに、屋台の主からペンギンのぬいぐるみをもらったアドニスがやってきた。女の子たちに話しかけられていることに気づかずに、颯馬に聞いてくる。
「あっ」
アドニスの登場に、ふたりはますます顔を輝かせた。
「あの、よければこれから一緒に回りませんか?」
「む?」
アドニスは、声をかけられてようやくふたりに気づき、颯馬同様不思議そうにそちらを見た。
いわゆる「逆ナンパ」なのだが、颯馬もアドニスもそんなことを知っているはずもなく、ただ見知らぬ女の子に誘われているという事態に戸惑うばかりだった。
「いや、我らは――」
颯馬が、もうひとり連れがいて、三人で遊んでいるから間に合っている、と答えようとしたとき、
「あ、あの、困ります」
という、あんずの声が耳に入り、颯馬はそれどころではなくなった。
「あんず殿!?」
「あんず!」
アドニスも同時にその声の方を見る。
射的の屋台から少し離れたところに、浴衣姿の男三人組がいて、彼らの隙間から、あんずの浴衣が見えた。
「!」
あんずが男たちに囲まれているらしいと見てとるやいなや、颯馬はカッと頭に血が昇って駆け出す。
「ひとりなんでしょ? 一緒に遊ぼうよ」
ひとりの男があんずの手を掴もうとするのを見て、颯馬は目を見開き、地面を思い切り蹴った。
軽やかに浮いた体は、高く宙に舞い上がる。そして、空中で半回転すると、男の肩にいちど手をついて、ひらりと、あんずと男の間に舞い降りた。
「貴様ら、この方をどなたと心得る!」
さきほど出すなと叱られたので、刀は袋に入れたまま掲げるだけにして、颯馬は声を張る。
「なっ……」
突然の、しかも予想もできないような颯馬の登場の仕方に、男たちは度胆を抜かれて、颯馬を凝視した。
まるで、颯馬そのものが刀のような美しい怜悧さでもって、男たちから息を奪う。
「俺たちの連れに何か用か?」
下駄で走るのに慣れず、颯馬に遅れをとったアドニスも追いついて、颯馬の隣に並んだ。
「ひっ」
そうしてアドニスがじっと見据えると、男たちは漏らしそうな顔で短く悲鳴をあげた。
「な、なんでもありません!! すみませんでした!!」
颯馬とアドニスのすさまじい迫力に、男たちは謝りながら脱兎のごとく逃げていく。
颯馬は刀をさげ、すぐにあんずを振り返った。
「あんず殿、大丈夫であろうか。すまなかった。遊びにかまけて注意を怠った。このような目に遭わせてお詫びのしようもない!」
「あんず、大丈夫か」
颯馬は勢いよく頭を下げ、アドニスは心配そうに窺う。
ふたりが来てくれて、あんずは心からほっとした。
「う、うん、大丈夫だよ。ありがとう」
あんずは笑ってみせる。強引に連れていかれそうになって怖かった。けれど、これ以上ふたりを心配させたくなかった。
「あんず殿……」
颯馬はあんずの笑顔が強張っていることに気づき、あんずの手を取って強く握る。
「怖い思いをさせた。申し訳ない」
「神崎くん……」
手の温もりにますます安心して、あんずは泣きそうになってしまう。そんな顔を見られないように俯いた。
「にいちゃんたち、かっこいいな!」
そのとき、ヒューっと口笛が鳴り、拍手を送られた。
驚いて顔を上げて見れば、さきほどの射的の屋台の主が、手を叩いていた。彼だけではない、いつのまにか、周りに人垣ができていて、誰も彼もが拍手している。颯馬の派手なふるまいは、注目を集めてしまったようだ。
三人は顔を見合わせ、戸惑いながらも、周りに向けて頭を下げた。
拍手喝采を受けた後、お祭りの会場に居づらくなったので、三人は近くの公園に避難した。公園は、祭の喧騒を抜けてきたような人影がちらほらあったが、静かで落ち着けた。
「あんず」
三人で並んでベンチに座ると、アドニスは例のペンギンのぬいぐるみをあんずに差し出す。
「あ、獲れたんだ。すごいね。ありがとう」
あんずは顔を嬉しそうに受け取った。
「ごめんね、あのひとたちに話しかけられてて、落とすところ見られなかったの」
それから、申し訳なさそうに謝るので、颯馬は慌てて首を振った。
「あんず殿が謝ることはひとつもない! 我らがもっと気をつけねばならなかったのだ。申し訳ない」
「ううん。私がきちんと断りきれなかったから。神崎くんたちと一緒だから、一緒に行けないって言ったんだけど……」
膝に手をついて頭を下げていた颯馬は、あんずのその話に、ふと、思い出したことがあった。
「あ」
「どうしたの?」
ゆっくりと顔を上げると、あんずが不思議そうに聞いてくる。
「いや、あんず殿の話を聞いて、さきほど、射的の屋台のそばで見知らぬ女子に話しかけられて、一緒に回らないかと言われたと思い出したのだ。そういえば、そのまま放ったらかしにしてしまった。失礼だっただろうか?」
「それはナンパだから、大丈夫だと思うよ」
「なんぱ?」
生真面目に首を傾ける颯馬に、その行為の名称を教えると、颯馬はますます首を傾げてしまった。
きっと、射的をする颯馬たちに騒いでいた子たちだろう。
本当に声をかけたのか、とあんずはその積極的さに感嘆した。
「知らないひとでも、気になったら声をかけて知り合いになろうって思うひともいて、ふたりがかっこいいから、知り合いになりたいって、仲良くなりたいって思って声をかけたんだと思うよ。断ってもいいものだから――というか、たいてい断られるものだと思うから、返事してなくても、きっと大丈夫だと思う」
あんずもナンパ事情に詳しいわけではないが、持っている知識の中で、丁寧に説明する。
「なっ、なな、そのような……!!?」
すると、颯馬は顔を赤らめて言葉を失った。
「なるほど。それでは、あんずも『ナンパ』をされていたのだな」
こちらもはじめて「ナンパ」を学んだらしく、アドニスは確認するようにあんずを見る。
「あ、う、うん」
自分がナンパされていたと言うのは恥ずかしいが、確かにあれはナンパだろうから、あんずは頷いた。
「あんずがかわいいから仲良くなりたいと思ったのだな。油断のならない奴らだ」
「ううん、私の場合は、暇そうに見えたからじゃないかな。ナンパの理由もいろいろだから」
あんずの言葉を引用して、顔を顰めるアドニスに、あんずは苦笑した。
「て、手を握られそうになっていたではないか! あれは下心があるに決まっている! あんず殿! 我らの失態は疑いようはないが、あんず殿ももっと気をつけた方がよかろう! あんず殿は誰よりもかわいらしいのだからな!」
危機感のないあんずに、颯馬は思わず声を荒げた。
あの男はあんずに触れようとしていたし、あんずがかわいいのは間違いない。気になった相手に声をかける類の者がうようよいるのであれば、この先もあんずは声をかけられることだろう。今日は一緒にいられたが、いつでも共にいられるわけではない。あんずのような心持ちでは、いつか本当にああいう輩に手を握られてしまうのではないかと、不安になったのだ。
「か、神崎くん……あの、ごめんなさい。……でも、そういうこと言わないでほしいな……恥ずかしい……」
しかし、颯馬は真剣に叱ったというのに、あんずは顔を赤らめて、俯いてしまった。
「えっ?」
なにかあんずが恥ずかしがることを言っただろうかと、颯馬は首を捻る。
「恥ずかしがることはなかろう。全て本当のことである。なあ、アドニス殿」
「そうだな」
颯馬は至極真面目に言って、アドニスに同意を求めると、アドニスもあっさりと頷いた。
「なんの罰ですか……羞恥プレイすぎる……」
あんずはますます顔を赤くして、身を小さくする。
「罰などではない。気をつけてほしいだけだ」
「はい……」
「それに、もっと頼っていただきたい。さきほどのようなときも声を上げて、我……らに、助けを求めてほしい」
颯馬は、我と言い切るのはおこがましく思えて、「ら」を付け足した。本当は、我、と言いたいところだが、あんずはみんなのプロデューサー、みんなの友だちだ。
それなのに、あんずは何でも自分だけで対処しようとしがちだ。共にいるのだから、もっと甘えて、もっと頼ってもらいたい。それはきっと、アドニスも同じ気持ちだろう。
「あんず殿の求めには必ず応じるから」
「神崎くん……」
「なんといっても、あんず殿は我……らの姫様であるからな」
まだ戸惑っているあんずに向けて、颯馬はとんと自らの胸を叩いた。
「え?」
「ああ、そうだな」
あんずがきょとんとしている前で、アドニスも力強く頷く。
「我、姫を身命を賭してお守り申し上げる」
「小さきものは俺が守る」
何を言うのかと抵抗する前に、ふたりがいつもの常套句を持ち出してきたので、あんずは笑ってしまった。
「ありがとう」
そうして、笑いながらふたりに礼を言う。
「姫」なんかでないことは十分に承知している。あんすがそう思っているとわかってくれるからこそ、冗談めかして言ってくれたふたりの気持ちが嬉しい。
あんずの笑顔に、颯馬とアドニスも照れたように笑った。
「飲み物を買ってこよう。待っていてくれ」
祭から避難した公園のベンチで、そのままお喋りに興じてしばらくした頃、アドニスがそう言って祭の会場の方へ戻って行った。
「お祭り、楽しいね」
「ああ。ずっと楽しみにしていたのだが、そのとおり楽しくてとても幸せだ」
「うん、私も……」
あんずの頷きを最後に、会話が途切れる。祭のにぎやかな音が遠くに響いた。
夏の終わりを感じさせる、乾いた風。
心地よい静寂だ。
そうしてしばらく黙って静けさを味わっていたら、とんと肩になにかが当たった。
(ん?)
何かと見れば、あんずが頭を預けて眠っていた。
「あんず殿……」
慣れない下駄で疲れたのかもしれない。やはり、抱っこをして運べばよかったと、気遣いが足りなかったことを反省する。
アドニスも言う通り、あんずは颯馬たちとは違う、小さくてかよわい女性なのだ。同じように歩かせてはいけなかった。
それに、そうしていれば、しっかり、あんずの連れだと周りに知らせることができて、あの軽薄な男たちに、あんずが囲まれることもなかっただろう。
あの男が、あんずに触れようとしていたことを思い出しただけで、胸がやけつく。
「すまなかった、あんず殿」
颯馬はあんずにそっと謝りながら、その寝顔を見つめる。
あんずは、ペンギンのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめていた。
(…………)
あんずに抱きしめられていてうらやましい。ペンギンではなく自分に抱きつけばいいのに――と思って、はっと我に返る。
(わ、我はどうしてしまったのであろうか……!)
颯馬は、自分の心の中に湧いた気持ちに戸惑って、でも、あんずから目が離せなくて、見つめてしまう。
どくん、どくん、と心臓が大きく鼓動する。
『ふたりがかっこいいから』というあんずの声が、ふいに蘇った。
かっこいいと、あんずが思ってくれている。
そう思うと、心臓が送り出す血液の量が倍に増えた。
(?!?!)
颯馬はわけがわからず、胸を押さえる。
「っ!」
そのはずみで、あんずの頭が肩から滑り落ちそうになったので、颯馬は慌てて額を支えた。
幸いにも、あんずが起きることはなかった。
ほっとして、颯馬は頭を肩に戻そうとしたが、その手が止まる。
「――……姫、失礼する」
颯馬は、あんずを見つめて、しばし躊躇ったあと、そっと囁いた。
肩では寝づらいだろうから、と言い訳のように思いつつ、あんずを自分の膝の上に寝かせる。
「…………」
どきどきする。
しかし、それ以上に、心が満ちるのを感じた。
あんずが腕の中にいることも、あんずの眠りを守っていることも、颯馬の胸を満たして、膨らませる。
「貴殿の眠りは、我がお守り申す」
だから、ゆっくり眠ってほしい。
颯馬の誓いの声は、頭上の月と星だけが聞いていた。
おわり
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